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政治・社会への関わり

 最近の政治家不信は深刻だ。私の周囲の人も、「政治家がテレビに出てきたら消す」と言う人が何人もいる。民主党の代表選も、いよいよ民主党には人材がいないということが露呈したし、自民党の総裁選もあの方たちが画面に現れただけで視聴率が確実に下がったそうだ。

 ただ、もっと深刻なのは政治家たちのあまりの不甲斐なさを見せられてか、一部を除いた学生ら若者たちの関心の薄さだ。自分たちの将来がどうなるか、原発問題や領土問題など非常に大事な社会の分岐点にあるにもかかわらず、こちらがふらない限りは政治の話題はでない。

 ほとんどの人は、恐らく政治や社会に関わろうが関わらまいが、世の中変わらないと思っている。ここが問題なのだ。政治や社会という認識がそもそもできていない。

 かつて寮の講演会で、政治学を勉強していたサンノゼ教会のエリック・石渡氏を講師にお願いしたことがあった。石渡氏は、「政治家が政治をするのではなく、政治の本質は、選択肢を作ることだ」と仰った。つまり、私たちが普段行動する時に、必ず色々ある選択肢の中から取捨選択して物事を決めて動いている。それがそのまま政治行動なのだと。

 ということは、政治・社会に興味がなく、「関係ありません」といっても、関わらないということがそもそも不可能であり、関わらないという行動そのものが社会に影響を与えていくからだ。
 
 それが自分やみんなにとってよりよい変化になるのか、より悪い変化になるのかの違いだけである。そして多くの人が政治や社会に無関心になれば、確実により悪い世の中にしかならないことは必定だ。まずはこのことは知ってほしいと願っている。

箸の持ち方

 日頃から伝統文化や教訓などを歴史に学んで「次世代に伝えなければならない」と偉そうなことを言っておきながら、日本人として大切な箸の持ち方がよろしくないのだ。何とか少しでも正しい持ち方に近づけようとするが、難しい。

 不思議なことにわが家族で一番正しく、美しい箸の持ち方をするのが息子で次が娘。その次が母親で一番悪いのが私。親ができていないのに、なぜ子どもができるのか。生まれてこの方爺婆との同居もないから不思議なのだ。

 ある時、そのことが話題になって聞いてみたら理由が判明した。息子が入っていた野球チームの今は亡き総合監督のK氏に教えてもらったという。息子は小学校の1年生の時に、小金井リトルリーグ1年生から4年生で構成されている「ドラゴンズ」というチームに入部。

 その後、5、6年生で構成されている「オールスター」、中学生で構成されている「小金井シニアリーグ」に所属、その各チームの監督・コーチにもお世話になり、特にその総合監督K氏には色々と薫陶を受けた。その一つが箸の持ち方だったのだ。娘は兄から習った。本当にありがたいことであった。

 大切なことが親から子へとなかなか伝わらない時代、いろんなグループや地域社会にあって、みんなで子どもに伝えていくことが望まれている。次代を担う子どもたちを「みんなで育てていく」という意識があちこちで充満してくれば、よりよい社会へとなっていくと思う。

マスコミの自主規制

 9月20日付『東京新聞』の29面に「たね蒔きジャーナル打ち切り」と記事があった。これは2009年10月からスタートした毎日放送のラジオ報道番組で、原発事故後鋭い原発報道で話題となっていた番組。

ところが、突然の中止に。存続の声があちこちからわき起こり存続のための寄付金が1千万も集まったにもかかわらずの打ち切りで、その理由も示していない。「広告主の意向が反映したか」との問いに毎日放送は「ない」と答えているが、いかにもおかしい。

 東京センターで、いつもいい本があったよと本を貸してくれるO先生が、電通か博報堂の元社員の方が、広告代理店・マスコミ・広告主の関係を赤裸々に書いた本を紹介してくれた。ある程度は予想していたが、その癒着ぶりには驚いた。マスコミの自主規制は、本当のことが伝わらず、まるでそこには問題がなかったようになってしまう。これでは結果的に無関心層が増える。

 無関心は、現実に被害をこうむり、不安定な生活を余儀なくされている人々のことは、不特定多数の他人事となる。結局、度々指摘している「全体のためなら少数の犠牲はやむを得ない」というあり方を容認してしまう。もし、自分がその犠牲者の1人であったらという想像力を持てれば、無関心ではいられなくなる。1人ひとりの関心が、社会をよくしていく突破口となるのだ。

集団的自衛権

 自民党の総裁候補は揃って「集団的自衛権の行使を認めるべき」と主張している。中でも積極的な石破氏は「日本は助けてもらうが、他国がやられても助けないというのは非常識だ」と友達がやられているのに見て見ぬふりができるかと情緒的なことを言っている。

 安倍氏はもっと具体的に「日米同盟を強化するため、公海上で、アメリカ艦船が攻撃された場合に、近くにいる自衛隊の艦船が反撃できるようにするなど、集団的自衛権の行使についての憲法解釈を変えるべきだ」と主張している。

 これはそう簡単な問題ではない。何か日本が軍事介入すればすぐに解決できるような印象を受けるが、集団的自衛権の発動はまさに戦争なのだ。それも自衛とは違う米国の戦争に巻き込まれる危険性が大なのである。

 集団的自衛権が生まれた背景には、東西冷戦下における国際情勢の中で、米国など大国が合法的に軍事行動をとるための免罪符として作り出されたとの指摘がある。実際に過去の歴史を振り返るとそのことがわかる。

 

ハンガリー動乱(1956年 ソ連)
レバノン派兵(1958年 アメリカ)
ヨルダン派兵(1958年 イギリス)
チェコスロバキア「プラハの春」(1968年 ソ連)
ドミニカ軍事介入(1965年 アメリカ)
ベトナム戦争(1965年 アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど)
アフガニスタン軍事介入(1979年 ソ連)
チャドへ派兵(1983年 フランス)
ニカラグア軍事介入(1985年 アメリカ)

 

 これらは全て集団的自衛権としての戦争や軍事介入である。これを踏まえれば、自民党総裁候補が主張している権利は、自衛を飛び越えて、米国の行う戦争に日本の自衛隊が協力する、つまり参戦する根拠に使われるのである。まさに実質上「戦争ができる国」となり、その先に本丸の改憲が待っているのだ。

9月寮月例祭 2

 林雅信先生講話の後、ニュースビデオを鑑賞した。これは沖縄のあるテレビ局のニュースで放映されたもので、「摩文仁の丘」へ棄てられた大量のゴミを住民が回収する様子を取材している。私たちが遺骨を収集する現場に、信じられないゴミが大量に捨てられているのだ。

 林先生はこれをずっと問題にされ続けて来たが、なかなか行政も動かず、数年前から宗教者や一般市民に呼びかけて、自分たちで毎年日を決めて回収を始めた。私も遺骨収集でゴミを撤去した後に、その場所からご遺骨が発見された現場で作業をした経験がある。

 瓶や缶などのデザインから、もう4、50年前からのゴミも多いし、タイヤや家具やら粗大ゴミもある。相当の長い期間不法投棄された可能性がある。恐らくはゴミ業者が長年にわたって棄ててきたと思われるほどの量なのだ。 

 そのゴミの下に、まだご遺骨が埋まっている。いたたまれない気持ちになる。まずはこのゴミを撤去しなければならない。ところがその場所は断崖。大勢の人の力が必要になる。来年の遺骨収集では、半日まずはゴミの収集が予定されているとのこと。40回目となる節の年でもあるので、皆さんも是非ご参加を。

9月寮月例祭

 9月9日の寮月例祭は、運営委員田林美千代先生ご祭主のもとに仕えられ、その後那覇教会長林雅信先生の講話を賜った。林先生はこのたび神奈川・山梨連合会の講演会の講師で来られ、その後にわざわざ寮までお立ち寄り頂いた。以下に講話の概要を記す。

 

 長年皆さんで沖縄遺骨収集に来て頂き、また今年は寮監の辻井先生が金光新聞の4月号『信心真話』に「声なき声」と沖縄遺骨収集について書かれ、続いて5月号に寮生3人の方の座談会記事が載った。

 現代社会は、人間がそして天地が壊れてきている。社会の呼び方として一つは「格差社会」、もう一つは「無縁社会」、さらには「自殺社会」と言われている。総じて「生きるのが辛い」という社会になってきている。

 そういう中にあって、金光新聞の記事を読んで感動した。若い皆さんが「いのち」とか「信仰」とか、生きることを真剣に問題にしておられる。その基づくところは、沖縄遺骨収集や震災のボランティアに参加して思われ、感じられたもの。私は現地で何ほどのことも出来ていない。しかし、こうして皆さんが沖縄の助かりのために祈り、行動してくださっている。ありがたいことである。そのようなことで、せっかく神奈川まで来たので皆さんとお話できればと寄らせて頂いた。  

 さて、金光教の天地自然とは神様そのものである。金光とは、金に光る。金乃神の金はお土地である。光は天津日の光で天のこと。金光とは天地である。しかし、その天地が壊れてきている。神様のお体の中で震災が起きる。事柄は自然災害であるが、神様は「お土地を壊してないか、汚してないか」、「天地の営みに対して畏敬の念はあるか」、といったことを教えられている気がする。

 天地、社会を何とかしなければならない、これは金光教しかできない。153年前に金光教は立教した。その時代には日本古来の神道、仏教、キリスト教の3大宗教はすでにあった。またその他いろいろな宗教もある。民間宗教もある。なぜ、金光教が生まれたのか?それには意味がある。金光教がなかったら、今後どうなるのかという問題がある。教祖は、明治15年「世は開けるというが、めげるのだ」、「壊れるのだ」と仰った。それでは困る。だから「金光が世界を助けに出た」とこれが130年前。だったら「お任せします」ではダメで、このお道にご縁を頂いている信奉者が教祖様と同じ思いで、1人ひとりが金光大神となって、壊れつつある社会を助けるしかないのだ。

 ある作家が震災後に、「人間には生きる基軸がいる。欧米にはバイブルがある。中東にはコーランがある。日本にはない」といった。冗談ではない。金光教がある。金光教の教えを基軸にすると天地は壊れることはない。戦争もなくなる。金光教は「和賀心」。和らぎ喜ぶ心で人が助かり、自分も助かる道がある。だから金光教が世に出なければならない。21世紀になる前に、教外から「21世紀は金光教の出番」とまで言われた。金光教を基軸にすると、神様から叱られることはない。

 先ほどの祭典で、1910(明治43)年の「綱領」と1991(平成3)年の「願い」・「精神」をお唱えさせて頂いて驚いた。まさに金光教人としてこの通りで最高の生き方である。この精神で実践していけば、21世紀の金光教の出番に繋がると思う。

 人間は生まれた時に心と体を頂いた。教祖様は「分け御霊」と仰る。私たちは体の健康には気をつける。ところが心の健康にはあまり気をつけていない。心にも食料がいる。魂にも食料がいる。このことに自覚をもって取り組んで頂きたい。何よりもお道の教えが最大の魂の食料だと思う。私は信心の4代目で知らず知らずのうちに魂に栄養を得ていた。これがどれだけありがたいことであったか。

 現在73歳になった。ふり返ってみて、一番ありがたいのは「人生に悔いなし」と本当に思えることである。同じ年代の友人が、年をとってしまい、「西の空に夕日が沈んでいく」心境だと手紙をよこした。私は違うと思った。「今から日が昇る」という感じ。それはこのお道にご縁を頂いたお蔭である。

 今日の9月9日は生まれて初めて出会った日である。去年も9月9日はあったが、平成24年9月9日は今日初めて出会った。これが10日になると今日という日は100歳まで生きても二度と会えない。一生にたった1回しかない大事な今日の日である。そのように思ったら、ぼやぼや生きていられない。今日一日精一杯生きていれば、「あの時ああしておけばよかった」ということはない。

 もう一つ、あなた方は自由に目も見え、耳も聞こえ、手足も動く。しかし、世の中には見えない、聞こえない、動けない人がいる。決して当たり前でない。当たり前のことが当たり前でなく、有り難いのだと思えたら、自分の体一つ大事にする。

 今日一日を大事にして頂き、当たり前が当たり前ではないという気持ちで生活して頂きたい。この寮は祈られて、守られて、勉強ができている。この環境はすごい。どうぞ、これからのお道のためにぜひ力になって頂きたい。皆さんでこのお道を本当のお道にして頂きたい。来年教祖130年。同時に3代金光様が亡くなられて50年。再来年は教祖様生誕200年。さすが金光教だといわれるようにお互いに頑張らされて頂きたい。 

 

気仙沼から帰りました。

 昨日無事気仙沼から帰寮した。11日の朝8時出発。大泉から外環道、東北道で向かう。大泉までが混んだ以外はスムーズに進み、夕方4時頃気仙沼教会に到着。早速に現地スタッフのSさんが、鹿折を経由し、気仙沼港の教会からは反対側の地区を廻り、安波山に案内して下さった。

 一景閣ホテルの南側にあった巨大な瓦礫の山はきれいになくなっており、倒壊した建物のほとんどが解体され空き地になっていたのが半年前からの変化だった。港もサンマの陸揚げが始まり、だいぶ活気が出てきたとのこと。

 12日のボランティアの内容は、4、5人の地元の方と共に作業をした。内容についてはここでは詳しく書けないが、その中のお1人は東京からくるボランティアの人と話をするのが楽しみとのことで、色々と話しかけたくれた。

 また、隣接する仮設住宅から住民の方が話に来たりして、概ねみんな元気そうであった。ただ、仮設で生活しているお一人の若いお母さんは、どうもお子さんがストレスで学校に行けなくなっているようで、一緒に作業していた年輩の女性の方が励ましていた。

 普通でも子育てが大変なところに、厳しい環境の中で将来に不安を抱えながらの生活は本当に大変なことと思う。子どもが周りに迷惑をかけるためにノイローゼ気味になっているお母さんもいるとのこと。

 被災によるトラウマは、時間と共にだんだんに回復してくるものとはほかに、震災後比較的元気にしていた人が、新たな仕事や生活のストレスで燃え尽き症候群やうつ病のような症状が現れてきているとも聞いた。長期的な心のケアの必要性を痛感した。

 16時頃に終了し、そこからまたSさんが陸前高田市から碁石海岸と海岸線をずっと案内して下さった。陸前高田市は、その日に再生のために切断されたあの「奇跡の一本松」がなくなっていた以外は半年前と全く風景が変化していないことに驚いた。

 市役所や公民館、消防署も廃墟のまま。広大な街全体が全く時間が止まったよう。建築制限がかけられ、もう人は住めないとのこと。一体この街はどうなるのか。土地や住居図面のほとんどがコンピューター化されておらず、紙の図面はほとんど流されてしまったそうだ。どう復興していくのか。途方もなく困難なことくらいしか思いつかない。  

 その市内から海岸線を北に向かうと田んぼなどの農地群があるが、海水で米などの農作物が育つかどうかわからないそうだ。その中でもSさんが日頃から気にかけてよく訪れているという年輩の女性のところを案内下さった。

 崩れた岸壁を右に見ながら進んでいくと、田んぼの中に小さなプレハブ小屋が見えた。年老いたご主人と散髪屋を再開したそうだ。この方もご主人以外、家共々子ども家族の全てを失ったそうだ。最近ようやく元気を取り戻し、やる気が出てきたとのこと。

 一度話に行くと1時間以上になるが、そうやって話を聞かせてもらうのが何よりの薬になるそうだ。Sさんは「これもボランティアの一つ」と仰った。地道な活動に心を打たれた。

 13日は8時に教会を出発。海岸線を南下し、南三陸町の防災庁舎を訪れ、三陸自動車道などを経て、仙台から東北道で帰寮した。防災庁舎は相変わらず次々と大型バスが訪れ、さながら観光名所となっている。保存の方向で検討が進められているとのこと。

 あっという間の3日間で、正味1日だけのボランティアであったが、娘は「百聞は一見に如かず、見ると聞くとでは大違い」と驚いていた。現地の方とも1日触れ合うことができ、首都圏ボランティア機構のお蔭でよい経験とならせて頂き、得たものも多かったと思う。感謝。

気仙沼に行ってきます。

 一昨日は、東京学生寮9月の月例祭。神奈川・山梨連合会主催の講演で来られていた那覇教会の林先生がわざわざ来寮下さり、講話を賜った。詳細はまた後日。

 今日から娘と2人で13日までの予定で気仙沼のボランティアに参加します。娘を一度経験させたいと願ってましたが、昨年は受験生、今年はお蔭で大学に通い始めましたが、何かと私より忙しく、ようやく実現しました。

 8時出発なのに、まだ寝てますが、たたき起こして行ってきます。(*^_^*)

 

 

 

 

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