金光教について

金光教は、「取次(とりつぎ)」を通して、神と人、人と人、人と万物が「あいよかけよ」で共に助かり立ち行く世界の実現をめざす宗教です。
「あいよかけよ」とは、神と人とのあるべき関わりを示した言葉で、人は神の願いを受け、真実な生き方を求めて立ち行くことになり、神もまた、人の真実な生き方によって、その働きを人の世に現すことができ、神も助かるということを表しています。神と人との「あいよかけよ」を基本にして、人と人、人と万物との間にも、同様の「あいよかけよ」が成り立ちます。人間の助かりをどこまでも願われる神様のお働きに気づき、日常生活の中で、神様とともに生き、身をもって神様のお働きを現していく生き方を、金光教では日々求めています。

※更に詳しい情報は金光教公式ページをご参照ください。金光教公式ページ

金光教勝浦教会では、毎日の御祈念や祭典で、世界の平和と人類の助かりを祈願するとともに、以下の御祈念文をお唱えして、信奉者の助かりと立ち行きを日々願っております。

勝浦教会御祈念文
天地・宇宙・万物を守り整え、幸(さきわ)えたまう天地金乃神様 生神金光大神様。歴代金光様、教主金光様、和歌山親教会澤井澄一先生、関係取次者の先生方、ありがとうございます。どうぞ本日も神様、金光様へ届く一心なる御祈念を、真心込めてさせて下さい。

今月今日、勝浦教会信奉者、関係者一同、今日の命を頂き、身心健康のおかげを蒙り、万事にご都合お繰り合わせを蒙っておりますこと、もったいなく厚く御礼申し上げます。

万事のご無礼、お粗末、不行届、お気障り、先祖代々からのご無礼、内外心(ないがいしん)の愚(ぐう)お詫び申し上げます。

この上とも御命御守(おいのちおんしゅ)、心身健康、快食、快眠、快便、身上安全、無病息災、病気平癒、寿命長久、安心立命、死生安心、末代繁盛、交通安全、経済安定、御用、仕事、勉学成就のおかげを蒙り、不法侵入、不法投棄、盗難、不審火、過失火、施設破損なきよう、それぞれの信心生活の上におかげを蒙らせて頂き、大難は小難に、小難は無難に、大病は小病に、小病は無病息災におまつりかえ頂きますよう、御礼・御願い申し上げます。

ことに、現在心身の調子を崩しております関係者一同、どうぞ全快のおかげを蒙りますよう、御礼・御願い申し上げます。

そして、これからどのような問題が起こりましても、天地に生かされ、神心を頂く神の子として、その問題を神様がお差し向けくださいました事柄と受けさせて頂き、祈りと改まりを欠かさず、信心の成長をさせて頂けますよう、御礼・御願い申し上げます。

「神人共に生きる心得」

一 神様は決して無駄事はなされない。
一 何事も神様にさせて頂く気持ちになれ。
一 過ぎた事をくよくよ思わず、今日を喜び、明日を楽しめ。
一 出来ぬ事に不足を言うより、出来たことに御礼を申せ。
一 感謝の心から喜びは生まれ、喜びの心からわが心に神が生まれる。
一 わが心が育つような、信心の辛抱をさせて頂け。
一 お道の信心を伝え、お手引きをさせて頂け。

「教祖み教え」

一 お天道様のお照らしなさるのもおかげ。雨の降られるのもおかげである。人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである。

一 信心する者が、喜ばない、つらい顔をして日を過ごしてはならない。天地の親神を信心するのであるから、天地のような広い心にならなければならない。

一 心配は、信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。心配する心を神に預けて、信心する心になれよ、おかげになる。

一 神のおかげは、生きているから死んだからではない。いつも受け通しである。

一 身心(たい)の丈夫を願え、身心(たい)を作れ、何事も身心(たい)が元なり。

どうぞ本日一日、当たり前のことを当たり前に思い、不平、不足の心で人を責めてしまうあり方を改め、「当たり前の事にありがとう」と言える信心に、「足らない所を責め合うのではなく、足らない所は足し合う」信心へとお引き立て蒙り、神様、御霊様のお役に立つ御用にお使い頂けますよう、万事にご無礼、過ちなきよう、最善の道へとお導き下さり、万事のご都合お繰り合わせ、安心・立ち行きのおかげを蒙りますよう、御礼・御願い申し上げます。

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