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武力によらない真の平和へ 1945(昭和20)年の平均寿命・男24歳、女37歳 東京寮瓦版 NO.19 寮監閑話
20世紀世界では約2億の人たちが国家、戦争によって殺され、日本では太平洋戦争だけで310万もの人たちが殺された。首標の敗戦の年の平均寿命も驚くべき数字だ。それから僅か60年余り、またぞろ日本は軍靴の足音が響き、暴力の連鎖へと足を踏み入れようとしている。武力によるしか平和は保たれないと考える人たちは「現実をよく見ろ」と有事法制も紛争解決の手段としての武力行使も認める。果たしてそれでいいのだろうか。本当の現実や歴史の記録を見て頂きたい。

 まず有事法制だ。今、海を越えて日本国土に侵攻する能力を持っている国はアメリカただ1国。また都市化が進んだ日本では地上戦などできないのが現実である。事が起こったときにはすみやかに国民を避難させるというが、この狭い国土で1億人もの国民をどこにどうやって避難させようとするのか。この有事法制定は、日本は法治国家であるので超法規的行動にならないようにするためという。それならば政府や自衛隊が遵守すべき法律にしなければならないのに、国民に義務や制約を課すものになっている。法治主義というのは国民が法を守るのではなくて、政府が国民に対して権力を発動する時に法に従わなければならないという意味をもつのだ。

 国会で憲法9条を持ち出すと嘲笑される姿を見ると、本当はあなた達が守らなければならないのだと怒りを覚える。もし国民が同じように憲法を侮ると権力の暴走というしっぺ返しを食らうだろう。戦前は300もの戦時法があったにもかかわらず悲惨であった。沖縄戦のように世界の戦死者の多くは自国軍隊に殺されたという。現在でもアフガニスン、パレスチナ、イラクや現在の沖縄のように、国家の安全のために市民の安全・自由が犠牲になっている。軍隊を放棄した憲法持つ南米「コスタリカ」は、日本とは違い、軍は自国民を守らないという理由で憲法を制定した。陸上自衛隊の幹部は「自衛隊の任務は国家を守ること。国民を守るためにあると考えるのは間違っている」と言い切る。本当の現実は軍隊があるからこそ危険なのである。

 次に武力行使による紛争解決である。ここには「無辜の人々がなぶり殺しにされているのに何もしなくてもいいのか」という非常に重い問いがある。平和は武力によって保たれ、正義は武力によってこそ実現されるという立場に立つ人にとっては何の難しさもない。ただそれで本当に解決されるのか。4つの問題提起をしたい。

 1つは、武力行使による紛争解決は不正な戦争と正義の戦争があることになるが、それを誰がどうやって判断するのか。ユーゴ空爆ではセルビアのアルバニアに対する迫害、殺戮のために介入したがその逆も頻発した。米のイラク攻撃も果たして正義といえるか。

 2つには、そのような中で力で押さえ込んでもその力が弱まれば反撃を食らう。「やられたらやり返せ」、「やられる前にやっつけろ」、かくて暴力の応酬は続く。世界最強の軍隊を持ち、世界最新の防御システムを敷いているアメリカでさえ「9.11事件」を防げなかった。自死覚悟の自爆攻撃は強力な武力をもってしても防げない。

 3つには、放っておけば多数の犠牲者が出るので少数の犠牲者はやむを得ないという考え方だ。これも多数の犠牲者が絶対に出るということを誰がどう判断するのか。またこの論理は「救命艇の倫理」につながる。それは、おぼれかかっている全員を救命艇に乗せたら救命艇が沈没してすべての人が死んでしまうので、一部の犠牲はやむを得ないというものだ。武力による正義の立場からはいとも簡単に強者は正義で生き残り、弱者は悪で死ねとの論理となる。先に述べた国家の安全のために市民が犠牲になるという構造にもつながる。私はこうした犠牲による平和享受はどうしても落ち着かない。それが真の平和だろうか。

 4つには、過去の武力介入がほとんど失敗したという事例からいっても、各国の国益や利害が絡む中で救援するという純粋な形での武力介入による正義の実現が本当に可能であるのかどうか。そもそも武器を大量に生産し流したのは誰か。そこに武器があるから単なるけんかも大事になる。それを押さえるのにさらに強力な武器がいる。際限なしである。