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第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 4 2006年2月

 あっという間に時間が過ぎ、12時近くになってきた。そろそろお昼だろうと一人海岸線を集合場所に戻っていると、波打ち際から20メートルくらいのところにある岩肌の下に中澤さんがいる。初めて参加の若い衆になにやら説明しているようだ。

 近づいてみると砂浜に機関銃の弾丸が無数に散らばっており、岩肌には大小穴が開いている。波でできたものと思い込んでいたが、よく見ると弾丸でできた穴もある。何と10センチほどの長さの弾丸が数カ所突き刺さったまま残っていた。60年前そのままである。

 私はあの「ひめゆりの塔」の映画を思い出した。この場所は、看護婦として徴用された女子学生たちがいよいよ追い込まれた場所である。最期の最期までつきあわされ、あげくが「解散命令」という何とも訳のわからない命令で放り出された。ほとんどの女子学生たちはその命令の後に亡くなっている。

 今まさに立っているこの場所、日本軍に見捨てられ、アメリカ軍に地上から追い込まれ、海岸には無数の敵艦隊がいたというこの場所で、何もと隠れようもないぎりぎりのこの場所で、何を思い、何を信じて死んでいったのだろうか。立ちつくすのみである。(つづく)

第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 3 2006年2月

 今回初めて参加の大矢さんにも「すぐにはぐれてしまうから気をつけて」と言っていたにもかかわらず、もう、5分、6分たたないうちに見失ってしまった。ここはなぜか声も通りにくい。呼びかけても全く返事がない。「上に行くな」との指示があったのでさほど心配はしなかったが、やはりいなくなると不安になる。

 私は山ぎわの淵を横へ横へと進もうとするが、これが岩盤やとげがある大きな植物に阻まれて、なかなか動きがとれない。この植物の名前、何度聞いても覚えられない。形はソテツのような感じで、緑の堅い葉っぱを周囲に思いっきりのばしている。やたらに痛い。

 他の方々もいったんは海岸に出て、また山に入ることを何度も繰り返す。いかにもご遺骨が眠っていそうな岩盤が現れ、その岩陰に留まって集中的に掘ろうとする。しかし、地面が固く、私の持っている鍬ではなかなか掘れない。気温も20度近くになり、汗が噴き出てくる。この下には必ずおられるだろうと思うのだが・・・・(つづく)