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第33回 沖縄遺骨収集奉仕参加 4 2006年2月

 あっという間に時間が過ぎ、12時近くになってきた。そろそろお昼だろうと一人海岸線を集合場所に戻っていると、波打ち際から20メートルくらいのところにある岩肌の下に中澤さんがいる。初めて参加の若い衆になにやら説明しているようだ。

 近づいてみると砂浜に機関銃の弾丸が無数に散らばっており、岩肌には大小穴が開いている。波でできたものと思い込んでいたが、よく見ると弾丸でできた穴もある。何と10センチほどの長さの弾丸が数カ所突き刺さったまま残っていた。60年前そのままである。

 私はあの「ひめゆりの塔」の映画を思い出した。この場所は、看護婦として徴用された女子学生たちがいよいよ追い込まれた場所である。最期の最期までつきあわされ、あげくが「解散命令」という何とも訳のわからない命令で放り出された。ほとんどの女子学生たちはその命令の後に亡くなっている。

 今まさに立っているこの場所、日本軍に見捨てられ、アメリカ軍に地上から追い込まれ、海岸には無数の敵艦隊がいたというこの場所で、何もと隠れようもないぎりぎりのこの場所で、何を思い、何を信じて死んでいったのだろうか。立ちつくすのみである。(つづく)

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