2012年6月アーカイブ

またまた、びっくり!!

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 またまた、「えー!!ほんまか」というびっくりすることがあった。以前、娘の高校の同じクラスでそれも隣の席に、私の東京学生寮時代の友人の娘さんがいたり、息子や娘のことで「日本は本当に狭い」という不思議な出会いを書いたことがある。

 今度は、私の甥っ子だ。彼は私の妹が嫁いだ松永教会の3男。現在大学2年生で寮に住んでいる。大学の関係で小金井か、吉祥寺か、渋谷でいいバイト先を探していたが、なかなか希望通りのものがなかったそうだ。

 しかし今回、時給もいい渋谷のある居酒屋があり、そこでバイトを始めた。すると店長から、履歴書に金光学園高校と書いていたのをみてか、「もしかして金光教?」と聞かれたそうだ。甥っ子もまさか渋谷で金光教と聞かれるとは思わなかったようで、びっくりして「はい、小金井にある金光教の寮に住んでます」と答えたそうだ。

 今度は店長がびっくり。その居酒屋で以前からずっと働いている女性のKさんは、何と私と同じ年で東京学生寮に住んでいた時の同期。私たち同世代の卒寮生で集まる時には結構利用している居酒屋さんで、私も3回ほど行ったことがある。

 何とも、まずは小金井か、吉祥寺か、渋谷かの選択肢と、渋谷にいったい何軒の居酒屋さんがあるのか。もう偶然というか、奇跡というか。いや、お道の信心に偶然とか奇跡という言葉はない。万事のご都合お繰り合わせなのである。それも、彼が初めて接客した方が、何と広島県の松永出身だったと。もう神様がちゃんと後ろから導いていることは間違いない。

 甥っ子も、「卒業までずっと働きたい場所で、それも大歓迎していただいた」と喜んでおり、「おじちゃんのおかげ」と感謝のメールをもらった。バイト帰りは夜中になるのでまだ出会ってないが、今度は家族でぜひ渋谷に行きたいと思う。 

地震との共生?

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 昨日は、東京品川で開催された金光教信徒会主催の北4ブロックの信心研修会に参加した。基調講演として、名古屋大学減災連携研究センター武村雅之教授の「関東大震災と東京」~地震との共生をめざして~と題してのお話があった。

 サブタイトルに「地震との共生」とあったので、どう共生するのだろうと思ったが、地震学者なのでおそらくはシミュレーションなどコンピューターを駆使した数字的な、科学的な話だろうと失礼ながら予想していたが、全く逆で、そういった考え方を批判する方であり、大変に勉強になった。

 のっけから先生は「震災は、天災でなくて人災である。地震は震災のきっかけでしかない。東日本大震災において亡くなった方の95パーセントは逃げることができた。そのうち、がんとして逃げなかったことによって、多くの方たちを巻き添えにしてしまったことも事実ある。こう言うと亡くなられた方に失礼という人もいるが、生きている私たちはしっかりと事実を直視しなければならない。亡くなられた方々がもし今声を出せたら、ほとんどの人は、『逃げればよかった』と言うであろう」と、刺激的に始まった。

 そして、「理科系の科学者は歴史嫌いであり、歴史学者は科学嫌いであり、全く連携がない。よくNHKなどでやっているコンピューターを駆使してシミュレーションばかりやる方が脚光を浴びるが、全く歴史に学んでない。東京の防災担当者や地震学者自体が関東大震災を全く知らないのである」と批判。それだから「全く教訓が生かされず、同じ過ちを何遍も繰り返している」と。

 例えば、関東大震災の死者数6万9千人中、陸軍被服敞後地で亡くなった数は3万8千人にも及ぶ。この時の火災が襲う前の写真を見ると、わりかし危機感がなく、夕飯の支度や物を売り回っていた者もいたという。もう人でぎっしりで足の踏み場もないように見えるが、この時の人口密度は畳一畳分にひとり程度だったそう。ところが、みんな家財道具を持ち出してきているので密集しているように見える。この家財道具が燃えて、ほとんどの人が二酸化中毒で亡くなったそうだ。

 江戸時代は、家財道具が火災の延焼を促進し、多くのいのちを奪う原因になることが広く知られており、家財道具持ち出しの罰則がある御法度まであった。ところが明治には忘れ去られた。そして1925年に中村清二という人か゛『震災予防調査報告』に、「同じ失敗を何度となく経験しても吾々は一向賢明にならなかったのである。大八車が自動車にかわることはあろうけれども」と過去から未来まで予言している。

 そして先生は言う。「最近、皆さんにも心当たりがあるだろう。そう、3.11の東京である。みんな一斉に帰宅を目指した。そしてどうなったか。首都圏の交通は大混乱。道という道は車で大渋滞。そう、もしここに火災が発生したら?。自動車はガソリン。よくぞ火災が起きなかったことである」。

 さらに「自宅に帰るというのは、比較的危なくない都心から、危険の多い都下に向かって突っ込んでいくとの同じ。帰ってはいけないのである。だから日頃から家族会議を開いて、家族の結束を固めておくことの方がいかに大事かがわかるだろう」と。

 また、隅田川をはさんで反対側の神田和泉町と佐久間町では、日頃からに地域住民の結束が堅く、強い絆があり、お年寄りや子どもたちを避難させ、若者は避難せずに消火活動に専念し、対岸よりは好条件も重なり、被害を最小限にくい止めたそうである。

 先生はその他、阪神大震災や津波、土砂災害などいかに教訓を生かしてないかの具体例を紹介下さり、「そもそもかつては海と山しかないところに地震が起きて、平野ができて、人間が住める場所ができた。地震がなければ人間がないと言っていい」と。

 だからこそ、「防災は、自然との共生を図ること。慈母の愛と厳父の厳しさをわきまえる。それには歴史に学び、教訓を生かすしかない。その上で耐震補強をしっかりとして、常に地域や家族間のつながりをつけておく。つまりは生活を豊かにしておくことの延長線上に地震防災がある」と話され、最後に先生が、日頃から子どもたちを集めて自然との共生や防災について学んでいる中での子どもが言った次の言葉を紹介されて終わられた。  

「一人の百人力より百人の一人力」
「地震は一瞬、恵みは一生」

 その後、気仙沼教会の奥様先生、宇部東の清水さん、生麦の高橋さん、中野の阪本さん、鎌倉の吉岡さんによるパネルディスカッションがあり、それぞれ東日本大震災によって、さらに神様を深く感得し、信心を確立されていった様子を具体的に語られた。改めてお道の信心の素晴らしさを実感させて頂いた一日であった。 

寮に「黒アゲハ蝶」出現

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 さっき妻がベランダで洗濯物を干しているとき、「黒アゲハ蝶だ」と叫んだ。1月ほど前に緑のカーテン用に植えたゴーヤの花が咲き、そこに飛んできたのだ。私はその声にすぐにベランダに出ると、寮では見たことがない立派な黒アゲハ蝶が、ゴーヤの黄色の花のところを飛んでいた。

 奇しくも今日23日は沖縄「慰霊の日」。沖縄遺骨収集時本部になる糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。黒アゲハ蝶は、私に「この日を忘れるなよ」と沖縄から飛んできたかに思えた。

 この「忘れない」こと、戦争の悲惨さを語り継ぐことについて思い出すことがある。以前にも書いたかもしれないが、修学旅行に来た女子高校生が、ひめゆり学徒隊生き残りの方の話を聞いて、「全然、私の心に響いてこない」意味の発言をして、先生たちの間で問題となった話である。

 詳細を覚えてないので、だいたいのところで申し訳ないが、その女子高生にとっては、ひめゆり学徒隊の方は、年はもちろんおばあちゃん以上に離れており、また、どうしても特別な人と思えて、距離がありすぎると感じたようだ。だから、いくら悲惨な話をされても、実感できないと。

 それがある時、その女子高校生が、ひめゆり学徒隊に入隊させられる前の普通の日常の生活をしている笑顔の写真を見たとき、「自分たちと同じだった」と思ったという。つまり、ひめゆり学徒隊の方の67年前は、私たちと同じ年頃の女学生であり、笑顔で談笑しているときには、まさかそこに日本軍がやってきて、そしてアメリカ軍がやってきて、地獄絵になろうとは全く想像もしてなかっただろうと。

 それは今現在を生きている私たちもまた、「まさか外国の軍隊がやってくる」とは誰も思ってない、それと全く同じだと。ひめゆり学徒隊の方たちもまた平穏な幸せな日々があったのだと。そこに気がついたとき、はじめてその当時の苦しみ、悲惨が実感できたという。

 戦争体験が風化することはどうしようもない。しかし、その当時を追体験することによって、「私たちと同じだ」と気がつき、実感としての戦争を感じることができると思うし、戦争を知らない私たちだって、戦争を語ることはできると思う。

 体験談や映画、本に学びながら、実際に沖縄遺骨収集などで追体験した若者たちもまた、自分事として戦争を考え、またそれを次につなげようとしてくれている。9月に所用で上京される那覇教会長の林先生が、わざわざ寮にも寄って下さり、お話を承ることになっている。寮に出現した黒アゲハ蝶も喜んでくれているように思え、ありがたいことである。

言葉の言い換え

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 人の性格など、どうしてもマイナスの言葉でもって表現してしまう傾向がある。例えば、「ずうずうしい」とか、「頑固な」とか。「おしゃべりな」とか、「でしゃばり」とか等々。そこでずっと何かプラスの表現にできないものかと反対語辞典や対称語辞典など図書館に行っては調べてみたが、なかなかしっくりとこない。

 ある時、ネットで言葉の言い換え表現みたいなことを誰かまとめていないかと、色々見ていたら、さすが考えている人はちゃんと考えてくれていて、色々とあったのだ。このプラス表現ができれば、人も喜ぶし、自分の心も豊かになること請け合いだ。下記に記したので、皆さまも是非参考にして下さい。


軽々しい → 積極的、行動的な       
がんこな → 自分の意見を持っている、意志が強い 
激しい → 行動的な、感受性豊か 
気が弱い → ひかえめな、おっとりした、やさしい 
反抗的な → 自分の意見が言える、自立した 
きつい → たのもしい、率直な、自己主張できる 
人付き合いが苦手 → ひかえめな、協調性がある 
ふざけた → 明るい、ユーモアがある、陽気な 
口が軽い → 率直な、うそがつけない 
不親切な → 他人に干渉しない、自主性を重んじる 
口が悪い → 自分の意見が言える、率直な 
くどい → ねばり強い、意志が強い 
ぼーっとした → 落ち着いた、おだやかな 
軽率な → 行動的な、積極的な
けじめがない → 集中力がある、持続力がある 
負けず嫌いな → 努力家、向上心がある 
周りを気にする → 気が利く、心配りができる 
強引な → 行動的な
強情な → 意志が強い、自分の意見を持っている 
無責任な → こだわらない、とらわれない 
さわがしい → 明るい、活発な       
ずうずうしい → 堂々とした、積極的な
あきらめが悪い → ねばり強い、集中力がある
あわてんぼう → 行動的な、積極的な
いい加減な → こだわらない
意見が言えない → ひかえめな、協調性がある 
単純な → 素直な 
いばっている → 自信に満ちている、肝がすわった 
調子に乗りやすい → 明るい、行動的、素直な 
うるさい → 元気がいい、活発な 
つめたい → 冷静な 
でしゃばり → 世話好き、積極的な 
おしゃべりな → 社交的な、明るい 
とろい → おっとりした 
落ち着きがない → 行動的な、好奇心旺盛な 
鈍感な → 物事に動じない 
おっとりした → マイペースな、とらわれない
生意気な → 自信に満ちた、堂々とした 
なれなれしい → 積極的な、社交的な、 
鈍い → 物事に動じない 
勝ち気な → 自信に満ちている 
のろい → 慎重な、落ち着いた 
カッとなる → 情熱的な、感受性豊か 
のんきな → こだわらない、マイペースな 
変わった → 個性的な 
のんびりした → こだわらない、落ち着いた 

大飯原発再稼働に思う。

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 大飯原発の再稼働が決まった。私は当ブログ3月24日付けなどで述べてきたように、脱原発依存の方向に進むべきだと考えている。福島原発事故を受け、地震大国日本では現状の原子力発電は無理だと思う。一方で電力不足の懸念や電気料金の値上げ、産業空洞化による日本経済失速の問題、地元の方々の雇用、生活の問題もある。

 だからこそ、政府や政権民主党こそが、原子力村に群がる利権団体やそれにぶら下がる人々を監視し、しっかりとしたビジョンを示した上で、真に国民生活のために努力してほしいと願わざるを得ない。
 
 ところが、首相は、脱原発依存の旗は降ろしていないと言いながら、多くの識者が問題提起しているにもかかわらず、ただ、「安全である」からという理由だけで再稼働を決めるのは、全くこれまでの安全神話と同じではないか。民主党も結局は利権構造の上に乗っかっただけの政党になってしまう。 

 最も、この再稼働で政権民主党は完全に終わった。結局民主党は政権を取りたいがための政治家が集まってできただけの政党と言わざるを得ない。テレビタックルなど政治家が登場するテレビを最近は全く見ていないが、かつて政権自民党の時代、自民党の例えば高速無料化の政策など「できるはずがない」との指摘に民主党の政治家が「できる」と豪語していたのが忘れられない。

 あの頃は本当に期待していた。しかし、ものの見事に裏切られた。高速無料化どころではない。社会保障制度や子ども園構想等々、ほとんどのマニフェストを放棄した。これで「脱原発依存」と言われても全く信用ができない。民主党嫌いの友人から「所詮は第2自民党の政党、期待する方がおかしい」と言われ、ここまで酷いとは思ってもみなかったので、返す言葉もない。

 衆議院の解散、解散と言っているが、民主党はもうない。しからば自民党となるが、自民党では今の政府と全く同じ。マニフェスト遵守の小沢さんのグループには人材がいない。そうなると大阪市長の橋本さんたち地方の動きに期待となるが、今のところは全くの未知数。選択肢がないのだ。

 そろそろ、国家の命運を決める問題は、国民投票に付すことが必要になってきているのではないか。政治家の皆さんも真に力を発揮できる体制にしてほしいし、私たちも任せて文句を言う「お任せ民主主義」から、自分事として引き受けて考える真の主権者になれるのではと思う。 

関東教区「教師教区集会」

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 関東教区「教師教区集会」は、このたび新発足した「神人あいよかけよの生活運動」をテーマにしたもので、 ご本部から担当の布教一部長岡成敏正先生が講師として来られた。いつもなら結構厳しい先生方も、このたびの講話はよかったと仰っていた。

 講題は「神人あいよかけよの生活運動」について-全体的、統合的にとらえれば-であり、本教運動の歩みは、本教立教の意義の確認と押さえ、このたびの運動に関わる「神が助かる」ことの教義的意味と具体的な事例を紹介しつつ、岡成先生自身の信心がほとばしるお話であった。

 岡成先生と私は、金光学園及び金光教学院も同期で同級生。先生は教学研究所に進み、教義的にもまた信仰的にも熱く、その両面を兼ね備えているので評判がよかったのだと思う。「神が助かる」教義的ご内容を安政6年の立教神伝、明治6年のご神伝、明治15年のお知らせに求め、「おかげを知らない氏子(人間)」に「おかげの世界を知らしめる」ことがこの運動の目的と述べた。

 班別懇談も結構盛り上がったようである。さて、懇親会の時であったが、昨日も触れたがY先生が当ブログを読んでいると仰って下さり、信心の価値観と世俗の価値観について少しお話しさせて頂いた。それは、講師が紹介して下さった以下の内容からである。

 それは、武市さんという方が、九州日田教会の堀尾保治先生にお取次を願った内容で、2009(平成21)年に金光教本部教庁から出された『取次を生きる』に収録されている話である。強引に要約すると、

 「九州日田市の武市さんという方が飼っていた馬が病気になった。馬の仲介人が今売れば当時のお金で90円で買うと。しかし、治れば250円以上の価値がある。死んだら一文にもならない。そこで武市さんは、日田教会の堀尾保治先生にお取次を願う。色々とやりとりがあり、先生はこれまで働いてきた8年分の駄賃は800円にもなる。馬が働いて病気になったのだから800円くらいは養育費に充て方がよいと取り次がれます。結果、馬は全快した」とのお話である。

 このお話のポイントは損得勘定の世俗の経済的価値を優先するか、信心の価値を頂くかである。もちろん、このお話は信心の価値からおかげを頂かれた話である。これはこれでよい。

 しかし、Y先生は「例えば会社を経営していて、50人の社員のために5人をリストラしなければならない時にどう応えるか。恐らくは5人の方の立ち行きも祈らせて頂きましょうとなるが、世俗の価値で動かなければならない信徒は、教会に参ったときは信仰の価値、会社へ行けば世俗の価値と器用にはできない」と言う。

 残念ながら、懇親会はそこで時間切れとなってしまい、話は終わってしまったが、確かに私もそう思った。経済の論理と信仰の論理の親和性がある場合はいいが、ない場合も当然ある。その時にどう対応するか。もちろん、具体的な個々の事情を鑑みてのその場その場でおかげを蒙るしかなく、一つの馬の事例を持って普遍化するのは少し無理がある。

 そしてもう一つ思うのは、5人をどうしても切らざるを得ない時のその心の持ちようである。かつて平和集会で「ネセサリーコスト」という言葉を紹介したことがある。これは、イラクに攻め込んだ米軍の現地司令官に、マスコミ記者が「誤爆等で一般のイラク国民に少なからず犠牲が出ているのをどう思うか?」と問いかけた質問にその司令官が「ネセサリーコスト」と答えた時の言葉である。何と「必要経費」ということである。

 人の命が「必要経費」とされてしまう。戦前の日本の軍人の命は、「鴻毛より軽い」と鳥の毛よりも軽いとされた時代もある。つまりは多数のための少数の犠牲は当然視されてしまうのだ。そこには憐憫の情などない。

 私はこの論理にはどうしても組みすることはできない。やはり、5人の方を切るとしてもそれは最大限に尊重されるべきであり、もし本教信奉者の経営者なら、断腸の思い、身を切る思いでの決断となると思う。そこにはお礼、お詫び、お願いが必ずあると思う。 

 Y先生が仰りたかった話の筋とは違ってしまったかもしれないが、また、今度ゆっくりお話したい。とりあえず、関東教区教師集会の雰囲気のご報告まで。

生きてます。(*^_^*)

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 ここのところ、更新が遅れ、誠に失礼。教団独立記念祭参拝、その前日は金光教学院卒業30周年の同期会に参加、当日には学生会OB会役員会、12日、13日と財団法人金光財団の会計監査、そして昨日、今日と埼玉県の越生で、関東教区の教区教師集会があり、それぞれ無事に御用させて頂いた。

 同期会で励まされ、教区集会では思いもかけない先生から「ブログを読んでいるから更新してね」と声をかけられ、光栄の至りであった。今日のところは、とりあえずご報告まで。
 6月3日、午後7時から東京学生寮月例祭が祭主福田光一先生(神奈川教会)により仕えられ、祭典後大要以下の教話を賜った。

 「信者さんで103歳で亡くなられたおばあちゃんは、そのおばあちゃん夫婦のお父さんに当たる方が韓国のソウル近くの鉱山の技師をしており、かつての金光教京城教会の信徒総代であった。息子さん夫婦もこの鉱山で働き、教会にもお参りされていた。

 そしていつも「人が人を助けるのが人間」というみ教えを頂かれ、人を助けるお役に立ちたいと願われ、自分にもできることがあったらと『家庭の医学』という本を片手に、鉱山で働いている方や家族の方を診てあげていた。

 ある時出産に立ち会い、無事に出産できたこともあった。また、ある男性の方がおなかに水が溜まり、呼吸も乱れて危なかったことがあった。何とかして水を拭かなければならない。しかし、尿道から水を抜くしかない。金属では痛すぎるし、柔らかいのは使えない。そこで日本の和紙をこよりにして、ひまし油という油をさして、尿道から入れて水を出し、助かった。そのようなことで地元の方から大変喜ばれた。帰国後、ご主人がラーメンさんをはじめて、95歳まで現役で働かれた。人が人を助ける精神で一生を送られた方である。

 私たちも、人が困っている時に何かしてあげたいという気持ちはあるが、なかなか出せない。また出さないこともある。私はよく道を聞かれることがあるが、どうも穏やかな顔をしていて聞きやすいみたいだ。皆さんも日頃から明るい笑顔で、それには常に和らぎ喜ぶ心をいつも現れるような生き方に心がけて頂きたい。そこから人を助ける働きにつながっていくと思う」。

 次に、このたび気仙沼市五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅の花壇作りに参加した寮生から大要以下のような報告、感想があった。 

 「いいお天気に恵まれ、喜ばれてよかった」。

 「昨年に比べ、住民の方々がより親密になっており、楽しそうに作業されていてよかった」。

 「思ったより花壇の規模を広く考えられたので、若干お花が足りなかったが、非常に積極的で、嬉しい予想外だった」。

 「昨年一緒に作った花壇がその後どうなってるか心配だったが、きれいに花が咲いており、住民の方が『いつもこんな感じなんだよ』と嬉しそうに言って頂き、本当に喜んで頂けたと嬉しかった」。

 「確かに前より元気になったり、仲良くされていたが、話の端々に仮設期限の2年では出ることができない不安を口にされ、明るい表情の裏にも不安があるので手放しに喜べない。しかし、今回こうやって成功したのでこれからも関わって行きたい」。

寮生気仙沼花のボランティア

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 去る、5月26日、気仙沼市の五右衛門ヶ原テニスコート仮設において、第2回目の花壇作りボランティアが寮生ら5人と首都圏ボランティア機構現地代表の嶋田先生、そして仮設住民の方々と共に行われた。

 これは、昨年寮生たちが住民の皆さまと共に作成した花壇からさらに奥側に広げて作成したものだそうだ。残念ながら私は参加できず、また、詳しい報告を今夕の月例祭時に聞かせて頂く予定で、とりあえず、写真だけアップしておきたい。

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