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電車事故

 何とも、またいたたまれない事故が起きた。50名の死亡というこの時代にもなって考えられない事故である。一瞬にして50人もの方がこの世から姿を消した。ご家族、関係者のことを思うと言葉もない。

 つい先日も、同級生が交通事故で突然亡くなった。車の独り相撲ではあったが、なぜ何だという気持ちは押さえられない。亡くなられた当事者にとってみればなぜ自分たちなんだと思うであろう。

 以前、おなかの中に子供がいる友人のご主人が、交通事故で一瞬にしていなくなった。周りの人からなぜ、なぜなんだと問いつめられたこともあった。申し訳ないがその答えはない。

 私たち人間は、私たちの能力以上に能力を発揮してしまったが故にとしか言いようがない。自分個人の能力でめいっぱい走ったもの同士がぶつかっても、死ぬことはないと思う。が、それと同じように私たちは車も乗り、電車も乗り、飛行機も乗りながら安全だと思い切っている。

 しかし、それはかつて大海原に危険を承知で船出したことと変わりがないほどに危険なことではないか。それを忘れている傲慢さにやはり事故が起きるのであろう。万事に、人間業を越えたことをしていることを自覚しつつ、常々ご都合お繰り合わせ願い、無事を感謝していくしかない。ご冥福をお祈り申し上げる。

9条改訂は、国際問題。

《4月20日付「思うがままに『対立は共滅への道』」で、具体例は次回と予告しながらダウンしてしまい、大変失礼いたしました。今日になりましたことお許し下さい》

 本年2月、国連アナン事務総長の呼びかけに応じて「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ」、略して「ジーパック」が、東北アジアの各地の非政府組織代表や研究者40人ほどが、東京の国連大学で開かれた紛争予防に関する国際会議があったそうだ。

 議論されたポイントは、日本の憲法9条は一国の憲法の条項であるとともに、東北アジア地域の紛争予防のメカニズムであるという点。もちろん世界5位の軍事費を費やし、イラクに自衛隊を派兵しているという矛盾はある。しかし、その矛盾があるからこそ、逆に9条が紛争予防のメカニズムとして効果的に機能しているとも考えられるという。

 また、韓国の女性活動家は、「9条はドイツと違い戦争責任を明確にしない日本の、『侵略を繰り返さない』というアジア市民に対する誓いとして機能しいる」と指摘している。さらにモンゴルの前国連大使は「9条は明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因。修正されれば必ず負の影響が出る」と断言している。

 ピースボードの吉岡共同代表は、「この会議で彼らが語ったのは、いずれも、9条が国際常識に照らしてあわせてどうかという議論ではなく、9条の存在そのものがこの地域の平和と安定、そして市民間の信頼醸成に寄与しているという事実である」と言っている。

 実は、昨日中野ゼロホールで「日本国憲法」という映画を見たが、その中でも憲法改憲問題は、国内問題ではなく、国際問題であると指摘していた。改憲派諸氏が見ようともしないもう一つの現実も直視し、多くの人に知らせる必要がある。皆様にも是非いろいろな機会でお話しいただきたい。

病気〈で〉おかげを頂く。

 ご心配をおかけいたしました。季節はずれのかぜで何とも情けない限りです。

 寮監として東京へ来てから15年、高熱で寝込んだのはこれで2回目。それまでは結構かぜをひく方だったが、ここへ来て微熱程度ですんでいた。春になって高熱が出たのは、おそらく人生上初めてだと思う。

 中学、高校の頃は寄宿舎だったので、何回か熱を出して舎監の先生のお部屋でお世話になった。心細くなっているところをいろいろと励ましてくれたお言葉やお話しを思い出す。今頃になってもっとお礼を言っておけばと反省する。

 その一つが病気は病でなくて、神様からのシグナルということ。機械でも何でも小さいところの故障をほうっておくと全体がだめになる。人間の体も同じでそのまま無理をすると全体がだめになる。だから、病気をもって知らせてくださっているのだ。しばらくは休めと。

 また、「病気〈が〉治るのがおかげだけでなく、病気〈で〉おかげを頂きなさい」との先人の先生の教えを思い出す。一昨日からいろいろなことをゆっくりと考えることができた。貴重な時間を頂けたおかげに御礼申し上げている。

対立は共滅への道

 17日金光教東京寮95周年「開寮記念祭」と新入寮生歓迎会、18日東京センターの「政治社会問題懇談会」、19日非戦・平和ネット「憲法9条学習会」と立て込み、ニュースや新聞を読む暇もないようなことで、昨日は書き込みできず失礼。

 17日は、中国での反日デモが拡大し、最悪のタイミングで開寮記念祭となったが、在寮の中国人留学生は非常に客観的にみており、冷静であった。日本人学生の方は冷静というより、いいか悪いか「ノー天気」といった感が強かったが・・・。

 いよいよ戦前という雰囲気になってきたのではと本当に危惧する。常々申してきたように、対立は共滅への道である。張り合ってはお互いが不幸になる。もう世界は共生しか道はないことを早く知るべしだ。

 その意味で特にアジアの中で日本という国がどう見られているか認識する必要がある。東アジアの安全保障で、私たちは北朝鮮が一番危険な国と考えているが、他の東アジア諸国は日本が一番危険だと思っているのである。そこに靖国参拝や教科書問題は当然問題となる。極めつけは憲法「改正」であろう。その方向性は一気に関係の悪化、もっとも危険な状況となろう。

 ではどうすればよいか。あまり報道されないがいろいろな取り組みがある。明日紹介したい。

東京寮掲示板

 東京寮の正門前に大きな掲示板があり、そこにいろんな教内ポスターや金光教東京都教会連合会作成のみ教えポスターなどを掲示している。バス通りから100メートル入ったところなので、そう人通りはある方ではない。しかし、一般の方が掲示板の前に立ち止まって読んでくれている姿を結構見る。

 以前東京センターの社会活動部門で講師になっていただいた方が小金井の在住で、何とセンターで関係がつく以前から、金光教のことについては早朝の散歩の時に寮の掲示板をみて知っていたとのこと。 

 また、日本語に英訳をつけたものも張り出したことがあるが、その表記の仕方について東京センターに問い合わせが入ったことがある。センターから寮に電話がまわってきて、問い合わせてきたご本人と電話で話したが、よく読んでくれているという。

 それだけ読んでくれているのだから何とか自分でも掲示文をと考えるが、これがことのほか難しい。結局教祖の教えそのままになってしまったりする。これこそ教団の英知を結集して知恵を出し合い、あるいは参考にしあいながらよりよいものを作成していただきたい。全国教会で掲示しているオリジナル文を集めて文集として出版したり、プロジェクトチームを作って一般の日めくりや標語なども調査研究してみるものもいいのでは。

よくわからないこと

 私もこうやってインターネットの恩恵を被り、「おじなきおのれ」が細々と考えを表明できるすばらしい道具として活用している。ところがこれを悪用し、金儲けや嫌がらせのたぐいが多いのには本当に辟易する。それであなたは本当に楽しいのですかと。

 辛い気持ちはよく分かる。わかっていてもできない気持ちもよくわかる。こうしてよくわかると言いながら、わかっていないこともよくわかる。わかっていないけれども、ただ1つよくわかることは、人に対してよく思われないことを続けていても結局は何の自分のいやしにならないことは、よくわかっているいうこと。

 結局人に信じてもらわなければそれまでだし、人を信じることができなくなってもそれまでである。全く抽象的で申し訳ないが、よくわかってもらいたいのである。よくわかってもらえないとわかりきったときにわかるのであるが、それもできないのなら少なくとも人をわかろうとするか、少なくともそれを認め、自分はよくわからないから自分を変えようとすることである。

防空壕跡で中学生4人死亡

 鹿児島の防空壕跡で中学生4人がなくなった。これも私が再々主張している「戦争が終わってない」一つの出来事である。実は私も勝浦小学校の頃、防空壕で遊んだことがある。ただ中学生や高校生の秘密基地になっており、なかなか近寄れず、出口あたりから中をのぞき込む程度であった。

 ある時、町の中心部の小山の中にある防空壕跡近くで遊んでいると、白い煙が立ちこめ、パチパチというすごい音が聞こえてきた。あわてて見に行くと、洞窟の奥に真っ赤な火が見えた。「火事だ、まずは知らせないと」と思い、友達と必死で小山を駆け下り、10分ほどでいける消防署に走った。

 私たちは危ないからと、その後は山に入れず帰らされた。次の日、学校へ行くと校長室に来てほしいという。もうすでに噂になっており、校長室前には一杯の生徒たちが来ている。何と消防署長が来て、感謝状を渡したいとのこと。最初で最後の経験。校長室を出てくるとまるで英雄扱いであった。

 後で聞くと、もし通報がなければ隣接している民家も危なかったとのこと。火の後にはたばこの吸い殻などがあったらしく、近所の中学生か高校生が火を使用したと言っていた。一歩間違えれば今回のように誰かが死んでいたかもしれない。今はその小山は周囲に金網が張り巡らされ、立入禁止となっている。

 私の経験からすでに30数年も経っているのに痛ましい事件が起きた。何とも悔やまれる。防空壕はしっかりと整備して、戦争遺跡として残すべきだ。何もしないでほったらかすからこういうことになる。戦後、何も責任をとろうとしなかった国家や行政のあり方がここにも現れている。

反戦講演会 終

 小田氏は「あの8月14日の無意味な意味の死はいったい何だったろうと問わずにおれない。天皇は自らのいのちをなげうって国民のために終戦を決意したという真っ赤な嘘が今でもまかり通っている。ところが、実は天皇は11日に自分の身の安泰を知っていた。11日付ニューヨークタイムスにそのことがニュースになっているのだ」という。

 続けて「11日以降米軍は空襲をしなかった。にもかかわらず、ポツダム宣言を引き延ばした。そのために14日、800機以上のB29が飛来し、大勢の人が死んだ。なぜ死んだのか。アメリカ政府も日本の支配層も全く何も学んでない」と怒り声をあげて終わられた。

 戦前の話を聞くと唖然とすることばかり。事実であるから何とも声もない。戦争の記憶は、被害者、加害者をこえて人類の体験として後世に正しく伝えなければならない。その意義を改めて強く思わされた講演会であった。

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