(皆様には大変ご心配をおかけし、申し訳ございません。パソコンの前に座る時間もままならず、当たり前のことがいかに「有り」、「難い」ことか改めて思わせていただいております。皆様にもいろいろと聞いていただきたいのですが、さすがにこの場では書くことができず、本当に残念であります。そのようなことでなかなか更新できないことをお詫び申し上げます)
そのような中で昨日は、家族で東京国際フォーラムで開催されている首標の展示を見にいくことができた。この日は会期延長前の最終日で、ものすごい人であった。人体を輪切りにしたものもあり、なんともグロテスクなものであるが、みんなあまり恐がらず見入っている。
私はこれが本当の人間であったと思うと、なんとも本当にこれでこの方はいいのだろうかと思ってしまった。そうした疑問をみんなはどうなんだろうかと展示物を見るよりは、見ている人の顔をなぜか観察してしまった。
その夜の東京寮月例祭でもお話させていただいたが、このタイトルの「不思議」について、何が一体不思議なのか、それぞれに思うところがあるだろう。生命の神秘はもちろんのこと、私が一番不思議に思うのは、本質的には人間もコンピューターも物質、つまり物であるのに、この両者が決定的に違うのは、なぜ人間には心があるのかということである。
医学や生命科学は、いよいよ神の領域に足をつっこうもうとしているが、その根本のところは絶対に人知では知りがたいものであると思う。それを理解したように振舞ったとき、大いなるしっぺ返しを食らうのではないかと今から心配が先にたってしまった。天地の道理への謙虚さを失った時、人類も終わってしまうだろう。
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