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東京学生寮6月 7月の月例祭・食事会

 ここのところ寮の行事が紹介できず、失礼しております。6月、7月の月例祭は両方とも私が祭主・教話で仕えさせて頂きました。その後食事会で懇親を深めました。また、このたび諸事情で中国に帰国することになった安さんの送別の会を7月食事会に併せて開催しました。

 教話の内容は以下に示した「金光大神の信心に基づく『自立的自由人』の道の道たる道」の大道を歩むには、ぜひ「神様のものさし」を持ってほしいと、ここのところずっとその持ち方についてお話ししてきています。6月と7月で順序等実際と違い、また具体的なお話しは省略していますが、一応講録のメモを掲載します。

 食事会は6月は3人の中国からの留学生による中華料理。7月は女性日本人3人に振る舞って頂きました。また、全寮監中山亀太郎先生のご子息からお送り賜りました。千葉の名産スイカを頂きました。ありがとうございました。

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金光大神の信心に基づく「自立的自由人」の道の道たる道

「御取次を頂き
神様のみ心のままに
神様の願いに生き
すべてを神様に すべてに神様を現し

お蔭さま
お互いさまで
お先にどうぞ
の三つの「お」の精神で

自分の思い通りではなく
本然のいのちが承服する
願い通りのおかげが頂ける道である」

神様のものさし、人間のものさし
○人間のものさしと共に「神様のものさし」をもつ
人間のものさし⇒目盛りがある⇒見える世界 ⇒有用価値(二分法、二尺択一)
神様のものさし⇒目盛りがない⇒見えない世界⇒存在価値 (あるがまま)

 人間のものさしを捨てて神様のものさしを持つのではない。目盛りがあるものさしがなければ人間社会は成り立たない。しかし、この世の中は見える世界だけで成り立っていないのもまた事実である。そこで人間のものさしと共に神様のものさしも持つ必要がある。

 それから神様のものさし=精神的で非合理⇔人間のものさし=物資的で合理的とイメージしているがこれは違う。
(例) 10の12乗は兆、10の16乗=京(けい)、10の20乗=垓(がい)。
10の48乗=極(ごく) 10の52乗=恒河沙(ごうがしゃ) 10の56乗=阿僧祇(あそうぎ) 10の60乗=那由多(なゆた) 10の64乗=不可思議(ふかしぎ) 10の68乗=無量大数(むりょうたいすう)
 中国・「10の37218383881977644441306597687849648128乗」
「不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)」=認識不可
 1+1=2の合理から始まったはずが、認識不可能な合理・非合理を越えたものとなる。

「神様のものさし」のを持つ方法
○物事の思い込み、固定観念を外し、常識を疑う。
その意味 いくら正しく客観的に見ているといっても偏りがあり、100%思い込みがあると考えていた方がよい。だからこそ謙虚に物事をしっかりと見るという態度が生まれる。自分が正しいと思ったところだけに留まっていれば進歩はない。
ただし、正しいことはないという悪しき相対主義に陥ってはいけない。正しいこと、普遍はある。真理は1つである。その真理を求める方法は多様にあり、その多様性は認めつつも同じ真理は共有できるはずである。自身の道だけが正しいということはありえない。 私自身絶対正しいことは2つあると考えている。1つは自分だけが正しいと思わないことが絶対に正しいこと。2つめは人間を手段化しないことである。

その方法1 視点をずらす。
空間 場所⇒世界・人類の視点。日本だけでない。
   高さ⇒地上1㍍から2㍍の範囲の人間の目線だけでけで見ない。天地の視点。
時間 過去・未来からのまなざし。自分が見ているのではなくて、見られている存在。
   自分からはじまるのではなくて、
   自分はどこから来たか(存在根拠)、どこへ行くか(使命)
2 逆から見る 「逆も真なり」、多角的に見る。

思い込みの具体
(例1)天地、地球の中で私たち人間は、個体として独立して生きている。×
 地球の中に多くの人間がそれぞれに生きて、そして死んでいっているのと同じように今度は人間の体の中ではそれぞれ細胞が生きて、そして死んでいっている。人間の場合は足の突先のところを少し怪我しただけでも体全体に影響が出る。つまり繋がっている。同じように地球全体も実はすぐには感じないだけで繋がっている。地球環境問題を考えるとわかりやすい。1つのところに異常があると全体に影響する。それよりもなによりも、私たちは今こうして東京学生寮の集会室にいるが、この床を通して繋がっている。人間の体の中は空間がなくて繋がっているとイメージするが、人間同士だって天地のこの地面で繋がっている。

(例2) 私という個人は最終単位でこれ以上分割できない× 『分人』という考え方
 私は私であって本当の自分は1つしかないと考えている。例えばアルバイト先では気の合った人がいなくて、溶け込めない。おそらく自分は暗い性格だと見られている。本当の自分はそうではないと。しかし、それも実は本当の自分なのである。学校の先生の前と友達との前では全然違うように、それぞれの相手によって違う自分がいる。よくキャラを作っていて、本当の自分は違うという人がいる。だから自分探しの旅に出るとか昔流行ったが、結局本当の自分はどこにもいなくて悩んでしまう。全ての自分がそのまま自分なのである。

 以上の具体例2つからいくと、個体は個体としてあるが、私個人を構成しているのは決して個体としての私だけで決まっているのではない。その本質はどうも人と人との間の空間の見えない場所にあるらしい。つまりは自分と他者との関係の関わり方で自分個人が成立しているということ。

 最近、心を病む人が増えてきたが、上手くいかない時、何か調子が悪いという時に、自責の念で自分ばかり責めるのではなくて、半分は相手にも責任があると考えれば気が楽になる。もちろん全部他者に責任があると他者ばかり責めるのはこれはまた最近の心の病の傾向であり問題。一種の「お互いさま」でという感覚が大切。

 大事なのは、自分と他者は、身体と名前が違うという個体としての1つの自分と他者との2つとしてあるが、その個体を形成している個人の本質は個体にあるのではなくて中間の場にあり、その場の影響によって自分が形成されているということ。それは一であって二であり、二であって一という関係論に本質があるのではないかといこと。神人あいよかけよも、神でもなく、人でもなく、「神人」と呼ぶところに「あいよかけよ」の本質があるのではと考えている。

 信心に基づく真に自立した自由な人間というのは、人間独りでないから1人になれること、独りでないからこそ1人として自立できること、つまり、他のお世話になって初めて自立できる。
【人間は小天地で、自分の頭をいつも神かお守り下されているから、自分の体を思うように使えるのである】

 自由は、「自由は自由にのみ拘束されるという」全てを自由にはできないということを知るところにはじめて真の自由が獲得できるということ。
【わが身はわが自由にならないものである】

 間違った自由観は、「しなければならないことを、させられるのは自由でない」と思っていること。自由とは、「したいことをするのではなく、するべきことをすること」であり、真の自由人は「したいこと」と「するべきこと」が一致する。
【世のため、人のため、わが身のためと思って、家業をありがたく勤めることができればそれがおかげである。それが神の心にかなうのである】

 この自立的自由人の考えも、個体論としての個人ではなくて、関係論の上での個人という考え方である。

 以上のように、私自身が思い込んでいる固定観念や常識を外していくと、これが不思議と全て教祖金光大神様の信心に近づいていっているということ。まさに「神様のものさし」を持てることになると思う。

 神様のものさしで計ることの最大のメリットは、当たり前のことが当たり前ではないことを知り、そこに感謝の念が生まれることである。「おかげ様」

気仙沼の仮設住宅の住民 「地震の前の暮らしは、夢のような生活でした」
 私たちはいま夢のような生活を送っている。「奇跡はすでに起きている」
堀尾保治先生 「奇跡の毎日を生き、奇跡の場所におらせて頂いている」
【お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげである。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである】

 しかし、今日これだけものに溢れ、何不自由ない生活を送っていれば、当たり前のことはやはり当たり前だと思ってしまう。

原発事故 小金井市計画停電ヒント 「持っているものを持ってないかのように生きる」

 ただ、今現在難儀を抱えており、お礼、お詫び、お願いどころではない、まさに「助けてくれい」と叫び苦しんでいる人もいる。難儀の渦中にいる時は本当に辛いものである。

 しかし、今どんな境遇にあうとも、どんな出来事にも意味があり、どんな人生にも意味がある。そしてあなたを必要としている誰かがおり、願いがある。それをあなたに発見されるよう待っている。あなたもそのためにできることがある。どんなに苦況にあっても投げ出す必要はない。
【神は人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、人の身の上に決して無駄ごとはなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる】

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