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忘れられない「心に残る一言」 本部教庁布教部員時代編 ②

 さて、今度はその藤井記念雄先生の師匠筋に当たる故矢代礼紀先生のお言葉特集。矢代先生が教監時代のこと。現在の本部教庁庁舎に移ってしばらくして、当時専掌だった大徳先生が布教部に入ってこられ、怒られたことがある。6階にある布教部では、例のごとく夜な夜な一杯飲んでの懇親を深めていた。ところが、それが会堂お広前からよく見えるのだ。その日から部室での飲酒は禁止。1階にある談話室でやりなさいとなった。

 そこで今度は場所を移してまた夜な夜な懇親を深めていると、いつしか矢代教監が参加されるようになり、いつからか何とほぼ毎日矢代教監と布教部員が顔を合わすことになった。その時の教監の話の面白いこと。あの当時でおいくつだったか、スキーやテニスは現役、博学多才、好奇心旺盛、毎日いろんな話題で盛り上がったことを思い出す。

 

『思想がないねぇ』
▽数少ない一緒にカラオケに行った時のこと。私が熱唱した後で言われた言葉▽

 その後、矢代教監が唄われた歌のどこに思想があるのだろうと内心思ったが、黙っていた(*^_^*)。それから、私は人の歌を聴いては、「思想がないね」が口癖になってしまった。

 

『わかりません』
▽これは、当ブログで書いた記憶があるのだが、検索に出てこない。まだ、こちらの新しいブログに転記されてないところにあると思うのでもう一度書きたい。私が教庁に勤めて約5年以上経てはじめて入った教監室でのこと▽

 大阪大学医学部からの脳死・臓器移植についてのアンケート調査に一生懸命回答を書いた。その稟議が教監まで回った後、高橋布教部長と私とが教監室に呼ばれた。応接室で恐縮していると、私が記入した下書きのアンケートを机の上に置き、やおら「問い1 何々」と読まれはじめた。

 その後、私の回答を黙読で読まれ、「うーん、これはわかりません」と。「え!」と問い返すと、「わかりませんと書きなさい」、「答えにですか?」と聞きながら、私は内心、「わかりませんでは、相手にバカにされるのでは」と思っていた。

 先生は続けて、「問い2にも、わかりません」、「問い3は、無回答」、「問い4は、まぁこれでいいか」といった具合に全部指示してくれた。そして私の思いなんぞは完全にお見通しで、「辻井君、わからないことをわかったように書くのが一番失礼だよ。本当にわかっている?」と聞かれ、穴に入りたい気持ちであった。

 

『明日からまた、ちまちま、ちまちま、気の毒だねぇ』
▽矢代先生が教監をお引きになり、函館に帰られる時、「新倉敷」まで見送りに行き、そのホームで新幹線のドアーが閉まる直前に仰った言葉▽

 矢代先生独特の皮肉たっぷりのお言葉と思っていたが、後々、ご自身が去った後の布教部がこじんまりしてしまうのではないかとの危惧と、「そうなるなよ」との激励の言葉にも聞こえると思うようになった。実はこの時が矢代先生との最期となってしまった。あっちに行ったら是非会いに行きたい。(つづく)