2012年10月アーカイブ

三つの「あ」

| コメント(0)

 少年少女会連合本部が出している『わかば』10月号巻頭言、常任理事の原田恵一郎先生の「一心でなければならない」との記事を読ませていただいた。原田先生は、阪神大震災時に教会が被災されたにもかかわらず、お広前をボランティアの宿泊のために長期間開放されたお教会の先生である。

 8月に実施された第4回少年少女遠征・屋久島プロジェクトの団長として挨拶された時に、朝の御祈念時に心に浮かんだ「あわてず、あせらず、あきらめず」とのお言葉をお話しされた。この言葉が、厳しい登山の時に「参加者の心の支え」になり、「天地に対する畏敬の念」や「支え合って生きるのが人間」など、「多くの体感による宝を頂いた」と書かれている。

 私は日頃から「お陰さま、お互いさまで、お先にどうぞ」という三つの「お」の実践を提唱してきているが、先生にお断り申し上げて、三つ「あ」、「あわてず、あせらず、あきらめず」を付け加えされていただきたいと切に思わされた。

 この三つの「あ」は、まさに人生そのものにも言える言葉であり、特に現在の大学生達にぜひとも聞いていただきたい言葉である。というのも、長引く不況下の中、就職超氷河期時代といわれ、何百社受けても内定がもらえないという信じられない状況が当たり前となってきている。

 当然、学生達は早くからの就職活動を強いられ、あわてざるを得ない。そしていくらがんばっても内定がもらえず、気はあせってばかりである。とうとう、精神的にもまいってしまい、あきらめてしまう。ここのところは実家に寄生したり(パラサイトシングル等)、フリーターのまま問題を先送りにして、「もう無理だ」と最初からあきらめてしまう人も多い。

 これでは完全に悪循環に陥り、自ら不幸に突き進んでしまう。そこで、やはり「あわてず、あせらず、あきらめず」の精神をできるだけ早い段階から身につける必要がある。この屋久島プロジェクト遠征の願いの1つに「社会に出る前に、自主、自立、自助の精神を養う」とあるそうだ。

 東京学生寮も「自主自律をはかり、世界人類に貢献しうる人材の育成」を願っている。原田先生も書いておられる「『あわてず、あせらず、あきらめず』の基礎にあるのは、何といっても金光様への祈りなくしてはなかったようです」とあるように、私の三つの「お」も、その根本のところに金光様の信心を頂いて初めて真に実現していくことができると考えている。

 教祖様は「信心なければ世界が闇なり」と仰った。人間が壊れてきている今日、真に差し迫ってくるみ教えだ。金光教人としての使命は大きい。

寮祭を開催

| コメント(0)

 先日の日曜日、寮祭が開催された。寮の周辺はここ10年で住宅が密集し、寮庭での催しが難しくなってしまった。そこで、ここのところはいろんな工夫をして開催してきているが、今回は高尾山登山となった。

 ところが当日、最近体調を崩している寮生が多かったが、何と4人もドタキャン。きつい山登りなので無理はさせられない。高尾山も山は山で、下から登ると結構しんどい。それでも10数名の参加を得て、頂上を目指した。

 高尾山は、武蔵小金井から中央線で終点の高尾まで行き、そこから京王線に乗り換えて一つ目の高尾山口駅まで行く。3.40分もあればいける距離で近い。そこからすぐのところに登山口がある。

 私が寮監となっての寮祭で、高尾山登山はこれで3回目。前回参加してくれた中国からの留学生で卒寮生のRさんも来てくれた。そのRさんと私と妻の年輩組はリフトで途中まで登る。色々行事、会議が続くので大事をとってのこと。

 途中の展望台で待っていると20分もしないうちに歩き組が登ってきた。さすがにみんな若く早い。そこから神社を経て頂上まで行くが、小一時間かかる。それにしても、すごい人、人、人。前回、前々回よりもさらに多い。ますます人気が出ているよう。

 頂上に着くと、そこも人、人、人。普段なら結構広い場所なのでお弁当を拡げる所はいくらでもあるのだが、この日曜日はもうほとんどない。一番奥の展望台からやや下ったところに砂利地の平地がわずかにあいており、そこで昼食。自分でお弁当を作ってきた寮生姉妹もいて、お裾分けを頂く。なかなか美味。

 聞くと、中学、高校と自分で弁当を作ったとのこと。学園祭で参加できなかったわが娘に聞かせてやりたい。お母様の教育方針だったそう。妻は教育を間違えたと言っているが、すでに遅い。また、中国や韓国では男でも料理ができるよう教えられるそうだ。日本は・・・・・・。 

 帰りは違う道を下る。夕食のさんま、焼き肉パーティのために途中からはみんなケーブルカーで降りた。電車に乗るとさすがに疲れたのか、全員爆睡状態。その寝方が半端でないからおかしくてしょうがなかった。

 さて、寮長の実家、気仙沼からさんまをわざわざ送って頂いたので、本格的に七輪で焼く。これが本当に美味しい。すでに何度も書いてきたが、皮が剥がれないように上手に焼くには、お酢に漬けてから焼けばいい。火の加減等もだいぶプロ並みになってきた。  

 次の日に東京センターで「現代社会問題研究会」があったので早く退散しようと思っていたが、結局日がかわる12時過ぎまでいてしまい、寮生達はまだまだ盛り上がっていた。今年も楽しく開催でき感謝。特に気仙沼のS様、ありがとうございました。

政治問題への対し方

| コメント(0)

 「宗教は、政治問題に関わるな」とよく言われる。特に金光教は、教団や1人ひとりの信奉者のところでもその傾向が強い。政治と宗教の関わりは難しい。国家の宗教に対する干渉を抑えるために、政教分離原則が確立しているほどだ。

 ただ、政教分離を徹底すると宗教は政治に対して「何も言わない、言えない」ということになる。みんな仙人のように人里離れた山奥に住み、浮き世と全く関わりを持たないとなると政治と関わらなくてもいいだろう。

 しかし、社会存在としての金光教団を組織し、また信奉者1人ひとりが現実社会で生きている限りは、本教の教団や特に教師はその社会的存在としての社会的責任がある。つまりは金光大神の信仰の視点からよって立つ主体性の確立である。

 それでも信奉者個々人には、思想、信条の自由があり、いろんな政治的立場があるから本教教師は政治問題に対して発言したり、行動は控えるべきだとの根強い意見がある。もちろん選挙に出たり、具体的な候補を応援したりすることは控えるべきであり、金光教の規則でも禁じている。

 しかし、それでは全く政治問題に関わらないとなるとどうなるか。何も言わないことは、こちらがどう思おうとも、自然に体制やある立場に組み込まれ、結果社会の不正や差別構造を容認してしまう。また、間違った情報に基づき、問題を過小評価してしまい、無関心となる恐れもある。

 以前も書いたと思うが、「主体性の放棄⇒社会的価値観への盲従⇒差別構造を補完⇒教義の枯渇⇒救済力の低下」とつながる。主体性の確立は、「社会的価値を相対化⇒信仰的視点からの新たな価値観の提示⇒教義の展開⇒救済力向上」となるだろう。

 ダライ・ラマは「怒りには2種類」あるという。「悪意からの怒り」と「慈悲からの怒り」だ。時に怒りは必要だ。ただ、その向かうべきところは、自分とは反対の意見を糾弾するといった人に向かうのではなく、構造やシステムを問題としなければならない。

 1人ひとりの思想、信条は大切にし、正義や善意の押しつけにならないよう十分に留意しつつ、信仰の視点から発言や行動していくのが金光教人としての進め方だと思う。もちろん何でもかんでも発言しろというのではなく、「答えてはいけない」問題に対しては、その答えない理由を答えなければならないと思う。

東都大学野球 中大対駒大戦

| コメント(0)

 先日、東都大学野球、中大対駒大戦を観戦した。駒澤大学は、全勝の亜細亜大学に続き、2位。何とかすかではあるが優勝の可能性もあった。

 以前にも書いたが、小金井市在住の金光学園、中央大学OBで私の同級生I君のご配慮があった。中大の野球部マネジャーM君が金光学園の出身。私が駒大戦を見に行きたいと言っていたので、わざわざ電話して下さった。感謝

 さて今年の中大なら、強打でならす駒大が2連勝はできると目論んでいたが、5回になっても全く打てない。ふと、電光掲示板をみると、相手投手は何とあの沖縄出身で甲子園を沸かした島袋君ではないか。とわかった矢先に2点を先取されてしまった。

 ありゃ、これはやばいと思ったが、何とか1点を取り、代わった投手からも1点をもぎ取り同点。これでいけると。しかしそのまま延長に入り、10回表、駒大の先発投手がバテたところを痛打され、2-4で敗退。素人目にも替えた方がいいと見えたが続投。後ろにいないのか。

 私はというと駒大の応援団の真ん中に入り、メガホンをもらって応援した。何と31年ぶり。私の学生の頃の駒大黄金時代を思い出した。校歌や応援歌では涙が出そうになった。

 ただ、当時とはだいぶ様子が違う。あの頃はバンカラ応援団が厳つい顔をして「押忍」とか言って近寄り難い雰囲気であったが、今では六大学並みのチアガールとトレーナー応援団と華やか。応援歌のスピードもアップして応援マーチもよかった。

 内野席後方にはためいている巨大な応援旗を見ながら、細かいところは変化しながらも、30年以上前からずっと伝統が守られ続いている姿に、しみじみと平和を感じながらのひとときを満喫できた。感謝。

10.13さようなら原発集会in日比谷

| コメント(0)

 脱原発を目指す作家や学者が呼び掛けた「さようなら原発集会」が先日の13日(土)、東京都千代田区の日比谷公園で開催され、本教から4名が参加し、もう1人連合会の教師集会を終え、行進最終地点に駆けつけてくれた計5名であった。集会参加者全体は、主催者発表で6500人。
 
__.JPGのサムネール画像 まず、ルポライターの鎌田慧さんの主催者挨拶に始まり。訴え1として哲学者の高橋哲哉東大大学院教授は「国や県、市などの行政は、国民を欺き、見捨て、外国人などの外部者を排除した。これはまさに戦前の国家体制と何ら変わらないあり方であり、これを糾していかなければならない」と訴えた。

 また、「福島から」として、子ども福島ネットワークの森園かずえさんが、「まだ高線量のホットスポットがあちこちに存在する中で、子どもたちに御輿を担がせ、小雨の中をマラソン大会を実施して走らせている。行政も教育界もまるでもう問題が解決したようにとりつくっている。どう責任をとろうとしているのか。福島の子どもたちを守るため、是非協力してほしい」と訴えた。

 続いて緊急アピールとして、「あさこハウス」の小笠原厚子さんが「全国の原発の再稼働、新規稼働を許してはならない」と訴えた。「あさこハウス」とは、青森県大間原子力発電所の建設の話が持ち上がってから35年。土地買収が進む中、最後まで土地を売らず、原発建設を阻止してきた熊谷あさ子さんがその土地にログハウスを建てて抵抗した。その後、不慮の事故で突然亡くなり、 娘の小笠原厚子さんが、「あさこハウス」と命名し、自転車で畑仕事に通い、太陽光発電パネルや風力発電設備を設置し、ライフラインがなくても将来移り住めるように整備を進めているというもの。

 次に訴え2として、大江健三郎さんが、中国の思想家魯迅の言葉を紹介して脱原発を訴えた。「魯迅の言葉で私たちになじみのあるのは、『地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ』というものであるが、これにはその前段がある。『希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ』、その後に『地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ』と続く。私たちが集まって行進をすれば、そこに大きな道ができる。それは希望をつくるということ。しっかり歩きましょう」と訴えた。

__ (8).JPG 閉会の挨拶として、経済界では珍しく早々に脱原発を宣言した城南信用金庫理事長の吉原毅さんから挨拶があった。

__.JPG その後、東京電力本店、銀座、東京駅とアピール行進し、常盤橋公園で解散した。
この前日の毎週金曜日に開催されている脱原発官邸前行動に、本教から3名が参加した。
 

 15時から本部教庁会議室で、金光財団の代表理事に新しく就任した近藤先生からお話を聞く。30分程度のお願いであったが、間接的な依頼のためどこかの手違いで5分程度のご挨拶となった。

 今夜お世話になる光風館の1階の部屋は休憩所となるため、まだ入れない。ふと12月の寮講演会の講師にお願いしている図書館の相賀先生のことを思い出し行ってみると、カバンを持って隣接の教会の御用でちょうど帰るところであった。

 突然であったが引き留めて、急遽12月に開催予定の寮の講演会で願っている「青年が築いてきた金光教をここからさらに現在の青年が新たに築いていくための結集の場とする」催しの講師として、そのポイントだけでもと30分ほどお話くださった。感謝。

 続いて、夜6時30分からの懇親会の買い出しにみんなで「マルナカ」へ。6時30分からは八波ホールで財務部長で運営委員の山下先生にお越しいただき、懇親会を開催した。卒寮生、学生会など関係者も集い、大いに交流を深めた。

 8日、ご本部広前に参拝。韓国からの留学生Cさんが「韓国の金光教にも行ってみたい」と言われた。そういえば昨日、山下先生が金光教韓国ソウルセンター所長の末永先生が来ているとの話をしていたのを思い出し、急遽本部教庁布教2部へ。

 エレベーターに乗ると、何と元ソウルセンター所長の角南先生が入ってこられ、いきなり韓国語での会話が始まった。そして布教2部では運良くちょうど末永先生だけが残っておられ、ご挨拶申し上げた。韓国からの留学生もいきなり韓国語をしゃべる方が現れ、それも2人もいたことに「金光教はすごい」と感嘆していた。まさに「神量らいは奇しくて」であり、全く想定していなかったおかげを蒙ることができた。感謝。

 一行は一昨年訪れた岡山城周辺で開催されている城祭りを楽しみ、夜8時頃に無事帰寮させていただいた。今年も万事のご都合、お繰り合わせをいただき、願い以上の充実した研修旅行とならせていただいた。関係各位に深く感謝申し上げたい。(おわり)  
 
 

7日、8日と寮研修旅行・ご本部金光大神大祭に参拝させていただいた。今回は、昨年四国に赴任したK君を含め14名、韓国からの留学生2名と中国からの留学生1名も参加した。

 今年は「金光教参拝券」による新幹線での参拝。参拝券はキャンセルすると払い戻しがきかない。そこで直前に購入するためにひかり号の自由席に限定はされる。ただ、往きも帰りも始発駅乗車だから早めの行動で席は確保できるのだ。

 7日朝6時20分集合、東京駅8時3分のひかり号に乗車した。早めに出るのは、朝食も昼食も食べる時間がなく、東京駅構内のコンビニに寄るためだ。今年もまた例のごとく、出発時早々から色々とあったが全員無事に座れ、予定通り1時3分に金光駅に着いた。

 金光駅のホームに降りると駅係をしていた寮出身の学院生F君と出会い、知っている後輩達は歓喜の声。祭典は1時30分なので急がせる。まずは光風館の押し入れに荷物を預かっていただき、祭場へと向かう。

 予想通り祭場はもう超満員。いつぞやは本当に入りきれず、会堂広前に設置されたテレビで参拝したこともある。二階席に行くが、廊下部分に畳を敷いて多くの人が座っている。上から見ると1階左側前の教師参列席と合唱団の間の席が少しあいているのが見えたので向かった。

 座ったと思ったら参向が始まった。ギリギリ座れるおかげをこうむり、無事祭典を終え、次に祭場と会堂の間で記念撮影。今年は寮の出身の学院生が5人もおり、また気仙沼ボランティアで知り合った人たちも多く、歩く途中途中久し振りの再会に喜んだ。(つづく)

「世界平和を祈るつどい」企画会議

| コメント(2)

 昨日は、12月のご本部報徳祭時に修徳殿で毎年開催している「世界平和を祈るつどい」の企画会議が東京センターで開催された。このつどいは、金光教非戦平和ネットが中心に金光教平和活動センターの共催と10以上の団体の後援を得て開催している。

 つどいの具体的な内容は、関東圏の非戦平和ネットのメンバーと、つどいの御用をして頂いている教信徒により決めている。昨日はテーマ、構成、アピールする内容などを検討した。

 そのアピール内容について、ある後援団体から「是非原子力発電の問題を取り上げてほしい」旨のお願いがあった。非戦・平和ネットメンバーはいわゆる「脱原発」の考えではあるが、その根拠をどこにおくか、天地の道理など教義的に押さえるか、信心でとらえるか、あるいは一般常識的なところで押さえるか、侃々諤々と意見をたたかわせた。 

 ああ言えば、こう言う向きもあったが、金光教人らしいなあと改めて思ったのは、「私」や「我々」を高見におかず、相手の立場をなるだけ考えようとする姿勢である。

 非戦・平和ネットは、ある望ましい価値を指向し、いわゆる政治的な問題を教内で恐らく一番扱っているように思う。そこには橋下維新の会ではないが、共通の価値観を持ったものが集まっているように思う。普通は一般では、例えば「脱原発」と言えば当然その方向性は決まり、どうそれを他の人に展開していくかを考える。

 しかし、このグループはみんな金光教人である。その発想は、脱原発にも色々あるし、消極的容認派もいるし、推進派の人もいるから、そのみんなが助からなければならない、と考える。それ以前に、まずもってこれまで原発の電気のお世話になっておりながら、また、これまで全くといっていいほど無関心でありながら、急に原発反対はいかがなものかと。

 ある若手の教師が「ここにいる人が全員が、はなから脱原発でいくなら私はここを退席する」と言い放った。正直、最初むっとして、思わずいらんことを言ってしまったが、内心「あっぱれ」と感心した。これでこそ真の平和のあり方であり、戦争にならないあり方だと。その場の雰囲気に流されて自分の意見を押し殺し、結果破滅に向かったのは先の戦争の教訓としなければならないところである。

 この企画会議では、この原子力問題を脱原発、原発推進という対立構図としてとらえず、このたびの福島原発事故を受けて、まずはその現実をしっかりと直視する。そして、私たちの生き方に問題なかったか、反省する点、改めなければならない点はないかというところからアプローチしていき、金光大神様の信心を生きる金光教人として、まずはそのご無礼をおわび、生き方として改まっていこうということにした。

 そこで次回の会議までに、ご無礼とお詫び、改まりについて具体的に文章化し、「脱原発」を掲げてのアピールではなくて、正直にこの企画会議で議論されたポイントをプリントして配布させて頂き、参集者の皆さまに一緒に考えてもらう方向はどうかということで終わった。

 外部から見れば、一枚岩で当然のこととして、主張、行動しているように思われがちだが、毎回議論を重ねながら、正義の押しつけ、善意の押しつけにはならないよう十分に留意しつつ、しかし、主張すべきはできるだけ共感を得て頂く形で努力していると思う。

 ただ、私は根が気が弱いもので、議論となると「弱い犬ほどよく吠える」というところのスピッツみたいにキャンキャン吠えているようになってしまい、相手をねじ伏せようとしてしまいがちになる。深く反省している。早急に改まっていかなければならないが、ついつい熱くなってしまうこと、他意はないのでご容赦願いたい。

オスプレイ普天間基地強行配備

| コメント(0)

 オスプレイ普天間基地配備を県知事が反対し、反対集会に10万人もの方が参加するなど、多くの県民が反対する中で、オスプレイが普天間基地に降り立った。まさかこんなに早く配備されようとは。

 普天間基地には、私と一緒に沖縄遺骨収集に参加したグループの中で初参加の方を必ず連れて行く。沖縄地上戦最初の激戦地となった嘉数髙地跡にある展望台から見ると一望できる。まさに街のど真ん中に滑走路があることが一目で理解できる場所だ。

 その周辺に立地する小学校や中学校は一つや二つではない。その上を容赦なく飛ぶ。世界一危険な空港に世界一危険な飛行体が飛ぶ。その下に住む人々の恐怖の気持ちは察するにあまりある。幾万の人々の命がかかっているのだ。

 これまで沖縄基地問題のあまりの進展のなさにイライラし通しであった。鳩山元総理が「少なくとも県外」と言い放ち、「秘策まである」と言っていた時の期待感は大きく、その結果のあまりの策のなさに唖然としたものだった。

 そしてそれよりも、政治家やマスコミの鳩山前総理への個人攻撃しか脳のないあり方に無性に腹が立ったのを思い出す。誰もその張本人であるアメリカに対してものを言ってないのだ。そのことをぶつぶつ呟いていたら、ある方が「敗戦国だから仕方ない」と言った。

 確かに敗戦国ではある。が、「仕方ない」は納得できない。「仕方ない」はいつも指摘している「ネセサリーコスト」の思想そのものを肯定してしまう。ましてこの問題は数十万の命がかかっているのだ。

 もし、事故が起きて多くの人のいのちが奪われたら、誰がどう責任をとってくれるというのだ。いや、これは責任のとれない次元にある。総理や自民党の総裁はことあるごとに「国民の命を守る」といい格好ばかり言っているが、どこをどう守るというのか。

 「命を守るために命を犠牲にする」は詭弁だ。間違っている。その犠牲になる方に入ってみればすぐわかることだ。「日本国民全体の平和のために、沖縄県民が犠牲になるのはやむを得ない」、これは「アメリカ国民のために、日本国民が犠牲になるのはやむを得ない」と論理構造が一緒なのだ。この論理が堂々とまかり通るのであるから悲しい。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.27-ja

2012年11月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2012年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2012年9月です。

次のアーカイブは2012年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: