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8・15の日に思う。

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 今朝、東京センター出務のため水道橋駅に降りると、左に東京ドームがある白山通りに機動隊と警察官が大勢出ており、要人が通るのか、右翼の街宣車に対する警戒か、非常に物々しい。

 敗戦の日、戦没者を追悼し、不戦の誓いを新たにしたい日であるが、閣僚の靖国神社参拝などで相変わらず周辺諸国も騒がしい。その一つが安倍首相の「侵略の定義は定まっていない」との発言で、またぞろ「侵略戦争」か、「自衛・解放」の戦争かが問題とされている。

 私も先の戦争が本当にアジアの「解放戦争」であったならばどれだけよかったか、悔しくてならない。もしそうであったならば、澎湃としてその感謝の声があちこちから聞こえてくるはずなのにほとんど一部である。真に「大東亜共栄圏」を目指していたならば、日本はもっと世界から賞賛され,尊敬されたと思う。残念でならない。ただ、決して戦争を肯定しているのではなく、当時の当事者として考えた場合である。誤解なきよう。

 もう一つ靖国問題の重要な要素であるA級戦犯について、東京裁判そのものが「勝者の裁き」で無効だと主張する人がいる。この裁判のインド代表であったラダ・ビノード・パール判事はまさにそのことを指摘している。ただ、私は例えそうだとしても、戦争に負け、日本人で310万人、アジアで2000万人もの方の犠牲を出してしまった時の為政者の責任は免れないと思う。

 もちろん、国家のために戦った方や犠牲になられた方を偲び、哀悼の誠を尽くすことは大切である。ただ、靖国神社の本殿には会津白虎隊や西郷隆盛や、あるいは空襲で亡くなった方々は祀られていない。すべての人が哀悼の誠を尽くすことができる一番近い道は、沖縄・摩文仁の丘にある平和の礎のような、敵も味方も、軍人も一般人も戦争で犠牲になられたすべての方々が祀られた施設があればいいのではと思う。