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日米に利用されないで

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 「家族は人間として生まれたが、人間らしい死に方はできなかった。生き残った私も、生き地獄を味わった。沖縄の子どもたちには、私たちのような経験を絶対にさせたくない」
 
 沖縄戦で両親を失い、結婚して立ち直りかけた直後、今度はベトナム戦争に従軍した米国人の夫を亡くした勝江ガーナさん(76歳)の言葉である。

 叔母は米軍の艦砲射撃で、母は現南城市の壕に避難中米軍の攻撃を受け死亡。南城市の壕といえば私たちが毎年訪れるアブラチガマと呼ばれる糸数壕があるところだ。さらに父は委任統治領だった太平洋の島国パラオで米軍の空襲で死亡。

 戦後、生き地獄の中で精神のバランスを崩した。高校を卒業後、米陸軍パラシュート部隊所属のドナルド・ガーナさんと結婚、渡米した。ところが、過酷なベトナム戦争で精神を病んだドナルドさんは、帰国後37歳の若さで自ら命を絶った。 

 渡米後、沖縄には一度も帰らなかったが、沖縄戦の民間被害者が起こした集団訴訟の原告団に加わる。沖縄慰霊の日に「平和の礎」を訪れた勝江ガーナさんは、集団的自衛権容認にも「沖縄を二度と戦争に巻き込まないで。日米に利用されないで」と訴える。 

 勝江ガーナさんの重い言葉、切なる願いを私たちは重々受け止めなければならないと思う。
           6月23日付『東京新聞』夕刊9面参照

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昨年訪れた対馬丸記念館、死亡児童の碑に天皇皇后が訪問したことには驚いた。いま沖縄はまた本土の砦にさせられることを恐れている。二度と同じ過ちは犯してはならない。

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