本教信仰の立場から何が言えるのか

                             私は、以下の3点から本教の信仰の立場は「非戦・非暴力」であり、その立場から3点の内容となる「平和の大切さ、いのちの尊さ」を発信し続けるべきだと思います。

1 平和とは「いのちの立ち行き」と「そこに笑顔があること」
 平和とは、「すべての1人ひとりが共に、創造的で豊な人生を生き生きと生きている状態」であり、「生きがい」と「やすらぎ」が絶えず創出されて、一言で言えば、そこに笑顔であります。
 ゆえに平和とは、ある時がくると静的に存在してるかのようなイメージではなく、時々刻々と築いていくものであり、平和は目的ではなく、「共に生きていく」ための手段なのであります。

2 平和への大原則
 その平和実現していくためには、5点が必要不可欠です。

1 世界・人類が抱える課題は、武力や軍事力では解決できない。
2 そこに軍隊があるから危険なのである。
3 軍隊の教育は、相手を人間と見ないところから始まる。人間性を否定せざるを得ない 戦争や軍隊は認められない。
4 いのちの手段化は、認められない。
5 非戦・非暴力。

3 金光大神様の倫理観、平和観
「人を殺さないと言っても、心で殺すのが重大な罪である」との教えは、人を殺すなという国家や一般の倫理規範よりもさらに高い倫理規範を、信奉者1人ひとりに要請されているのではないでしょうか。ゆえに、ここからは戦争は絶対悪であって、「平和のための戦争」という考え方は出てきません。
 「たとえ人にたたかれても、けっして人をたたいてはいけない」も非戦・非暴力の行動規準だと思います。
 また、教祖様の戦争観で必ず出てくる金光教教典理解2石原銀造の伝え(438頁)にある奥州戦争にふれたご理解があります。これをもって教祖は戦争を認めていたのであり、戦争は必要悪として認められるという主張があります。 
 確かに教祖は戦争へ「出てやれ」と言っているが、「向こうが逃げるから危ないことはない」と戦えとは言っていません。もし教祖広前に官軍でも幕府軍でも攻め込んだときに教祖はどうされたでありましょうか。その一点を考えれば、自ずからの行動規準が決まってくるのではと考えています。

・本教の信仰実践として何が出来るのか
 信奉者個々人が、その持ち場立場で意識的に展開していくのが基本。そのエネルギーをさらに強くしていくためのネットの構築が必要。すでに行われているそれぞれの実践を反省的(改めての再評価)に捉え直し、有機的につながっていくことが望ましいと思います。

・イラク戦争の是非に関して
言語道断
○国際法等の違反
○ガンマンの正義、つまり「相手にぬかしてからこちらがぬく」という自衛や正当防衛の根拠も問題があるが、それすらも遙かにこえて、「寝ているすきにやっつける」という先制攻撃は到底認められない。
○果たしてあらゆる外交手段を放棄して、戦争に訴える理由があったのか。ない。
○テロとの戦いが、テロの拡散、憎悪連鎖を引き起こした。

対案 2005年の政党政府樹立を目指して、暫定国民会議の土台を確保した上で暫定政権を樹立する。アメリカは一旦退いて、全国際社会が参加しての国連中心で復興する。

・自衛隊イラク派遣に関して
反対、撤収すべき。
理由
○「アラブの国々との関係」−もし、イラク人を殺してしまうことになれば、今までの信頼関係が一気に崩れ、敵になってしまう。
○「イラク人の声」−ニーズは支援であって軍隊ではない。
○「危ないからでなく、危なくするから行くな」−戦争直後から活動を続けているNGOの方たちは一応に、自衛隊が来たからよけいに活動がやりにくくなったと言っている。
○「真の貢献ではない」−政府がいう国際貢献を本当に有効にしたいのなら、自衛隊ではだめ。この1点をしても自衛隊派遣は貢献でなくて、他に理由がある。
○「費用対効果」−隊員1人の1か月の給与は約75万円。これであるNGOグループは中古バス1台、抗ガン剤1か月分、事務所のネット通信環境が整ったといいます。どちらが有効か明らか。
○「戦争も辞さない宣言」−派遣自体が日本の安全保障政策の転換であり、今後はアメリカと共に国際社会に犠牲と責任を果たすべく「戦争も辞さない」と内外に宣言してものである。もし、北朝鮮にアメリカが戦争を仕掛けた場合、日本はもう断ることができなくなってしまった。

対案 自衛隊はあくまでも防衛のための組織。国境警備隊に改編し、漸次縮小する。国際貢献などの新しい動きに対応するため、防衛庁、赤十字、警察、消防庁などから別組織として国際緊急援助隊を創設。

・憲法第9条問題に関して
改正反対。
理由
○「人類史的価値」−人類史的価値のある平和主義を本当に捨て去ってもいいのか。
○「現実的要請」−テロという相手の見えない戦争を強いられている中で、これまでのような強力な軍隊をもっていても役に立たない。憲法9条はそうした現実に照らしてみても、有効であり、現実的な意義をもっている。
○「平和主義のさらなる後退」−「平和主義のためにこそ、9条を改正して、許される軍事行動の範囲を新たに確定すべきだ、その方がはっきりして、軍事的な歯止めもかかる」との意見があるが、しかし、これは本当の現実をみると非常にあまい。
○「軍事優先国家」−有事法制等に見られるように、何事も軍事が優先し、住みにくい世の中になる。
○「普通の国はただの国」−普通の国になれというが、数年に一回は必ず戦争をやっている国に本当になるのかどうか。その覚悟があるのか。
○「軍拡競争の誘発」−9条の平和主義で周辺諸国に安心感を与えてきた。その効果を減殺するのは得策ではない。

対案 アジアを包括する多国間安全保障体制の強化を目指し、将来的に漸次非武装化を進める。人道的、文化的貢献に徹し、人間の安全保障を推進。攻められない国造りを目指す。                

『せんそうはやめてください』 2004.12.10 53頁