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東京学生寮1月の月例祭・食事会

1月13日土曜日午後7時から、東京学生寮集会室において、運営委員大木光雄先生ご祭主のもとに月例祭が仕えられ、引き続いて教話、その後食事会を開催した。

教話では、人生自分の思い通りや都合のよい通りには必ずいかないのに、では、なぜ信心するのかについて、金光教祖は、「神様は決して無駄ごとはなされない」と教えられており、上手くいかない事柄にある神様のご意志を、信心することでわからせて頂くことによって、それが必ずおかげになっていくところにお道の信心の意義があると、宗教教誨師の御用で出会ったある少年院生とのやりとりや、お母様の病院でのあり方などを具体例にお話しくださった。

食事会は3人の中国からの留学生による本格餃子とサラダ、スープ。朝10時に買い出し、11時頃から準備をしてくださり、美味しい手作り料理を堪能した。感謝。

 

 

 

 

 

天地新春

 皆様かなり遅くなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。写真は妻が撮った那智勝浦町御蛇浦からの初日の出です。今年は出る位置が少しずれていたので上手く撮れなかったと言ってました。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 ところで、1月6日に東京に帰ってきましたが、戻って娘が見ていた「古館トーキングヒストリー 本能寺の変」という番組を見ていて、その中で歴史学者の磯田道史氏の解説にハッとさせられました。

 明智光秀が織田信長を討った動機は、色んな説がありどれも間違いであるいは正かもしれない。色んな事が重層的に折り重なってはいるが、しかし 最後の決め手は「恐怖」である。決定的な引き金はといえば、自分が命を取られるんだったら先にやるしかないと。

 現在、北朝鮮等々との切迫した状況になっているが、戦争の本当の引き金になるのは恐怖。政治的指導者のやられるかもしれないからこっちから先にやろうとお互いが思い始めた時に思いがけない事が起きる、これが 歴史の教訓だと述べられました。

 9条改憲理由で必ず出てくるのが「攻められたらどうする」です。しかし、いきなり攻められるのではなくて、攻められるかもしれないという恐怖が偶発的な武力衝突を起こし、戦争へと発展してしまいます。まさに最近浮上している先制攻撃論などは危険極まりないと思います。

 9条を改憲して軍事力で構えて相手に恐怖心を増長させるのではなくて、私たちは決して攻めることはないと安心を与えることの方がより安全で真の抑止力になるのではないかと新年早々思わされました。