==思うがままに==

2003年8月12日のエッセイ


つっさんは元右翼?
 よくぞ聞いてくれました。誰も聞いてないか。
 確かに私を昔から知ってるい人は知ってますね。当たり前か。右翼といっても思想的な右翼ではなくて心情右翼です。途中から「新々右翼」と称し、天皇を立てない平和主義的右翼だの、ついこの間までは中道穏健左派だの色々言ってました。

 ある時ふとなぜこうなったのかと振り返ってみると原因がありました。それは勝浦小学校の時です。当時の遠洋漁業は一端漁に出ると短くて半年、長いのは数年は帰ってきません。ですから、出航の時は大きな汽笛やサイレンがなり、関係のない私たちも一斉に勝浦漁港に走りました。

 そこには家族、関係者が大勢集い、五色のテープが舞ってます。大漁旗や軍艦旗、日の丸がはためき、大音響で軍艦行進曲、君が代行進曲、太平洋行進曲と続きます。万歳、万歳と叫び、みんな涙、涙であります。すごい興奮と高揚感を覚えたのを思い出します。

 ここが原点。で初めて親に買ってもらったレコードが「日本軍歌大全集」。いやはやです。もし小心者で気が弱くなかったら。もし駒沢大学でなくて國學院に行っていれば。そして金光教教師にならずふらふらしていたら、今頃はほんまものの右翼になっていたでしょう。

 ただ、金光学園高校の頃、親戚で軍歌を大きくならして聞いていて、ちょうど同期の桜のときに、やさしいおばちゃんがぼろぼろと泣きながら、「やめとくれ」ときつく言われたのは、未だに忘れることができません。軍歌しか聞けなかった時代のつらさ、その軍歌の中で多くの身近な人をなくしてしまった悲しみは、そうそう消えるものではないということをだいぶ後になって知りました。右翼にならなかった原点はここにあります。

  ただ、金光学園の同期会で酔っぱらってカラオケに行くと誰かがあの古関祐而の「海軍ラバウル航空隊」なんぞをいれるものですから、いやいやながら歌ってしまいます。え、どうみても嫌々に見えない?失礼いたしました。古関祐而に関しては明日また一つ、お楽しみに。
No.15


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