==思うがままに==

2004年8月3日のエッセイ


女人禁制
 「高野山」や「吉野・大峰」、そして私の地元「熊野三山」が世界遺産登録されたことによって、テレビや新聞などで多く報道がなされている。今日も東京センターの帰りがけにT次長が、新聞の特集に「山岳信仰の世界」との記事があることを教えてくれた。

 それで思い出したのが、本部教庁布教部時代、中近畿教区の青年教師研修会で「大峰奥駆け修行」という名の修行を体験したことだ。普通一般の方は8時間ほど歩く「表の行場」のみらしいが、同業者の宗教家ということで、「裏の行場」修行も併せて体験した。断崖絶壁での「まわり石」、先達が石の上から足の置き場や手のかける場所を教えてくれるが、少しでも滑らすと真っ逆さま。ここで事故が、起きなかったのが不思議なくらい恐怖である。

 もう一つが、断崖絶壁の崖の上から体半分投げ出される修行。金光から来たから一番だといわれてやらされたが、恐怖というようなレベルではない。先達から「親孝行するかとか」質問されるが、自分自身が何を言われたか・・・。ただひたすら大声で「はい、はい」と答えたようだ。

 ところで、1872(明治5)年の太政官布告で「女人禁制」が廃止されたはずなのに、当時はまだその禁制が続いていた。私たちは山登りの休憩の時に、先達に「女人禁制は問題があるのでは」と迫ったが、「伝統・文化は変えるわけにはいかない」というような答えが返ってきた。別行動であった女性青年教師たちも、「おかしい」と言いながらも、ある方は、女性も入れる結構楽なところを歩き「その方がよかった」などと言っていたのでよく覚えている。

 大峰山の女人禁制は解かれたのであろうか。恥ずかしながら未だに知らない。賛成、反対それぞれの運動もあったようだ。世界遺産登録後に、NHKの特集番組や報道などいろいろあったようだが、見落としてしまった。どなたか知っておられたら、ご意見等もお聞かせ下さい。
No.494


2004年8月のエッセイをすべて読む
No. PASS
キーワード  OR AND
スペースで区切って複数指定可能

TOP
トップページへ
shiromuku(f2)DIARY version 5.40