==思うがままに==

2004年8月22日のエッセイ


「対馬丸」沈没
 今からちょうど60年前の今日、1944(昭和19)年8月22日22時12分、疎開のために沖縄から九州へ航行していた「対馬丸」がアメリカ潜水艦の攻撃を受け、沈没した。乗船者約1800名のうち学童775名を含む1418名(氏名判明者数)が一瞬のうちに帰らぬ人となった。

 本土への疎開は無事に着ける保証がなく、父兄は不安を訴えた。軍は、食糧確保や子供は足手まといになるという身勝手な理由で疎開を強く要請したようだ。そして学校は兵隊の宿舎となり、やがて戦場になろうとしている現実の中で、航行安全の確信のない教師たちも受けざるを得なかった。

 そのような中で、子供たちは、「ヤマトへ行けば雪が見られる」、「汽車に乗れる」、「桜が見れる」などと、修学旅行に行くように喜んで疎開したがった。親に内緒で疎開手続きをする子供もいたそうである。「疎開に行くも地獄、残るも地獄」という 窮地に立たされ、そしてまさにその地獄を見たのである。助かった子供たちは沖縄に帰ったが、完璧な箝口令が敷かれ、何も言えない苦しみを味わった。この事実は戦後までかくされたのである。

 恥ずかしながら、この事実を沖縄に行って聞かされるまで知らなかった。「対馬丸」ということは聞いたことがあったが、何か豪華客船くらいに思っていた。数日前、日本テレビのニュースの中で特集があった。その中で、生き残られた平良敬子さんの「絶対に風化させません」との力強い言葉は、私の心に突き刺さった。どこかで風化はやむを得ないと思っていた自分自身の浅はかさを本当に反省させられた。

 そのニュースでも伝えられたが、今年「対馬丸記念館」(下記HP参照)が開設された。来年の沖縄遺骨収集時にぜひ立ち寄りたいと願っている。 
 
http://www.tsushimamaru.or.jp/

  
No.524


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