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「平和維持への努力が先では」東京新聞投稿

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久しぶりに『東京新聞』に投稿したら、本日5月29日、娘の誕生日の日に掲載されました。

気仙沼五右衛門が原仮設住宅花壇整備

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 5月24、25日、気仙沼五右衛門が原テニスコート仮設の花壇整備ボランティアに静岡教会(男3人・女3人)、Bさんを含む東京学生寮(男3人・女3人)が参加しました。

 この花壇のボランティアは、2011年当時の寮生のK君がホテル一景閣の玄関を清掃したとき、玄関を掃除したら全体が明るくなり気持ちがいいという体験から、「殺風景な仮設住宅のはいり口をお花で飾ったら心も和むのでは」と思いつき、東光合唱団等に募金をお願いして行ったのが始まりです。

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 このたびはそれから早4回目となります。東京学生寮組、静岡組それぞれ24日早朝気仙沼教会到着。午前中陸前高田市へ。午後からは五右衛門が原仮設住宅の住民女性3人の方と共にお花の買い出しに行き、その後お茶っこしました。

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 25日、午前9時20分、新会長不在のため副会長号令で草取りを開始。10時休憩の後、お花の植え付けを行いました。20人強の仮設の方が参加してくれ、また今年は静岡組の応援もあり、さらには最高気温26度という真夏日の予報が曇りでさほど暑くもならず、絶好の草取り日和となりました。痛んでいた木製の柵も住民の方に補修して頂き、4年前の状態に戻ったきれいな花壇に仕上がりました。

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 また、このたびは参加できない寮生が、せめてもの気持ちと募金を集めてくれたおかげでいつもよりさらに充実した華やかな花壇となりました。そのようなことで今回も大変喜んで頂き、また初めて参加した寮生や静岡組の方たちも感動のうちに終わらせて頂き、誠にありがたいことでありました。

 現地代表の清水さんが不在、一緒に参加してくれていた奥原若先生がドリームキャンプ下見の方に回られ、一抹の不安の中でのことでありましたがおかげ様で何とか無事させて頂きました。

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 それから24日の午前中は陸前高田市の一本松では虹が迎えてくれました。北側の山の中腹にあるお寺では、Bさんが住職さんに現状について質問され、流された本堂を自力で復興されている様子や紫市場のフリーダムの千葉さんが地震当日のことや復興の難しさについてお話しくださり、ありがたいことでありました。
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『三酔人経綸問答』

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 中江兆民著書の『三酔人経綸問答』に、軍事攻撃への対応についての議論が出てくる。

 酒と政治談義が好きな南海先生を、洋風の頭脳明晰な紳士君と羽織を着た居丈高な豪傑君が訪ねた。

 非武装主義の紳士君は「弾に当たって死ぬだけ」と答え、豪傑君は積極的に「侵略」戦争に打って出るべきだと反論した。

 さて南海先生はいずれも極端だと退け、「徹底抗戦はすべきだが世界のどの国とも平和友好関係を深め、万やむを得ない場合になっても、あくまで防衛戦略を採るべきだ」と説いたそうだ。

 これが1928年(昭和3年)世界が不戦条約を結ぶより40年前、1894年(明治27年)日清戦争の7年前、今から何と127年前の議論だから驚く。(『東京新聞』夕刊5月22日「三酔人に聞いてみたい」野村修也中央大法科大学院教授 参照)

 127年も経ているのに「集団的自衛権」論議と構図は全く同じ。未来に教訓としなければならない出来事は何度も経験しているのに進歩がない。それだけ平和実現は困難なことともいえるが、諦めるわけにはいかない。

東京学生寮5月の月例祭・食事会

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 昨日5月17日、金光教東京学生寮5月の月例祭が、松本光明運営委員ご祭主により仕えられ、その後寮監から沖縄遺骨収集参加の意義、願い、今年の参加報告があり、続いて参加者を代表して韓国から留学生鄭さんが感想を述べた。

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 引き続いて、食事当番の鄭さんと石津愛さん作成の鶏とジャガイモの煮込み、豚汁、サラダ等で食事会がもたれた。美味。

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 また、このたび寮によく遊びに来てくれていたACTの松井君が実家に帰ることになり、ささやかな記念品が贈呈された。今回タルトを作って持ってきてくれた。さすがプロ。またいつぞや振る舞ってくれた鴨肉の料理は一生忘れないほどのお味でした。感謝。

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 引き続き、5月の誕生日の3人をお祝いして終了した。ケーキは何と寮長の手作り。お見事。

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安倍首相が集団的自衛権行使容認を表明

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 先ほど安倍晋三首相が記者会見し、集団的自衛権行使容認を目指す考えを表明した。総理であるから様々な意見に配慮して(特に公明党)、何とか理解してもらおうとする努力は理解できる。
 
 しかし、日本国憲法の平和主義を言うなら、私なら「どこまでも武力によらない平和を目指すが、事ここに至っては万やむを得ず『自衛戦争』ではなくて『自衛権の行使』を認めてほしいと説明すると思う。が、どうも総理はそうではなくて、やはり復古主義的な憲法改正を目指しているのではと疑ってしまう。

 それから今回もまた具体的な事例を提示して説明しているが、私たちは一つ一つ丁寧に検証する必要がある。例えば、米国に向かって発射されたミサイル(北朝鮮を想定)を迎撃する事例がある。説明はここで終わるが、迎撃した後どうなるかの説明がない。

 当然打ち落としたから終わりの話ではない。北朝鮮は日本を敵とみなして必ずや日本にミサイル攻撃を仕掛けてくる。とどうなるか。米国は自分に向けられたミサイルが迎撃されたのでプラス。北朝鮮は米国へのミサイルは撃ち落とされてしまったが、日本に向けて撃ったのでプラマイゼロ。撃たれた日本だけがマイナスなのだ。

 それがもし日本海側に多数ある原子力発電所なら・・・・・・。 

 それこそ国民の生命と暮らしのために、よくよく精査しなければならない問題である。

 この集団的自衛権の問題を下記の通り、第32回金光教東京平和集会で取り上げます。皆様お誘い合わせの上、是非ご参加ください。

第32回金光教東京平和集会
 日本の進路を左右するといわれる集団的自衛権の行使容認を巡る問題について、そもそも「自衛権」とは何か、それはどのような背景で生まれてきたのか、そして集団的自衛権の行使がなぜ必要なのか、あるいは必要ないのかについてそれぞれの意見を検証するとともに、今日の状況は世界人類が積み重ねてきた平和への取り組みの中でどう位置づけられるか。またこの問題を通して「戦争と平和」の問題を金光大神の信仰からどのように見ていけばいいかについて参加者と共々に考えてまいりたいと願っています。

テーマ 「個別? 集団? 自衛権って何?」

日 時 7月20日(日)午前11時から午後4時頃まで
場 所 金光教館イーストホール(金光教東京教会)
内 容 ・大人のひろば
ゼミナール形式で集団的自衛権を視点に戦争と平和を考えます。
・子どものひろば
様々な方式を持って、平和の尊さを楽しく学んでもらいます。
(詳細はチラシで)
・ランチミーティング(できれば昼食お弁当持参)
・平和行進(千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ)
・御祈念

相手を変えるには、まず自分が変わる。

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 どうしても鼻につく人間が一人や二人は周りにいると思う。傲慢不遜な上司、そりが合わない同僚、言っても聞かない部下。なぜか欠点ばかり、嫌のところばかりが目についてしまう。

 欠点は直してあげた方がいいと思って勇気をもって忠告したら、聞いてくれるどころか逆ギレされ、さらなる関係悪化を招くこともよくある話だ。  

 相手を変えようと思っても、まずもってこれはもう絶対に変えられない。どうしても変えたいならば自分を変えるしかない。どんな人でも必ず一つはいいところがある。相手のいいところを見つけようと努力し、褒めると不思議と欠点が見えなくなってくる。

 とはいっても、ついつい意見が対立してぶつかってしまうこともよくあるだろう。往々にして感情的になってしまっている。こういうときは反論しないこと。言いたいことをぐっと飲み込む。

 以上、相手のよいところを見ようとする努力と辛抱、この自分自身を変えていくことが嫌な相手と良好な関係を築ける近道だと思う。

 という私はというと、特に意見が二分にしている平和問題を論じるときに、相手を論破しようとしてしまい、平和を願いながら平和ならざることになってしまっていることがよくある。

「理屈があっても、みなまで言うな。理屈とくさびとは八合詰め。詰める紙袋は裂ける。あいよかけよで世は治まるのである」

 よくよく自分に言い聞かせている毎日である。

勝浦教会大祭無事執行

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 4月29日、勝浦教会大祭が麗しく仕えられ、昨日無事帰寮した。ただ、強力雨嵐コンビのTTさんと最近よく出会うせいか、勝浦教会大祭で記憶にないほどの大雨の中の大祭となった。

 勝浦では普通の雨でも、東京から言うと豪雨と表現してもいい降り方をする。そのこともあってすっかり写真を撮るのも忘れてしまった。(そのようなことで勝浦の名所写真を掲載してます)

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 教話は「末々安心のおかげを」との講題で私が概要次のようにお話させて頂いた。

 末々安心に暮らしていくためには、 実は今の今、今月今日を大切におかげを受けていくことが末々の安心につながっていくとの道理をしること。

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 不安になる原因はふたつある。1つは、時間感覚 時間意識というもので、「あの時ああしておけばよかった」とか「先々どうなるんだろう」、「ガンになったらどうしよう」、「死んだらどうなるんだろう」とか、過去の出来事を引きずったり将来のことを考えて不安や心配の心を持つようになる。

 よくよく考えてみると、考えている自分は今というこの瞬間、瞬間だ。時間がたって5年先、10年先でも考えている自分はその時の今の瞬間でしかない。過去のことをうじうじ悩んでいるのも、将来のことを心配して取り越し苦労している自分もまさしく今でしかない。

 意識できるのは今の今でしかないのだから、未来は当然として過去も変えられるのだから過去のことを思い悩んだり、未来のことを心配する必要はないのだ。

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 もう1つは、自分や自分がいるところの場所意識。自分が今いる場所や自分よりもほかの場所にいる人の方がいいと「比べる」。例えば、自分よりいいお家に住んでいるとか、いい大学とか自分より上と比較することで思い悩み、不安になる。

 つまりは、「わが心でわが身を生かすこともあり、殺すこともある」との教えのように不安の原因を自分自身でつくっている。

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「お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるもおかげである。人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」。

 今こうして生かされている今という時間は、最高、最善、最大の時間を頂いている。今こうしてある場所は最高、最善、最大の場所を頂いている。歴史一の今、世界一の今を頂いている。そのおかげを今月今日頂いていけば、何も心配のいらない末々安心の道が用意されているのである」。

 以上について、ある寮生のお話と私が大学の時に四国で出会ったおじさんの話を話材にお話した。