Home > 11月, 2017

東京学生寮10月、11月の月例祭・食事会

10月14日、11月4日、東京学生寮10月、11月の月例祭・食事会を開催した。祭主、教話はいずれも辻井寮監。ここのところ、下記の「辻井寮監教話資料」を配付し、保管してもらい、その都度確認して頂いている。10月はことに「ご都合、お繰り合わせ」について、11月は「真の自由、自立とは」についてお話しした。

10月の食事会は、熊を研究しているM君の2回目の熊料理と、〇〇〇?の焼き肉。かなり獣臭く大好きな人と苦手な人にきれいに別れた。あとゴボウと芋サラダと厚揚げの煮物を頂いた。

11月は、これは食事会20数年の歴史の中で初めての本格「にぎり寿司」、「いなり寿司」、「韓国海苔巻」とエビ、野菜各種の天麩羅であった。その他、煮魚、インゲンのサラダ、野菜サラダ等。にぎり寿司は寿司屋でアルバイトをしているI君がその場で実演。天麩羅はT君の部屋で揚げてもらい、その揚げたてを頂いた。美味、感謝。

〇金光大神の信心に基づく「自立的自由人」の道の道たる道(金光教東京学生寮辻井寮監教話資料)

御取次を頂き 神様のみ心のままに 神様の願いに生き
すべてを神様に すべてに神様を現し

神様のものさしをもって

「お蔭さま」 「お互いさま」 「お先にどうぞ」
の三つの「お」の精神で

自分の思い通りではなく 本然のいのちが承服する
万事にご都合お繰り合わせを頂く 願い通りのおかげが展開する道である

〇「自立的自由人」
自立 自分は1人で生きられないと悟るところに真の自立がある。
「独りでないから1人になれる」 自立⇔依存  自立×孤立

自由 わが身はわが自由にならないと悟るところに真の自由がある。
「自由は自由にのみ拘束される」 自由⇔不自由 自由×放縦

自由とは、「したいことをするのではなく、するべきことをすること」。
日本人→「したいことができないこと」「しなければならないことをさせられる」
ことを不自由と思っている。

自立的自由人 「したいこととするべきことが一致している」。
「will・can・must」⇒「自分がしたいこと・できること・しなければならないこと」

「自由・自立」の反対概念⇒「抑圧」、「差別」、「排除」、「疎外」、「妥協」、「逃避」、「放棄」

〇「神様のものさしと人間のものさし」
人間のものさし⇒目盛りがある⇒見える世界 ⇒有用価値(二分法、二尺択一)
神様のものさし⇒目盛りがない⇒見えない世界⇒存在価値 (あるがまま)

「人間のものさし」は目盛りがある。ゆえにそこに「長・短」、「大・小」、「上・下」、「優・劣」など価値が生まれる。するとその価値を比べて悩み、不平、不満、愚痴、不足、妬み、そねみの心を持ってしまい、役に立たないものは差別したり、排除してしまう。
「神様のものさし」は目盛りがない。測りようがない。だから測れない。つまり比べないこと。神様のものさしで計るということは、比べずに全ての存在を大切にすること。だからこそ測らない。目盛りがないから比べようがない。

〇「見えない世界を知らない現代の不幸」
もちろん人間のものさしも必要で、これがないと世界は成り立たない。しかし、この世界は目に見える世界ばかりではなくて、目に見えない世界でも成り立っている。特に現代社会は目に見えるところだけしかないとしてしまったために様々な歪みが生じている。
そして見える世界の事柄を比べることからあらゆる不幸が始まり、ことに現代人の悩みの全てが人間関係にあると言われ、あらゆる不幸は人と比べることから始まっている。

〇「神様のものさしを持つ方法」
1 思い込み、固定観念を解くために常識を疑う。目に見えない世界は疑うのに、目に見える世界は疑わない。これは逆。目に見える世界を疑い、目に見えない世界は疑わない。
2 視点をずらす。時間、場所、空間。
3 複眼的に見る。逆も真なり。

〇「おかげ様」
ものごと「それ常識じゃん、それ当たり前」と思うところに感謝の心は出てこない。実は当たり前にあることは当たり前にあるものではない。気仙沼でのボランティアで、ある被災者の方が、「地震前の暮らしは、夢のような生活でした」と仰った。その当時ボランティアに行っていた寮生たちは、東京にいる自分たちは「夢のような生活をしているんだ」と当たり前のことが当たり前ではないと実感した。私たちは失ってはじめてものの大切さ、事柄の大事さを知るが、失う前に当たり前はないと思い、「おかげ様」のこころで感謝していく。

〇「お互い様」
今の若者たちはまじめで誠実な人が多い。完璧主義で何でも100%を目指す。ただ、それが他者の期待に応えよう、認めてもらおうとするあまり、いつの間にか他者の人生を生きてしまっている。そして期待に応えられなくなると落ち込み、心を壊す。所詮人間は弱い存在で100%は無理。だからこそ、足りないところを「お互い様」と助け合うことが必要。お互い様と思えば自分に完璧など求めないし、相手にも求めない。人も100%信頼してはいけない。98%信頼して、あとの2%は相手が間違った時の許しのためにとっておく。人間は不完全なもの。それなのに100%信頼するから許せなくなる。100%信頼した関係はかえって壊れやすい。

〇「お先にどうぞ」
エレベーターの前で「お先にどうぞ」と言うのは難しくない。しかし「タイタニック号、最後の救命艇、最後のシート」を前にして、「お先にどうぞ」と言うのはそれほど簡単ではない。現実になった時にどうするかはわからない。この問いはそれを問うているのではなく、生き方の問題。もしそれまでの人生、悔いのない、やり残したことのない生き方をしていれば「お先にどうぞ」と言えるはず。つまり、その時、その瞬間を丁寧に生きているかどうか。
よく「なぜ勉強するのか?」との質問に「いい大学に合格するために」、「いい会社に就職するため」、「将来立派な大人になって幸せになるために」と言う。しかし、これでは高校や大学の勉強は単なる準備期間、手段となってしまい、その価値を失う。ここでも将来と今を比べてしまっている。人間にとってどんな世代もどの瞬間もその後の人生のためにあるのではなくて、今月今日に価値がある。この究極の「お先にどうぞ」を意識していれば、普段の生活で少々後れをとっても「お先にどうぞ」と言いやすく、人と比べて悩むこともなくなる。

〇「本然のいのちが承服する」
天地万物一切が、その本分を尽くし、その生を全うし思い残すことのない世界を求める。
自分のために他を利用するものでもなく、他のために自分を犠牲にするのでもなく、自他もろともに、天地人生の全体が生甲斐を感じて幸福であり得るような世界。

〇「自分の思い通りではなく、願い通りのおかげ」
自分の思い通りにならないこと。「苦悩」、「難儀」⇒神様からのメッセージ=御神願
⇒自分を成長させてくれる材料 試練 必然的偶然 そこに必ず意味がある。
今どんな境遇にあうとも、どんな人生にも意味があり、あなたを必要としている誰かがおり、「願い」がある。それをあなたに発見されるよう待っている。あなたもそのためにできることがある。どんなに苦況にあっても投げ出す必要はない。「思い通り以上のおかげ」

根本道理 「当たり前のことが当たり前ではない」
お道の信心を一言で言うと、「当たり前のことに、ありがとうと言えるようになる」こと。