==思うがままに==

2003年8月1日のエッセイ


金光教東京紀州連合
 この東京紀州連合は紀州に血縁、地縁、教会縁などなんでもかんでも何らかの形で紀州に関わりのある東京在住の信奉者で構成しています。会員は事務局長たる私が勝手に指名しますと自動入会となります。もちろん会費も定例会も規則も何にもありません。このええ加減さが紀州人の特質です。

 だいたい紀州という土地がどこからどこまでというのも曖昧です。和歌山県は一応全体が紀州ですが、奈良県の南部や三重県の南部も入ります。紀州とはどこだと聞かれてもそれは消去法でしか答えることができません。つまり伊勢、志摩ではない。吉野、大和、摂津ではないところの紀州というところとしかいえません。これもまたちゃんと調べなければ。

 また、今は郡名や教会名にある「牟婁(むろ)」も、東牟婁郡や西牟婁郡より北に南牟婁郡があったりして、あれ、どうなっているのと驚きます。さらに、国道169号線なるものは、まっすぐ走っているのに和歌山県から奈良県に入り、また和歌山県、また奈良県と表示看板が出てきて、さらにまた和歌山県、そして三重県、最後に奈良県に入り北上するという訳がわからない国道があります。これは熊野川町飛地とその先に北山村という三重県と奈良県に囲まれた和歌山県があるという、まあいろいろと面白いところなので追々紹介していきたいと思います。
No.4

野球道
 この言葉をはじめて聞いたのは、確か金光教関東教区青年教師を中心とした野球チームの「ビリーバーズ」創始者鈴木一嘉先生からです。現在年長者というだけで私が監督をさせて頂いており、先生はキャプテンとして活躍しています。

 この「野球道」という言葉が発せられたのはもうだいぶ前のことになります。息子の雄生が小学校1年生の時からリトルリーグで野球をやってます。まだ入り立ての頃雄生に向かって一嘉先生が「野球はただの野球をするということではだめで、道を究めるすなわち野球道でなければ本物の野球ではない」と熱っぽく語られました。恐らく雄生は何のことかほとんど理解できなかったと思いますが、その語りの迫力から何か訳がわからないなりにも大事なことをつかんだようです。

 その後、毎週の厳しい練習が続きましたが、ありがたいことに何があろうとも自ら休んだことはありません。野球の道具も気が付けば磨きに磨き、大事に使ってます。現在は中学2年生、シニアリーグに進んでます。人数も30人以上在籍しており、これからがさらに大変になりますがあの時の「野球道」の言葉が今に生きているとありがたく思わせて頂いております。


No.3

ホームページの開設
このたびは、おこがましくも自分自身のホームページを作ってみました。最初は私が在籍する勝浦教会のホームページを作成しようとしました。現在東京に住んでますが離れていても大丈夫、それがインターネットの特性だと軽く考えてました。ところがいざ作成しようとすると先に進みません。やはり現場にいないと気や魂がなかなか入らないことに気付きました。

 そこでとりあえず恥ずかしながら自分のホームページと相成りました。トップ頁で宣言してます「絶対非戦個人」については「新聞・冊子掲載記事」にあります『東京寮瓦版17号寮監閑話』「なぜ殺してはいけないか」やその他平和に関することを色々書いていますのでお読みいただければ幸いに存じます。

 これからは「思うがままに」で日頃思うところを書き綴っていきたいと思います。また、この「思うがままに」の中で野球に関する話題は「野球道」、紀州にかかわる話題は「紀州連合」のコーナーに一覧表示しています。どうぞ、ご意見、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
No.2


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