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平和の象徴「ナギ」」の神木

 6月30日付朝日夕刊のコラム「窓」に、「沖縄は琉球王朝時代から和歌山県の熊野信仰と縁が深い。沖縄にある神社の多くは熊野三山の一つ、熊野速玉神社からの分社だ」とあった。はじめて知ってびっくりした。
 「この大社には、推定樹齢千年ともいわれるナギの神木があり、国の天然記念物に指定されている。ナギは「凪」に通じ、熊野古道を歩いてきた人々が道中の無事息災と現世安穏を祈って、その葉を持ち帰ったとされる平和の象徴」だそうだ。
 先月、「復帰40年にあわせ、ナギを沖縄と熊野をつなぐ平和の木として顕彰する式典があった」とのこと。熊野信仰はその特徴を、秩序より無秩序、混沌を尊び、つまりは自由を重んじ、老若男女、貴賤貧富の格差なく誰でもが参拝できる、つまりは平等という近代思想といわれる価値をすでに重んじていた。
 しかし、現実の沖縄は問題があるといわれる「オスプレイ」が配備されようとしており、拒否権はない。沖縄はいまだに差別格差の中にあり、事実上米軍の占領下にある。ナギの木が真に平和の象徴となるように、一歩でも二歩でも真の平和に向かってほしい。
 

再度、再稼働に思う。

 先日古いVHSビデオを整理のため、内容を確認していたら、2003年の筑紫哲也さんキャスターをしていたニュースが録画されていた。何と、東京電力が福島第1原発の内部亀裂事故のビデオを消去し、証拠隠滅したとの内部告発があり、新潟と福島の原発が全て停止したとのニュースであった。
 忘れていたどころか、当時ただぼーっと見ていたのではと思うほど全く覚えていない。ニュースは情報公開の法制化が急がれると述べて終わっているが、その後どうなっていたのか。事故の遠因はやはりあったのだ。
 そして今回これだけの事故を起こしながら、先日出された東電の「最終報告書」は全くなっていないと各方面から批判が出ている。また、このたびの事故を巡る東京電力幹部のやりとりが収録されたテレビ会議システムの記録公開を拒否している。
 枝野経産相が朝日新聞の取材に「記録を出さない方がどうかしている」と発言しているにもかかわらずである。東電は実質上国有化されるのでは?。理解に苦しむ。事故調査をなおざりにしながら、柏崎原発の再稼働にふれるのはどうしても納得できない。
 原子力発電に携わるある方が、「実は福島原発は一番危ないと思っていた。原因は津波ではない」と断言されていた。結局公開してしまったら、それこそ再稼働なんかは絶対にできないから隠していると思われても仕方がない。
 政府民主党は、脱原発の方向性には変わりはないと言いながら、当面は原子力に頼らざるを得ないとして再稼働を図る。そのままなし崩しで動いてしまえば、またまた人間の愚かさで、同じ過ちを繰り返すのではないか。
 難民化している避難住民の方々の塗炭の苦しみ、また、果たして除染ができるのかどうか。それから、もし今夏電力不足で非常事態になったらどうなるか。それこそ死活問題の人々も少なからずおられるだろう。原発事業関係者の生活や雇用の問題等々を考えると脱原発と単純に言ってすむ問題ではないと悩まざるを得ない。  
 しかし、拙速な原発再稼働の前にまず第一は、避難されている方の救済と除染、事故原因の徹底調査と公開。次に電力不足における被害の想定。火力、水力の代替エネルギーの強化。その工程表と全体像を国が示すべきであろう。そして新エネルギーの開発を国家的プロジェクト、いや日本が主導して世界的プロジェクトで取り組むべきだと思う。

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