==思うがままに==

2003年10月23日のエッセイ


恐るべし紀州人
 神坂次郎著『熊野風涛歌』の最後に、
「こうして、歴史の中の“海と紀州人”を眺めてくると、その存在の大きさに気づく。紀州人が、日本の食文化に与えた影響もまた大きい。醤油、味噌、鰹節・・・・・もし、紀州人がいなかったら、いまの“日本の味”はない」
とある。
 
 紀州の漁法は世界でも有数で、諸国の漁民に先がけて、すでに高度な各種の漁業技術を掴んでいた紀州の漁夫たちは、東は相模、房総、常陸から東北へ。西は四国、瀬戸内海、中国、九州、五島列島まで漁を求めて旅漁に出かけていった。そしておしみなくその漁法を伝え広げたそうである。

 土佐の1本釣りで有名な鰹釣りの漁法も、その技を伝えたのは紀伊印南の角屋甚太郎という人だ。その息子が土佐で保存に耐える固乾品の鰹節を完成させた。
 醤油は、鎌倉の頃3代将軍源の実朝の菩提をとむらうために建てられた紀伊国由良、興国寺の開山、法燈国師覚心が径山寺味噌をもたらし、その味噌醸造の過程で発見した醤油がとなり村の湯浅郷に伝えられ、以来この湯浅醤油が日本の味を代表する醤油の起源となり、全国に伝播したそうだ。

 前にある寮生が、お金を出すから紀州の醤油を買ってきてほしいと頼まれたことがあるが、発祥の地とは知らなかった。 確かに紀州の醤油は味が深い。恐るべし紀州人。
No.105


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