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第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 5 2006年2月

 昼食を頂いて休憩していたとき、中澤さんが風葬のお墓がすぐ近くにあるということで案内してくれた。風葬とは、死体を地中に埋めずに樹上や地上にさらし、風化させる葬法。砂浜から山には入り、10メートルほど登った山肌にそれはあった。

 横2メートル、高さ1メートルほどの穴を除いてみると、もうすでに人の形はなしていないが、きれいな頭蓋骨などが無造作に置かれていた。まさにそのままおいているという感じ。その横に直径30センチ、縦1メートルくらいの瓶がおいてあり、その中にご遺骨が入っているとのこと。

 そこから数メートル離れたもう一つの穴には、5個ほどの同じような瓶があったがこちらはすべて割れており、中にうす緑色でなにやら光を放っているかのごとく見えるご遺骨がはみ出すように並んでいる。非常に幻想的である。しかし、瓶が倒れたり、粉々に割れていたり、どうしてこんな状態になったのか。自然な状態では到底こうはならないだろうと疑問が深まるばかりであった。

 このお墓は20回以上参加されている方も初めて見たとのことだった。例の教外者の若者4人も見た瞬間「おー」と声をあげたきり、立ちすくんでいた。自然と人間の厳格さの前に言葉もない様子であった。 (つづく)

第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 4 2006年2月

 あっという間に時間が過ぎ、12時近くになってきた。そろそろお昼だろうと一人海岸線を集合場所に戻っていると、波打ち際から20メートルくらいのところにある岩肌の下に中澤さんがいる。初めて参加の若い衆になにやら説明しているようだ。

 近づいてみると砂浜に機関銃の弾丸が無数に散らばっており、岩肌には大小穴が開いている。波でできたものと思い込んでいたが、よく見ると弾丸でできた穴もある。何と10センチほどの長さの弾丸が数カ所突き刺さったまま残っていた。60年前そのままである。

 私はあの「ひめゆりの塔」の映画を思い出した。この場所は、看護婦として徴用された女子学生たちがいよいよ追い込まれた場所である。最期の最期までつきあわされ、あげくが「解散命令」という何とも訳のわからない命令で放り出された。ほとんどの女子学生たちはその命令の後に亡くなっている。

 今まさに立っているこの場所、日本軍に見捨てられ、アメリカ軍に地上から追い込まれ、海岸には無数の敵艦隊がいたというこの場所で、何もと隠れようもないぎりぎりのこの場所で、何を思い、何を信じて死んでいったのだろうか。立ちつくすのみである。(つづく)

第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 3 2006年2月

 今回初めて参加の大矢さんにも「すぐにはぐれてしまうから気をつけて」と言っていたにもかかわらず、もう、5分、6分たたないうちに見失ってしまった。ここはなぜか声も通りにくい。呼びかけても全く返事がない。「上に行くな」との指示があったのでさほど心配はしなかったが、やはりいなくなると不安になる。

 私は山ぎわの淵を横へ横へと進もうとするが、これが岩盤やとげがある大きな植物に阻まれて、なかなか動きがとれない。この植物の名前、何度聞いても覚えられない。形はソテツのような感じで、緑の堅い葉っぱを周囲に思いっきりのばしている。やたらに痛い。

 他の方々もいったんは海岸に出て、また山に入ることを何度も繰り返す。いかにもご遺骨が眠っていそうな岩盤が現れ、その岩陰に留まって集中的に掘ろうとする。しかし、地面が固く、私の持っている鍬ではなかなか掘れない。気温も20度近くになり、汗が噴き出てくる。この下には必ずおられるだろうと思うのだが・・・・(つづく)

第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 2 2006年2月

 今回は、一緒に参加した小笠原先生と大矢さん共々1班に配属された。1班は東京や名古屋、三重など東日本の出身者中心に組まれている。昨日紹介した中澤さんグループや東京練馬区のお坊さんや名古屋の会社員の方など教外者の方々が半数をしめる。

 まず最初に具志頭の海岸線ぎりぎりに続いているジャングルに入った。ここは一昨年何と7人で迷子になった同じ場所だ。さすがに今回はあらかじめ次のような林那覇教会長の指示があった。

 この場所は海岸線から上に続く山を登る感じでジャングルが続いている。これまではみんなすぐに奥へ奥へ、上へ上へと移動するために、海岸線づたいのところはあまりよく見ていないのではないかとのこと。そこを中心に捜索することになった。

 私は一度経験があるから林先生の言はよく理解できた。数十人のグループで行動するが、ジャングルに入ってしまうと、すぐに一緒に入ったはずの人とはぐれてしまうのだ。沖縄特有の植物の太い根が張り巡らされ、そう簡単に移動できないにもかかわらずである。いや、簡単に移動できないからこそ、一端見失うと再会に時間がかかってしまうのだ。
(つづく)

第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 1 2006年2月

 2年ぶりの参加となったが、集合時間8時半が近づくと、懐かしい面々が次々と集まってくる。皆さん久しぶりの再会にそれぞれ笑顔、笑顔であいさつ。また、今年は特に若い方の初参加が多い。

 東京寮講演会講師で来ていただいた、80歳現役若林さんも元気に参加。頼もしい限りである。わがホームページにもリンクさせて頂いているあの中澤修平さん、地下足袋にいろんな道具を腰に下げての完璧な出で立ちで参加されている。

 今年の特筆は、その中澤さんのHP『南部戦跡に膝をつきて』を見て、是非参加させて頂きたいと4人の大学生が参加されたことだ。すでに1月ほど前に中澤さんと単独で遺骨収集に取り組み、今回も昨日から作業されているとのことであった。

 この4人の方は、最初からの友人ではなく、このHPでつながったとのこと。HPの影響力のすごさに感嘆。また、同じ看護士という職場の先輩から声をかけられて参加された若い看護士さんもいる。こうして新しい若い世代につながっていくことは、このほかありがたく、嬉しいことである。それぞれ平和の大切さを実感されたことと思う。(つづく