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東京学生2月の月例祭・食事会

2月2日、東京学生寮集会室で、大宮教会松本佳子先生ご祭主のもとに月例祭が仕えられ、後掲教話を頂いた。引き続いての食事会、手巻き寿司、餃子、小籠包、豆腐の皮のサラダ、デザート、熊肉等々盛りだくさん、懇親を深めた。

教話
年が明けてもうひと月が過ぎて、2月になりました。来月には卒業をして社会人になるという方もいらっしゃいますが、きっと、とても緊張してその時を迎えられるのではないか思います。

今日は、まず、こちらを読ませていただきたいと思います。
これは、埼玉県の浦和教会の「うららか」という教会誌に掲載された、前の教会長である松本真弘先生という方の巻頭言をまとめた本です。
先生は6年前の平成25年に亡くなられましたが、これは平成4年に発行されたものです。
その中の一部を読ませていただきます。

「柔らかい大地」より『自分のこころから』

「拝めとも、願をかけよとも、お祓いを上げよとも言わぬ。ただ真の信心をせよ、と教えたるに、ただその一つができぬか」
これは金光大神の広前に参ってくる人々の信心ぶりに対する金光大神の悲嘆の言葉である。
備中乙島の人、国枝三五郎は、もと黒住教の信者であり、六根清浄祓を七日に一万度ずつも唱えた伝えられるほど、拝み一筋の信心をしていた。金光大神はその国枝氏に「拝み信心をすな。真でなければいけぬ」と諭している。
当時、庶民の信仰は、拝むこと、または拝んでもらうことが信心であると考えられていた。しかるに、金光大神は拝み信心ではいけぬ、真の信心をせよと教えられたのである。この「真の信心」という意味は如何なるものであったか。それは「この道は、話を聞いて助かる道」であると教えられ、話を聞くことによって自分自身が得心することが第一であると示されているところからも分かるとおり、心から理解してその教えを実践して初めて信心と言えるのだと断じておられる。これは、信心はどこまでも自分自身の「こころから」のものでなければ意味がないということと、道理にあったものでなければならぬという二点を意味した。
「人に頼んで、百度参りをして貰うたり、拝んで貰うたりしても、重荷を分けて持って貰うような訳には行かぬ」。まことに信心は人間の主体的なものへの目覚めである。市村光五郎は「金光大神のおはなしは、巳の年(光五郎のこと)が胸に手を当ててつくづくと考えてみるに、<聞け、悟れ>との御言葉なり」と述懐しているが、まさにこれである。
今年も金光大神祭を迎える。現代においても一層、この金光大神の教えた信心の意味を、われわれは深く自分のものにして行くことがいる

これは、昭和51年の10月号に発行されたものに掲載された巻頭言です。

教祖様は「子どもが15歳になれば、自分のことは自分で信心しておかげを受けさせるようにしなければならない。」とおっしゃっています。

うちの子ども達は3人いますが、それぞれ25、23、18になりますが、とてもじゃないですが「自分で信心しておかげを受ける」というようなことはできていません。

私自身、その頃の自分を思い返しても、自分勝手をして、周りの大人たちに叱られていたなぁと思います。私は4人姉妹の次女なんですが、4人の仲で私が一番反抗的で、一番叱られていました。

私は子どもの時からピアノを習っていて、子どもの頃はピアノの先生になりたいと思っていました。でも、大学受験で落ちてしまって、音楽の道に進むことは断念せざるをえませんでした。今現在は、大宮教会で御用をさせていただきつつ、先ほど栄里先生が弾かれていたように月例祭でのピアノの御用、また東光合唱団や秋桜の会で、栄里先生とも一緒に音楽の御用をさせていただいています。

私は、教会の生まれではなくて、祖母の代からの信者の家庭で生まれ育ちました。
教会には修行生として入らせていただきました。その時に、教会修行に入るんだから、音楽とはもうさよならだなという覚悟をして修行に入りました。

その私が、教会や合唱団でピアノの御用をさせていただいているということは、その頃の自分ではまったく思ってもみなかったことです。そういう思わぬ世界が広がるということが神様の世界、信心の世界にはあるということを、つくづく実感させていただいています。

どう言うことかと言いますと、私は2度、音楽の試験に落ちているんです。
1度目は、音大付属高校の受験、2度目は大学の教育学部音楽科の受験です。1度目に落ちた時、音楽の道を諦めようとしましたが、諦めきれず、その後の2度目のチャレンジへとつながったわけです。

その時のことを少し詳しく申し上げます。
音大付属高校の受験に失敗した私は、自宅近くの公立普通科高校に進学しました。音楽はお金もかかるし、何より私程度の腕ではこの先に進むのは無理だとそこで音楽の道に進むことを諦めて、高校進学と同時にピアノもやめてしまいました。

それでも、子どもの時からピアノが好きで続けてきたので、家で一人ピアノを弾きながら進路を思い悩んでいました。高校1年生の終わり頃になって、「このままでいいのか?本当に音楽の道を諦めてしまって後悔はしないのか?もし音楽の道に進むならもう決断して、今すぐにでも取り掛からないと間に合わない。」と思うんだけれども、やはり親には言い出せずにいました。

そうやって1年生はもんもんと過ごして、2年生になったばかりの春のことです。学校からの帰り道に同じクラスの女の子がある家の前に立っていました。彼女の家は全然違う方向で、遠くの場所だったので「なんでこんな所にいるの?」と聞いたんです。そしたら「ここ、私のピアノの先生なんだ~」って言うんですよ。

このやりとりだけだと、普通の会話ですが、当時の思い悩んでいた私にはものすごい衝撃的なことだったんです。彼女がピアノを習っていたことも知らなかった、自分の家の近所のそこがピアノ教室だとは知らなかった!もう平常心ではいられなかったですね。

「私もそこの先生にピアノを習いたい!そして音楽の道に進みたい!」思いは止められないとう状態でした。
そして、まずは母に相談しました。母はいいとも悪いとも言わず「お父さんに聞いてみなさい」と言いました。当たり前ですよね。でも、ちょっと父に言うのは怖かったんですよ。でも勇気をふりしぼって父にお願いしました。

そしたら父は、「あそこの先生はすごく厳しいんだぞ。ちゃんとできていないと手を叩くんだぞ」と言うんです。でも私は習いたくて必死だったので「厳しい方がいい。絶対がんばる」と言うとしばらく黙り込んでいましたが「そうか。わかった。」とまた私がピアノを習うことを許してくれました。
でも、いざその先生に習い始めてみると、全然厳しいことはない、すごく親身に教えてくださるとてもいい先生でした。

ところが「またピアノが習える!」とウキウキしていた私に、ある日鉄槌が下されました。
高校生になって、進路に悩んでもんもんとはしているけど、私は、教会には少年少女会という子ども会で行くだけで、お取次をいただいてはいませんでした。

私がお参りしていた教会の奥様が母の妹にあたる人なんですが、その叔母に「あんた最近日参さぼってるでしょ。音楽の道に進みたいなら、ちゃんと親先生のお取次をいただいて、神様にお願いしないとダメじゃないの」と叱られました。もうウキウキしていられないですよ。「音楽の道に進みたい!」という願いがあるわけですから。

そこで私は一念発起して、毎日教会にお参りをしました。そして、お結界で親先生に「音楽の方面でお道のお役に立てる私にならせてください」とお願いをさせていただく、という日々を過ごしました。お参りすると親先生はその日その日でいろんなお話をしてくださるんですが「金でメッキをしているものは剥がれて汚くなるけれど、こうやって毎日お結界お取次をいただくということは、そのはがれたものをまた神様がきれいに塗りなおして下さっているるようなもなんですよ。」というお話をしてくださって、より一層がんばってお参りしなきゃ!と思って、学校と教会参拝と練習の毎日を送っていました。

そして受験の日を迎えたわけですが、先ほど申した通り、大学受験は失敗に終わりました。
そのあとは、浪人してもう一度チャレンジしたいだとか、アルバイトをするだとか色んなことがありましたが、結局、その後、教会修行に入らせていただくことになりました。この時のことはまた別の話しになりまして、とっても長くなりますので、今日ここでは割愛をさせていただきますが、その時に、先ほど申しました、「音楽とはもうこれでさよならだ」という覚悟というか、決意をして教会修行に入りました。

教会で修行生としての日々を過ごし、その中の1年は御本部の金光教学院に行かせていただいておりましたけれど、5年半後にご縁をいただいて大宮で御用をさせていただくようになりました。
もちろん、修行生の頃は自由にピアノを弾くことはなかったですが、大宮教会に来たらお広前にピアノがあったんです。

ある信者さんが、今度大宮に来るお嫁さんはピアノが弾けると言うことを松本真弘先生から聞いて、ご自分が若い頃に弾いていたピアノを「ぜひ教会で御用に使ってください」ということでお供えになったというんです。私よりも先に大宮に来ていました。「神様はピアノを弾いてもいいとおっしゃってくださってるんだろうか」と本当にもったいない思いでした。

それで、まずは、月例祭の時に典楽の代わりにピアノで弾かせていただくことになり、それからずっとピアノでお仕えさせていただいています。その後は、連合会コーラスの伴奏の御用、東光合唱団の秋桜の会など、栄里先生とも一緒に活動させていただくようになりました。

そして去年、ある方から「病気をして声が出にくくなったので、ヴォイストレーニングをしてもらえませんか」と言われ、時々ですが、拙いながらもその方と一緒に歌うことを練習しています。音楽とはさよならをしたつもりで教会修行に入ったはずが、大宮に来てからずっと、もう27年になりますが、音楽と縁が切れるどころか広がっているんです。

それはどういうことだろうか、と考えた時に、私が高校2年生の時に「音楽の方面でお道のお役に立てる私にならせてください」とお願いして日参していたところに戻るわけです。

あの時に、叔母が「ちゃんと親先生のお取次をいただいて、神様にお願いしないとダメじゃないの」と、叱ってくれなければ、私の一念発起はなかったわけだし、また、そうやって16歳の子が一生懸命願って参拝してくることを、親先生が一緒に願ってくださり、それを毎日神様にお取次下さっていたんだなぁと、今になってあらためて親先生のお祈りの深さを感じています。

人間だれでも先のことは全くわかりません。
最初に読ませていただいた「自分のこころから」という巻頭言。
「話しを聞いて自分自身が得心することが第一である」そして「その教えを実践すること」そこで、自分では思ってもみなかった展開がうまれてくるんです。

みなさんは現在、親元を離れてここにいらっしゃいます。
卒業をしてから地元に戻る、そのままこちらで就職をする、それぞれの希望や事情がありますが、どこにいても、どこで過ごすことになっても、教会に参拝してお取次をいただくということは忘れないでいてほしいなと思います。

若い時の信心は宝物です。もちろん年をとっても宝ですけどね。
何かひとつでもいいんです。この先、みなさんお一人お一人が、本当に心に響くみ教えに出会えることを、心より祈念させていただいております。

 

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