「山寒うして花の発くこと遅し」

                                    

東京寮瓦版第23号 寮監閑話 2012.3.1

 
 未曾有の大地震、大津波が東北・関東地方を襲いました。面接に来ていた藤原姉妹とお母さんは家に帰れず、何もない寮室に仮眠しました。また、平石碧海さんは大学試験中に地震に遭い、半日以上全く知らない土地に置き去りにされました。また、気仙沼出身の斉藤理宇さんは、地震後4日間も家族との連絡がとれませんでした。その間、朝の御祈念に10人ほどの寮生がご家族をはじめ被災した方々の無事を願い御祈念したり、少しでも彼女の精神的な負担が和らぐよう彼女に寄り添い、励ましあっていました。ありがたいことでした。

 しかし、被災者の皆さまのことを思うと、その難儀の大きさに言葉もありません。何とか、ここからおかげをこうむられ、もとの生活に戻ることができますよう心からお祈り申し上げ、またできる限りみんなでできることをさせていただきたいと願っています。

 冒頭の「山寒うして花の開くこと遅し」という言葉は、私の師匠の井手美知雄先生が、平成16年の教会長信行会講師としてお話しされた中に出てくる言葉です。これは茶掛けの名言で、山里は春の訪れが遅くて花の開くことのも遅いが、しかし必ず春は訪れる。そして、深い雪が消えると、一斉に花が開き、人々を心ゆくまで楽しましてくれる。人間世界も同じで、なかなかすぐには助かっていかないが、しかし、必ずや助かりの世界が開けるから、難儀な時には人と人とが助け合って幸せになってほしいとその神心を頂く言葉としていつも見える位置に掲げております。

 このたびの震災で、お子さんやご家族を残されて亡くなられたみたま様は、どうかここから元気で幸せになってほしいとそれこそ必死で、切に願っておられると思います。まさに神心だと思います。また、津波に巻き込まれ、お子さんの手をぎりぎりまで握っていながら離してしまい、お子さんを亡くされた母親は、なぜ自分ではなく子供が死んでしまったのか。わが子を死に至らしめてしまった罪悪感で苦しんでいます。なぜ私じゃなくて息子なのか。できれば私が代わってあげたかったという心情、この親心がまさに神心だと思います。

 寮生の皆さまも、この人を思うこと人後に落ちないほどの神心を頂いて、ここからの寮生活、学生生活の上でおかげをこうむり、寮の精神である「あいよかけよで立ち行く世界顕現への不断の努力」に生きていただきたいと願っています。