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東京学生寮7月の月例祭

7月2日、集会室において運営委員の田中美和子先生(練馬教会)御祭主のもとに月例祭を執り行い、後掲の教話を頂いた。その後、久しぶりのお茶会をもって懇親を深めた。

「ただ今は、金光教東京学生寮7月の月例祭を共々にお仕えさせて頂き、有難い事と存じます。東京寮の運営委員としてご用をさせて頂いております練馬教会の田中と申します。どうぞよろしくお願い致します。
皆さんには長引くコロナ禍、学校生活や寮生活においても制限がかかる状態で、不自由な思いをされていると思います。しかし、何かと不自由な生活にあっても季節は巡り、春には春の秋には秋の草花や樹木が茂り、季節毎に旬の野菜や果物がお店やスーパーに並び、私たちの命の元になる食物として頂くことができています。これは天地の間に生きるもの全てを育んで下さる天地自然の働きのおかげであり、金光教ではその働きを天地金乃神様として、日々感謝の気持ちを持って過ごさせて頂いています。生きづらく不自由な生活の中でも、食べられ生活の場があることに目を向けることが大切だと思います。
困難な状況に出遭ったり、問題が起こった時に、それがなくなりますようにと祈ると思います。私も今回の新型コロナウイルスが発生した後、当たり前ですが、これ以上感染者が増えませんように、家族や身近な人が感染しませんように、早く収束しますようにと毎日祈りました。1年もすれば収まるだろうと思っていましたが、そう簡単ではないですね。6月末の集計では日本国内で932万人が感染し、3万1200人がお亡くなりになっています。世界中が混乱に巻き込まれてしまったわけです。ただ問題がなくなるようにとお願いするよりも、その問題を乗り越えられる自分になれるよう願いました。感染者への偏見や差別をしないとか、不要な外出はしない。感染予防を徹底することに努めました。困難なことや問題にばかりとらわれない生き方に変えていく、変わっていくことが必要だと思います。ワクチンの開発など人間の知恵と技術によって、ウイルスと共生していくことが必要だと今はWITHコロナの時代に入っています。
人間関係においても、例えば人と意見が合わないとか、不足不満に満ちた人がいたとして、その人を排除してしまえばそれで楽になると思いますが、排除された側はより反発が増して、前以上に反発の度合いが強くなってくると思います。ウイルスは言葉を話しませんが、人間同士なら話をし、時間をかけて和解し理解し合うことはできます。
世界に目を向ければロシア軍によるウクライナ侵攻が収まらない状況です。長期化されると言われています。町や建物が破壊され、自然環境が破壊されていく映像を目にすると、余りの残酷さに心苦しい思いがします。これ以上一般の人々、子ども達に影響が及ばないようにと思います。プーチン大統領による発言や情報統制によって、ロシア国民も混乱状態だと思います。自国の国民のために、他国の子どもや一般の人の命を奪っていいはずはありません。先程の人間関係の話のように、国と国においても時間をかけて話し合いで解決ができるといいのですが、そういう状態ではないようで、益々孤立してしまうようで不安が募ります。
金光教では7月には東京、広島、山口、長崎で「世界の平和と人類の助かり」を願って、平和集会が行われます。学生寮の皆さんも毎年企画に携わって活躍されていますね。今年は7月17日に「国際法と戦争」というテーマで行われます。21年前になりますが、2001年に女性教師のグループとして、企画に参加させて頂いたことがあります。その年は「戦争・紛争・平和実践」というテーマでした。カンボジアに焦点をあてた企画でした。カンボジアは1975年からポルポト派による独裁政権で、知識人や教育者が虐殺されました。眼鏡は知識人のシンボルということで眼鏡をかけている人は真っ先に殺されたそうです。学校や寺院や農地も荒らされ、多くの人の命や自由が奪われてしまったのです。1991年まで続き、2000年以降は少しずつ都市部は経済状況も安定したようですが、農村部ではストリートチルドレンや児童労働者や人身売買が増え、罪のない子どもたちにしわ寄せがいくことになり、教育を受ける場がなくなり、貧困や飢餓の問題が著しい状態だったということを学びました。
平和集会での学習を経て、私たちに何かできることはないかと話し会い、教育の場を奪われた子ども達にクレヨンを送ろうということになり、まずは関東教区の教会や信者さんに声をかけて、クレヨンを収集しました。内戦で地雷が埋められ、未だに撤去されず不幸にもその地雷の犠牲になって足をなくしたという人がいます。「地雷の数だけクレヨンを」というキャッチフレーズで「クレヨンをおくる運動」という名前で会を立ち上げ、クレヨンをはじめ鉛筆や色鉛筆、ノートやその他文房具の収集を始めました。使い古しのクレヨンを丁寧に汚れたところをカッターナイフで削って、改めて小さな紙で包んで、その紙にはクメール語で「夢・友達・希望」とメッセージが書いてあります。月一度の作業ですが、現在まで20年続けています。金光新聞に活動を紹介して頂いてからは、全国の教会や信者さんから使いかけのものや新品の文房具を送って下さる方があり、たいへん有難く活動が続いています。できあがったものは年に2回船便で現地へ送っています。「クレヨンを送る運動」よりも以前から「絵本英訳の会」があって、その団体が絵本を送っておられたカウンターパート(受け入れ担当者)のかたを通して、学校や施設の子ども達に渡してもらっています。私はまだカンボジアを訪れたことはありませんが、代表の先生と信者さんは実際に現地の小学校を訪問して、子ども達にクレヨンや鉛筆を手渡しに行かれました。都市部はもう安定した生活ができていますが、農村部ではインフラも十分ではないし、衛生面もよくない状態だそうです。農村部にある家に一泊されたそうですが、井戸はもちろんありませんから顔を洗うのは大きな瓶に入った水を使うそうですし、トイレは家から離れていて懐中電気を持って歩いて行って、もちろん水洗ではなくて大きな穴が掘ってあるところで用を足す状態だったそうです。貧富の差を目の当たりにしたと言われました。
平和ならざる状況とは戦争紛争だけではなく、環境問題や差別やいじめの問題など様々です。宗教としては助かりを祈り、立ち行きを願うことが欠かせないわけですが、平和を願いながら実践へとつなげていくことが大切だと思います。20年以上前の平和集会の企画をきっかけにカンボジアの歴史を学び、その事実を知ることで活動が始まりました。信者さんを含め、十人前後で作業をしていますが、雑談をしたり、時には戦争体験のお話を聞いたり、充実した時間でもあります。
日本では、11年前には東日本大震災がおこりました。被災された方の、震災以前の暮らしは夢のようでしたという言葉を聞いて、毎日の生活は当たり前でないということですね。今の私たちは戦争も災害もなくて平穏に暮らせる。医療も受けられるし、家があって布団があって寝られるし、蛇口から水が出て、食事ができる。とても凄いことですが、普段何気なくすごしていて、その有り難さに気づけないすね。これは当たり前ではなく、凄いこと有難いことだと思って下さい。
教祖のみ教えを紹介させて頂きます。
「人の身が大事かわが身が大事か。人もわが身もみな人」
「人が人を助けるのが人間である。人間は子どもがころんでいるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちているのを見て、すぐに引き上げてやることができる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助ける事ができるのはありがたいことではないか」
気の毒だなとか、かわいそうだなという心は誰もがもっていると思います。その心は神様が人間に授けて下さったものだと教祖は教えて下さっています。その心が実際に発揮できるような実践、行動を起こすことが神様がお喜びになることでもあると思います。最後に私が最近とても気に入っている言葉で、ある教区の作られた掲示板といって、教会や信者さんの玄関先に掲げて道行く人に読んでもらうためのものです。その中でとても感動した文を紹介してお話を終わりたいと思います。
「目」は人のよいところを見るために使おう。「耳」は人の話を聞くために使おう。「口」は人を励まし感謝を言うために使おう。「手足」は人を助けるために使おう。「心」は人の痛みがわかるために使おう。」 以上