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9月の東京学生寮月例祭・食事会

 東京学生寮9月の月例祭が、寮監祭主によって仕えられ、引き続いて教話(後掲)があった。その後の食事会は、このたびは日本人学生H君と韓国からの留学生Cさんの食事当番。ビーフン、鶏焼きめし、生春巻き、チョレギサラダ、スープと盛りだくさんであり、また中国からの留学生Hさんからイカの差し入れがあり、美味しく頂いた。

教話概要「神様のものさし」
「人間のものさし」は目盛りがあるが、「神様のものさし」は目盛りはない。だから測ることができない。人間のものさしは測れるために、そこに「長・短」、「大・小」、「上・下」、「優・劣」など価値が生まれる。するとその価値を比べて悩んだり、役に立たないものは差別したり、排除してしまう。

 あらゆる不幸は比べることから始まり、現代人の悩みの全てが人間関係にあると言われている。あらゆる不幸は、人と比べることから始まるのだ。

 神様のものさしは目盛りがない。測りようがない。だから測れない。つまり比べないこと。神様のものさしで計るということは、比べずに全ての存在を大切にすること。だからこそ測らない。目盛りがないから比べようがないのだ。

 もちろん人間のものさしも必要で、これがないと世界、社会は成り立たない。しかし、この世界は目に見える世界ばかりではなくて、目に見えない世界でも成り立っている。特に現代社会は、目に見えるところだけしか見なくなってしまったために様々な歪みが生じている。

 人間のものさしで、自分の方が優れているとか、劣っているとかの「優劣」関係、自分の方が偉い、自分の方が下という「上下」関係、あるいは、損か得かと計算、打算だけでは見えてこない世界を神様のものさしを持って見ていく。この世の中は、目に見えない世界でも成り立っていることを知ることが必要。

 以上の神様のものさしについて、2013年4月21日付『金光新聞』4面、「信心オンエア」、「慢心を捨て誠実な仕事で信頼回復、『神様と一緒の』の姿勢で」、という、喫茶店で働くA君が慢心によるある失敗で、マスターの顔色ばかり見て仕事をしていた自分自身を反省し、神様がご覧になっているとの神様の視点から、他と比べて勝手に落ち込んでいた自身の姿を自覚することができ、それからは誠実な仕事でマスターたちの信頼を回復したという記事を参考にさせて頂き、お話しした。 

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