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第36回 沖縄遺骨収集奉仕参加 4 2009年1月

 機動班長の中澤さんは、なんと毎年1週間ほど前から単独沖縄入りし、調査活動をして下さっている。私たち1班は中澤さんが前もって捜索いただいた場所に向かった。平和公園管理事務所の裏手にある本部テントから、摩文仁の西の端にある数年前まで本部にしていた健児の塔への入り口方面に向かう。

 かつての本部は、遺骨収集に長年ご協力いただいた亡き前門光雄さんのお土産物店の駐車場にあった。その駐車場奥から断崖の海岸線に向かってジャングルに入る。少し入ったところで、中澤さんから作業における注意事項の説明があった。そのポイント点は、

○集団から絶対に離れないこと。作業に夢中になると、どうしても離れてしまうので必ず隣の人の音のするところまでの範囲で作業すること。

○離れる場合は、必ず声をかけていくこと。

○それでも、もしはぐれた場合はパニックにならず注意して下の海岸線に向かって降りること。

○大きな岸壁や小さな崖が多数存在するので細心の注意を払うこと。

○道なき道を進むため、どうしても岩石を踏むことになるが、これは必ず動くものであると認識すること。また、木やツルにつかまって支えにすることもあるが、これも枯れ木の場合は動いて非常に危ないので十分の注意を払うこと。 

 以上が私が聞いて覚えているところであるが、これに加えて1班班長並びに1班付機動者から補足があったように思う。

 そして歩くこと3、40分。中澤さんがあらかじめ調査していただいた地点に到着。早速小さい自然に穴になっているところを捜索、続々とご遺品やご遺骨が出てきた。(つづく)

(私が遺骨収集に参加する以前のことについては、すでに公表されている資料や昨年10月に東京センター「こんこう平和セミナー」の講師としてお話しいただいた林雅信先生の講演録にくわしいので、もし興味のある方は林先生の承諾も得て、個人的に紹介しますのでご希望の方はご一報を)

第36回 沖縄遺骨収集奉仕参加 3 2009年1月

 昨日書き忘れたが、「トラベルコちゃん」に掲載される各旅行会社の格安ツアーのため、ホテルやレンタカー会社は指定できない。しかし、今回申し込みが遅かったにもかかわらず、ホテルもレンタカー会社も昨年と同じおかげを頂いた。

 前日夜、教会に置かれていた発動機やガスコンロ等、重たいものを少しでももっていこうと車に積み込ませていただいた。そして当日朝6時、気持ちよく起床。那覇から8時20分に集合場所となっている摩文仁平和記念公園までは約40分。

 荷物があるので7時前に出発。コンビニで朝食の肉まんと昼食の「ゴーヤ弁当」を購入。このゴーヤ弁当が美味。ここのところいつもこれである。7時40分ころ到着、一番乗りだ。すぐに林先生や地元那覇の信者さんたちが到着。本部になるテントや机の設置をはじめる。

 順々に全国からの参加者が集まり、1年ぶりの再会に笑顔であいさつを交わす。今や同志となった皆さんの元気な姿に、「よし今年もがんばるぞ」と高揚感が満ちてくる。準備が終わるとすぐに本部班、1班から5班まで班別に整列。林先生先唱で御祈念、あいさつ、説明がある。
 
 その後、班に分かれて班長からくわしい説明がある。私は総勢13人の1班に配属。何と本教者は班長と1班付の機動班1名、そして私と同行の楠木先生の4人。あとはすべて一般の参加者で初参加が4人。そのようなことで機動班長の中澤氏もまずは1班に付いていただいて作業が始まった。(つづく)

第36回 沖縄遺骨収集奉仕参加 2 2009年1月

 今回は、スカイマーク沖縄行き最終の飛行機しかとれず、午後7時頃那覇空港に到着。例年より2、3週間早い1月とはいえ寒い。気温は9度。沖縄ではほとんどあり得ないとのこと。まずはレンタカーを借り、空港からレンタカー営業所まで車で送迎してもらわなければならない。

 わざわざ荷物を少なく、鞄を小さくして空港からすぐに出てきたのはいいが、一緒に送迎してもらうほかのお客さんがなかなか出てこない。この間那覇教会にお電話すると、「5時からの説明会はすでに終わっているが、よかったら」とのこと。私「8時をまわるかもしれません」とお断りを申して、お参りさせてもらうことにした。

 しかし、待てど暮らせど同会社のレンタカーを借りるお客さんが来ない。だんだんイライラしてきて、送迎車の運転手さんに聞いてもわからないのを承知で「あと何分くらい待つ」と声をかける。すると「すみません。あと1、2分待ってください」と。どこが1、2分かと思っても、この何ともいえない沖縄弁イントネーションの言葉に、沖縄言葉が好きな私はそれだけで和んでしまう。 

 ようやく他のお客さんが到着。慣れないご家族連れか年配者かと思いきや、若いお兄ちゃん一人。「何をしてたんだ」と内心思うが、「お腹が痛くなってトイレにでも行っていたのか」と思い返す。勝手に内心イライラしたり、和んだりしつつようやくレンタカーを借りていざ教会へ。

 もう目をつむっても歩けるくらいに那覇は熟知。迷わず教会へ。お広前で御祈念、お届けのあと、奥様先生も出てこられて「説明会後に出されたおでんがあるから、是非2階へ」とまねかれた。私、一度初参加の時に教会に泊めていただいたこともあり、遠慮なくあがらせていただいた。

 先生は細かい準備がまだ残っており、作業をされている。恐縮ながら奥様先生と寮にいた娘さんが初めて上京したときの懐かしいお話をしながら1時間ほど夕食をごちそうになった。今回のホテルは昨年と同じ「コンドミニアムホテル久米」。まだ10時くらいであったが、明日からの作業のために早々に寝ることにした。(つづく)

第36回 沖縄遺骨収集奉仕参加 1 2009年1月

 24日、25日二日間にわたって第36回金光教沖縄遺骨収集が全国から集まった80人の有志で展開され、5柱のご遺骨が収納され、金光教那覇教会長林雅信先生ご祭主のもと、沖縄戦戦没者慰霊祭が仕えられ、終了した。

 このたびも中澤さんのホームページ南部戦跡に膝をつきてを見て初めて参加されたご夫婦や女性一人で参加された方がおられ、中澤さんのホームページの偉力とまたそれを見てよくぞ参加していただけたものと驚嘆と感謝の念で一杯。中澤さんも教外一般の方で、初参加の方も一般。

 何人かの信奉者が「よく宗教団体主催なのに参加されたね。躊躇しなかった?」との質問すると、「中澤さんのホームページに詳細に書かれているし、那覇教会に電話をすると親切丁寧に教えていただいたので何の憂いもなかった」とのこと。なかなかできないことである。