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競っても、争ってはいけない

 以前、「競っても、争ってはいけない」という言葉を紹介した。今まさに必要な言葉と思う。1人ひとりの人間関係であれ、国家間の国際関係であれ、外交や政治、経済にしても信頼関係がなければそもそもが成り立たない。

 都知事を突然辞任した石原氏の尖閣諸島問題の言動で日中の信頼関係が崩れた。パナソニックやシャープはもとより、日本企業全体の損失は巨大である。よく保守系の方々は国益を仰るが、これほどの損失はかつてないのではないか。しかし、誰もその責任を問わない。

 話は変わるが「子ども手当」は私は大いに賛成した。長男はすでにもらえず、ただ娘がまだ高校3年生1年を残していたので、賛成するのは当たり前なのだが、もし該当しなくても賛成したと思う。まあ、少しは損した気分になったかもしれないが。

 ただ、子どものいない方からの「どうして子どものいる家庭のために教育費を負担しなければならないのか、どうして子どもに恵まれた家庭のために養育費を負担するのか」という声も多かった。

 また、「子どもは社会全体のもの。だから社会全体で育てる必要がある。老年の生活を支える年金は、子どもたちが負担するのですよ」との声もあった。

 年金はともあれ、金光大神の信心からいけば、子どもは神様から頂いたもので、自分のものではない。みんなで育てていくものだという考え方のほうに近いと思う。

 また、例えば各種保険は、将来リスクに備えるために投資しておこうというものではなくて、何かあった時にみんなで助けることができるようにと互恵互助、助け合いの精神で始まったものである。

 それには社会全体の信頼関係がなければ成り立たない。現在日本はその思想の逆をいっていると思う。将来生活のためにしのぎを削って他を蹴散らす。お金を貯め、資源を確保しなければと互いに相争い、奪い合う。これでは身も社会も滅ぼしてしまう。金光大神の信心やその思想が1人ひとりにも社会全体にも今こそ必要とされていると思う。 

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