2005年2月アーカイブ

 昨日は、東近「Fnetセミナー2005」に出向、中央道昼行バスで先ほど無事帰らせていただいた。実はさい先が悪かった。新幹線で昼頃京都に着き、京都ラーメンを食べたいと思い、京都ピルにあるラーメン横町にいった。ところが京都ラーメンを探しきらず、なんと銀座本店という東京の中華そばさんに入ってしまった。

 まあまあおいしかったが、出るとなんと隣が京都ラーメンの店であった。もっと京都と大きく書いてくれと思ったが、そうか京都で京都ラーメンは当たり前かと変に納得しながら教務センターに向かい、八条口から大きな横断歩道を歩いていった。

 すると向こうから寮生のI君にそっくりなのがいるではないか。それもかわいい女に子を3人引き連れている。世の中にはうりふたつの人間がいるもんだと思いながら、すれ違ったが、気になって何度もふりかえった。すると向こうもふりかえり、お互いに「えー、何でここにいるの」と驚いた。

 女の子と本当に楽しげに歩いているので、てっきり大学のサークルかなんかで京都旅行に来て、ちゃらちゃら遊んでいるなと思ってしまった。センターに着くとなんと一昨日から学生会の大会をしていたとのこと。お道の御用で来ていたのだ。それに気がつかないなんとさもしい心であったと情けなくなってしまった。(つづく)

東近「FNETセミナー2005」に出向

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 今日は表題のセミナーに、なんと私が講師で出向させていただく。Fnetとは、金光教東近畿教区(福井県・滋賀県・三重県・京都府)内にある教会にお参りしているか、あるいは在住している壮年(36才~49才)信奉者の皆さんで作るネットワークだそうだ。

 このたびは東近畿教務センターの所長から、今回のテーマが「身近な平和活動」ということで、内容については、私が願う平和についてと東京平和集会や非戦運動に携わってのことや、さらには寮で学生たちと接して今の若者たちはどうかについてのお話しをとのことであった。

 そこで「私が願う平和」と題して、下記の項目でお話ししたいと考えています。今から出発します。

はじめに 「身近な平和活動」における「身近」の意味

1 私が願う平和とは  
 ○私の平和観 注1 注2
 ○「沖縄戦没者遺骨収集」の体験
   ・声なき声を聴いて
   ・黒アゲハチョウ
   ・赤十字の鞄
   ・山川の別れ  注3
 ○「お詫びの祈り」 注4
 
2 「若者」が危ない
 ○夢見る使い捨て労働者(フリーター)
 ○交換可能なヒト
 ○憲法改憲と新自由主義
 
3 お道による平和
 ○教務における教団認識の誤謬  注5  
 ○お道における慰霊祭と平和祈願祭の意味(東京平和集会として) 注6、7
 
おわりに 多彩な取り組み

 表題の言葉は、毎年の金光大神大祭東京寮寮生参拝のおりに、特に寮OBの先生方にお話しを承っているが、その中で高橋行地郎先生のご講演の時に聞かせて頂いた言葉である。先生の父上にあたる一郎先生についてのお話しの中で聞かせていただいた。大変な病気と取り組まれたなかで生まれてきた言葉だと私も感動させていただき、その語源について深く考えないままに、教話等で結構使わせていただいていた。

 その語源について、大崎教会ホームページ掲示板の「小川洋子さんのトーク」というところの竹部晴雄先生の書き込み(後掲・転載)にその出所が書き込まれていた。はじめて読ませていただき、本教平和観の真髄が見事に表現されていると感じ入っている次第である。

  
大崎教会掲示板より引用
「高橋正雄大人20年祭の記念冊子の表題『あるものみな美しく起る事みなよし』
40ページの小冊子で、昭和60年5月25日発行です。
その中に、正雄先生が昭和31年初春にしたためられた色紙もあります。
昭和30年8月10日に開かれた一族会の記録が内容になっています。

その中に、正雄先生が霊前であげられた祭詞が載っていますが、関わりのある最後の部分を紹介します。

 『今後、どのようなことが起きてまいりましょうとも、どのようなものが生まれてまいりましょうとも、またわれわれ自身どのようになりましょうとも、よいほうにも、悪いほうにも、どういうことになりましょうとも、その善悪、美醜、利害、正邪、一切の差別、対立をこえまして、真に助からせて頂くことができ、「あるもの皆美しく、起ること皆よし」との生き方におかげをこうむらせて頂き、しかも、その中において、それそれの立場立場において、おのおのの受持ちを実意に丁寧に受持たせて頂きまして、それそれに助からして頂きますように、ひとえに御願い申し上げます。
 かえすがえすも、天地金乃神の働きだけで助かることのできないわれわれが、生神金光大神取次の道によって、助けられていくことのできるその道を開いて下さり、神も助かり、氏子も立ち行くという、真に申しようも、思いようもない、有難いことにならせられておりますことを、かえすがえすも厚く御礼申し上げます』。
大崎教会

「普通にやればV2」

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 首標のタイトルで朝日新聞に珍しく「勝つために何が必要か、みんな分かっている。彼らは、まだまだうまくなる。優勝?普通にやれば大丈夫だよ」との落合監督の言葉を紹介した記事が出ていた。

 昨年無印から今年は王者として望む。昨年はまさかの優勝。さすがの落合監督でもそう簡単にはいかないと思っていたが、さにあらずあの戦力でなんと優勝してしまった。今年はそれに2年連続セリーグホームラン王のウッズが加入した。もうすきなしである。

 横浜はなぜこんないい選手を手放しのだろう。選手時代で大ファンであった牛島がなんとその横浜の監督になってしまった。牛島にも是非とも頑張ってもらいたい。楽天の田尾も中日出身。今日はまたまた雪が積もった。春が待ち遠しい今日この頃である。

 それにしても、スポーツニュースは大リーグとサッカーばかり。何ともちょっとくらいは触れてくれと思っていたら、沖縄は雨ばかりで練習試合が全くできていないとのこと。中日の死角といえば雨だけか。「順風満帆だった落合丸が、気が付けば春の嵐にもまれている(東京中日スポーツ)」そうだ。

留学生

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 東京寮では、1995年に留学生の受け入れを始めてからこれまでに、中国、韓国、マレーシア等から30人弱の方々に入寮していただいている。新東京寮出発の時点で留学生受け入れの願いは出ていたが、まずは外の留学生受け入れ施設訪問や近隣の大学に説明に行くなど準備を経て、新寮4年目に留学生を受け入れた。
 
 当初はオウム事件の影響もあり、宗教教団の寮ということで警戒されたこともあった。しかし、1人、2人と増えていくにつれ、人から人へと伝わり、東京学芸大学など近隣の大学では非常に評判がよく、「金光教東京寮」を知らない人がいないくらいまでになった。ありがたいことである。

 最近では早稲田や上智など通学に小1時間かかるところからの入寮もある。月例祭や食事会にも積極的に参加してくれ、お国の料理も作って頂いたりしている。当初は「強烈なにおいを出すのでは」とか、「台所が油だらけになるのでは」とかの声も聞かれたが、1人の例外もなく全く今までに問題はない。勉強も熱心で、人柄もよい。少しでも日本や金光教の良さを感じてもらい、お国に伝えてもらえば望外の幸せである。

架空請求

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 私の知人の携帯電話に突然、架空請求における振り込め詐欺なる電話がかかり、振り込まないと会社や自宅まで押し掛けると脅されたそうである。怖くて、非常に気分を害したとのこと。

 実は、私も昨年の暮れに「架空請求」なるもののメールが届いた。いつもの調子でメールをパンパン開いていたら、普通のかわいい女の子の大きな写真が画面にあらわれ、思わずワンクリックしてしまったら、すでに入会完了ということであった。

 あわてて、この手に詳しい友人に相談すると、無視が一番という。ただ、ワンクリックした負い目があって、行政書士さんの無料相談にメールしたら、今おおはやりのワンクリック請求というやつで、無視して大丈夫という。

 しかし、もし何らかの形でアダルトサイトなどを利用した場合、自宅に裁判所へ訴えたという訴状が届けられるという新手の手口が出始め、これがもし本物ならややこしいので相談してほしいとあった。

 その点については身に覚えがないので大丈夫だと思ったが、非常に不安な気持ちにさせられた。メールでさえそうなんだから、実際に電話で脅されるといくら身に覚えがなくても、怖いであろう。何とも誇りも何もない、救われがたい人間が多く出てきたものである。まだまだいろんな手口でだましそうとした電話やメールが多いらしい。みなさんも決してだまされないよう、気をつけてください。

東京寮運営委員会

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 昨日は、東京寮運営委員会の後、ご本部からの運営委員長、幹事の見送りついでに東京駅で懇親を深め、ついさっきまで頭がんがん、当欄をすっぽかしてしまい失礼。そんなに飲んでないのだが、運営委員長がすすめてくださった飲み慣れてない高級な「八海山」がきいてしまったらしい。

 運営委員は、ご本部に委員2人、幹事2人、在京委員6人で構成、予算、決算の承認、入寮者の選考や月例祭・教話の奉仕に当たって頂いている。本年卒寮生がことのほか多く、13室があく。現在入寮生募集中であるが、今のところ日本人学生、留学生併せて10人が予定されており、まだ3室余裕がある。

 もし、お近くに東京の大学や専門学校、各種学校に在学、入学の方がおられたら是非お勧めいただきたい。明るくて、人柄のいい学生や留学生がたくさんおり、みんな楽しい学生生活を送っている。

 是非とも、よろしくお願い申し上げます。

「もったいない」の本当の意味

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 昨日の東京新聞に、ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ環境副大臣の表敬訪問を首相官邸で受け、「もったいない」論で意気投合したとある。

 マータイ氏が「もったいない」という日本語に感銘を受けたことに触れると、首相は「もともとは食糧不足の時代に、親が子供に『作った人の身になって大事に食べなさい』との意味」と説明した。

 確かに、「もったいない」という言葉の意味が、現在では電気をつけっぱなしにすると電気代がもったいないというように、本来の意味にない「損をするから」もったいないというような意味合いではなく、「作った人の身になって」というようにそこに感謝の意味合いがあることを示唆していることはいい。ただ、この「もったいない」という言葉はさらに深い意味があるのである。

広辞苑
①神仏・貴人などに対して不都合である。不行届きである。
②過分のことで畏れ多い。かたじけない。ありがたい。
③そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい。

 現在の難儀は、この①②の意味のある「もったいない」を死語にしたところ、そして③のところでもその価値をお金や数字にのみおいてしまったところにも生じている。

息子が沖縄遺骨収集に参加

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 本年の沖縄遺骨収集、18日に入寮志願者の面接と、21日、東京寮運営委員会があり、どうしても参加できず、代わりに学校を休んででも息子に参加してもらった。

 昨日沖縄入りし、今日第一日を終了したと妻の形態にメールが届いた。「一杯出てきた、印鑑も出てきた」といつものように愛想のないメールだが、ご遺骨を目の当たりにして衝撃を受けたことと思う。

 今日の作業は、摩文仁の丘にある福島県慰霊塔の裏とのこと。奇しくも私が初めて参加したときに入った場所と同じところだ。私も入ってすぐ、ご遺骨をはじめ、めがね、石鹸箱、薬品、手榴弾、日本刀、女性用のくしや赤十字のはいったバックなどが次々に出てきて驚いたことを思い出す。

 一緒に行っているK寮長によると、フルネームの印鑑と認識証、その周りにご遺骨や万年筆などのご遺品が出てきたとのこと。これはご遺族が特定でき、すばらしい働きであったと思う。息子も前々から参加したいと言っていたので、このたびは本当にご都合お繰り合わせを頂いた。ありがたいことである。

小学校6年生の平和への処方箋

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 小学校6年生に対する「戦争を起こさないために、どうしたらよいと思うか」という問いに、
1 ほかの国へ行って悪いことをしない。
2 みんな仲よくする。
3 外国人を自分の国に帰す。
4 武器をなくす。
5 世界の政治家を全部、平和を考える人に返る。
6 戦争のこわさを教え、戦争反対者を多くする。

 この小学生たちの答えは見事、まさに世界人類が平和へと経験と知恵を積み重ねてきたものと一致するとの指摘がある。すなわち、
1 侵略戦争の否定
2 諸国民の相互理解 
3 外国軍隊の撤退、中立
4 非武装
5 平和への政治の転換
6  平和教育、平和運動
となる。これは国連憲章や日本国憲法にすべてもられるいるのである。

 最近、自称現実主義者たちが憲法9条が現実にあわないとして改訂しようとしている。しかし、世界の紛争最前線で調停や武装解除に当たっている人は、確かに単純に非武装を唱えるだけの傍観者的なまさに非現実的な平和主義は批判するが、憲法9条の条文やその精神を決して否定しない。
 憲法そのものが空文、空想的なものではなく、そうせしめている私たちのあり方が問題なのである。世界人類は確実に平和へと歩みを進め、戦争を違法化し、そしてその先に憲法9条を見ているのである。決して逆行してはならない。

カラオケ

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 先日子供たちにせがまれて、超久しぶりにカラオケに行った。家族だけで行くのは確か2回目。1回目は、まだ子供たちがようやっとアニメソングや童謡を歌い始めた頃だ。

 このたび行ってみてびっくり。兄貴は尾崎豊をマイクを45度以上あげて大声を張り上げて何曲も歌うは、妹は大塚愛をこれまた何曲も熱唱。いつの間に覚えたんだろう。妻は相変わらずアグネスちゃんか、松田聖子の赤いスイトピー、進歩がない。

 それにしても尾崎豊といえば、私が寮監に赴任していた頃の寮生がよく歌っていた。あのころは何かといえばカラオケに行き、それこそ帰り道で雀がチュンチュン、夜が明けてきたことが何度もあった。

 昔ご本部の教監であられた方に「みんな本当に思想のない歌を歌うね」と言われてから、私もまねして、人が歌う歌を聴いては、「思想がないね」と言っていた。しかし、ある時はたと気がついた。それではなぜこのようなやっちもない歌が何年も歌い継がれるのだろうと。やはりそこにはその時代の何らかのメッセージがある。それはそれで立派な思想ではないかと。

 といいながら、私も百尺竿頭一歩も進まず、「仮面の忍者赤影」や「燃えよドラゴンズ」等々思想のない?歌をいまだに歌い続けている。

日本ペンクラブ緊急集会

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 2月12日(土)、東京都千代田区の日本プレスセンターホールにおいて、日本ペンクラブが主催する、緊急集会「いま、戦争と平和を考える」に参加した。先着400名のところに500名近くの多くの方が参集していた。

 集会は、吉岡忍氏の「日米首脳の発言にみる9.11から自衛隊派遣延長まで」と高遠菜穂子氏提供ビデオ「現地撮影ビデオに見るイラク戦争の実態」のレポート2本の報告と、井上ひさし氏(日本ペンクラブ会長)、酒井啓子(アジア経済研究所 参事)、辻井喬(日本ペンクラブ国際委員)氏によるシンポジウム、「日本国憲法にみる戦争と平和」と題した井上ひさし氏のミニ講演、最後に阿刀田高(日本ペンクラブ専務理事)による「もし日本が攻撃を受けたら私はどうするか」との総括があった。
 引き続いて、自衛隊の早期撤収と取材報道の自由を訴えた声明の発表と公開記者会見が行われた。

 集会では、憲法の平和主義は無力でないことの主張や、憲法9条の世界的、人類史的重要性、力あるものが正義となる風潮が暴力を蔓延させている危険性、戦争形態の変化(国家間対立ではない戦争、戦争請負会社による戦争等々)により、それに対応した平和論の構築などの意見が出されていた。

 圧巻は、阿刀田氏の「もし日本が攻撃を受けたら私はどうするか」について、それは死ぬしかないと言い切ったことだ。先の戦争で一度国家に命を投げ出した身、平和憲法はそれ以上に命をかける価値があるという。私もその言や良しとするが、愛する家族や子供はどうするのかとか、その価値は到底日本人のほとんどが受け入れられないのでは等々、つっこんでみたかったが、質問の時間は用意されなかった。

 いずれにせよ、日本ペンクラブのような言論界や日本弁護士連合会などが平和憲法の精神を尊重し、次々とこうした集会や声明を発表していることに敬意を表したい。世の中が戦争へと戦争へと傾斜している中で、何とかこうした動きがそれをくい止め、歯止めとなるよう切に願っている。

小学教師刺殺事件

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 何ともまた痛ましく、悔しい殺人事件が起きた。人を信用しなさいと教える学校が、いまやキーワードは「安全対策」。対策とは人を疑ってかかっていることだ。そうならざるを得ないくらい現場では無力感が漂い、だからこその悩みも深いであろう。

 一頃戦後民主主義教育が悪かったと、倫理道徳の強化や厳罰化が叫ばれた。それは安全、安心のためにと。しかし、そのようなもので解決するならば、最初からこんなにも問題は多発しない。私は以前からもうすでに個人の資質や努力の問題を越えているのではないかと不安になっていた。

 現在社会は、個人の努力を越えて否応なく強者はますます強者に、弱者はますます弱者へと二極化している。それが単に経済格差だけの問題ではなく、希望も何も持てない精神の格差が広がっているとの指摘もある。
 
 格差は格差でも将来に希望のある苦労や苦難であれば、何とかそれを乗り越えようとする。しかし、将来に夢も希望もなければ人は落ち込み、苦難に耐えきれなくなる。犯罪や引きこもりの増加はまさにここから生まれている。

 要は、倫理道徳や厳罰化、単純な安全対策だけでは対応不能であるという認識がいる。もちろん安全対策への様々な知恵や取り組みは実施すべきである。それよりも何よりも、社会全体がすべての1人ひとりのことを真に考えた政治、福祉、教育を取り戻さなければならない。

 宗教を社会の片隅に追いやったことが影響していることも間違いない。今一度「自分を大切に」、「人を大切に」 そして「すべてを大切に」していく信仰心に基づいたあり方が求められる。

46歳の誕生日

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 私、実は今日バレンタインデーが誕生日。なんと四捨五入したら50歳という46歳になった。35歳くらいから1年がすごく早く感じるようになったが、40を過ぎるとますます早まり、はや40代半分を通り過ぎてしまった。

 この年になるとさすがにチョコレートをもらえるのは身内だけ。私の絶頂期、一番もてていたのは小学生の頃。なんと教会まで「こっちは誕生日のチョコレート、こっちはバレンタインデーのチョコレート」とわざわざもってきてくれた。

 驚くなかれ、今とは違ってもう35年も前のことである。これはよほどのことであった。確かその後ミス南紀勝浦温泉に選ばれたと聞いたが、記憶違いか。中1から親元を離れたので、小学校卒業後はいまだに再会していない。あ、私は何を書いているのだ。昔のことを自慢しても仕方ない。昔のことを懐かしんでいる年でもない。頑張らなければ・・・。

実のなる木の思いで

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 私が小学生までの頃は、教会の周りの庭にいろいろな実のなる木があった。さすがに気候上できないバナナやりんごはなかったが、いろんなものがあった。

 南側の表には、サクランボ、梅、ザクロ、中庭には、びわ、ブドウ、ゆすら、グミ、畑にはイチゴ、スイカ。裏庭には、桃の木が2本、みかん、イチジク、キンカンなど。夏場はおやつにことかかなかった。

 取れたてを食べるのであるから美味。いまだにその甘さや酸っぱさの感触が忘れられない。犬も2匹いたし、友達とよく庭で遊んでいた。中学生の頃に教会お広前が新築となり、教職舎をずらしたりして、結果、実のなる木は全くなくなってしまった。残っているのは、マキの木や松の木など食べられる実がならないものばかり。

 大げさではあるが、今から考えるとわが家にも近代化の波が押し寄せてきた感じ。今更言っても遅いが、もっと何とかならなかったものか。北関東や東北などにいくと、車窓から、塀もなく庭続きの住宅をみることができる。そこには囲いの木ではなくて、実のなる木が雑然と植えてある。私はそうした雰囲気が好きだ。やはり人間は天地とともにあってこそ、人間でいられると思う。

東京寮でACT集

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 今日は、ACT(関東教区青年布教委員会)主催の「ACTスカウトキャラバン2005~神様を求めて~ 第1回キャラバン」がわが東京寮集会室で開催された。

 チラシに、「2005年、ACTは、神様を求めて、首都圏の教会をまわります。集え、若人!今こそ、熱く語るときだ!」とある。

 私も金光教東京学生会の頃、都内の教会数カ所をまわった。歴史的にいろいろ運動をしてきた学生会に対していいイメージを持ってない先生から説教をされたこともあった。しかし、それはそれで非常にいい経験をさせてもらったと思っている。

 今日は諸事情で出席できず残念であったが、さっき寮長はいい話し合いができたと言っていた。ありがたいことである。出席した方、様子をコメントしてください。どうぞ、よろしく。

家庭ゴミの有料化

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 もうすぐ小金井市も家庭ゴミも有料となる。そこで一番困るのが不法投棄だ。寮のゴミ置き場は正門近くにあり、外部の人間も簡単におくことができる。数年前、粗大ゴミや家電ゴミの有料化以後、数回ゴミを置かれた。

 明らかに寮生とは違う30年前くらいの扇風機やいったい何に使用していたかのような5メートル以上のわけの分からない廃材もをあった。いったん置かれてしまうとそれが外部のものかどうかは特定できず、内部の寮生たちにも一応は確認しなければならない。疑っているようで本当に気分が悪い作業である。

 最近はほとんど置かれることはなくなったが、家庭ゴミが有料化になるとそれこそ普通のゴミが置かれてしまうのではないかとどうしても案じてしまう。監視カメラや金網で囲い鍵を付けるとか、そんなやりたくもない対処方法しか浮かんでこない。何か良い方法はないものだろうか。

北朝鮮「核兵器保有」明言に思う

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 北朝鮮外務省が、核問題を巡る6カ国協議への参加を「無期限中断する」との声明を発表し、また、声明は米国の敵視政策に対抗するため「自衛のために核兵器を製造した」と明言したとの報道が流れている。

 いよいよ北朝鮮が追いつめられてきた。私が一番恐れていた方向へと突き進んでいる。米国は所詮一アジアの紛争であり、いよいよになると戦争を仕掛けるであろう。結果多大な被害、犠牲を被るのは韓国であり、日本である。

 その我々日本はイラク戦争への荷担、拉致問題も絡み、米国追従、ミサイル防衛への法的、実質的準備など、敵対政策を推し進めている。そして核攻撃も恐れず、日本国が攻められ、日本人が犠牲になっても叩きつぶしてしまおうとの言動が一部マスコミにでてきている始末である。

 本当にそれでいいのか。結局誰かが犠牲にならざるを得ない。確かに拉致された方々をことを思うと、今の北朝鮮のあり方は許されるものではない。しかし、このままでは60数年前の日本の侵略に対する報復に対する報復合戦が続き、新たな憎しみの連鎖を生み出してしまうこと必定である。私は、挑発に対して絶対に構えるべきでないと思う。相手も決して悪魔ではない。

 大悪を駆逐するために、少数の犠牲はやむを得ないという考え方は私は絶対にとることができない。長い時間がかかろうとも決して戦争に訴えることだけはやめてほしい。戦争によって解決したとしても、それは多大な犠牲者を生み、そして決してそれで平和になったとはいえない現実が今の世界である。よくよく知るべしである。

仮出所・保護観察に限界

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 愛知県安城市の幼児殺傷事件の犯人は、事件10日前から仮出所後、入所した更生保護施設から抜け出した男の犯行だった。この仮出所・保護観察という本人の更正意欲や善意を前提とした制度の限界を指摘する声があがっている。

 この制度は1949年に施行された犯罪者予防更正法によっているが、これは現代と違って格段に地縁、血縁が強かった時代の社会を前提に作られた法律であり、流動性の高い現代社会とはあわないという。

 実際に更生保護施設の職員の高齢化と担い手不足であり、保護観察の調査も電話確認程度。主にボランティアの保護司が担っているが、行方がしれなくなると調べようがない。私の父も、もう30年以上確か少年院や少年鑑別所を中心にした若者を担当している保護司をしているがその辺のところを詳しくは聞いたことがない。

 もし、言われるような再犯率の上昇や保護観察中の不明者などが増えているようであれば、この制度自体を見直さなければならないであろう。しかし、なにもかも法律の厳罰化や警察力に頼らざるを得ない社会はやはりふさわしい社会ではない。

 現代日本の政界、経済界、教育界などの反動的な動きはますます悪い世の中になってしまうのではないかと心配でたまらない。強者だけが謳歌し、弱者は排除されみえなくしてしまい、問題や難儀がそこにあるのにあたかも全くないような社会ができあがってしまうのではないか。恐ろしいことである。

「終戦60年」との表現

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 昨年8月、来年度計画案をたてる東京センターの所内会議で、2005年の「終戦60年」をさてそのままその表現でいくか、「敗戦60年」や「戦後60年」という呼び方の方がふさわしいのではないかで大議論があった。

 「終戦」という呼び方は、確か以前にも指摘したとおり、戦争に負けたという事実をぼやかし、天皇が決断して戦争を終わらせたというイメージを持たせるために、日本独特の言い回しにより、それを通称としたいきさつがある。

 「戦後」という表現は、世界では未だ戦争中であり、アジアや日本では未だに戦争後遺症は残り、また毒ガス兵器や軍施設後での有毒物被害が未だに続き、戦争は一度起こしたら50年や60年では終わらないと事実からふさわしくない。

 私は「敗戦」を主張したが、先の戦争は残念ながら負けたけれども、今度は負けないというイメージでとられるという強硬な反対意見が出され、その会議では結論がでなかった。

 そこで新聞、雑誌、インターネットで調べた結果、保守系メディアは終戦、それ以外は、敗戦や戦後という表現であったと思う。

 参考にならないので悶々としていたときに、その後、ある時サッカーをみていてそのアナウンサーがいったかどうか、第2次大戦後60年という表現が閃いた。略して「大戦後60年」だ。この表現でいくと問題はすべてクリアになる。

 そこで私が担当のものは大戦後60年と表現していたら、なんと7日付朝日新聞夕刊2面「経済気象台・企業の社会的責任」というコラム冒頭に「大戦後60年」と書いてあった。この記者も私と同じように悩んだのかどうか、今後朝日新聞がそのような表見でいくのかどうか注視したい。

千鳥が淵戦没者墓苑と平和集会

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 本日、大戦後60年に当たる年の第1回平和集会企画会議が開催された。会議冒頭企画メンバーから長年行ってきた「千鳥が淵戦没者墓苑」での祈りの集会をなぜ取りやめたかについての説明が、参加者のところまで届いていないとの意見が出た。

 長年参加してきた方にとって、何の説明もなく突然なくなったことにとまどいを覚えているようだ。企画員や実行委員会のところでは確認をとっていたつもりであったが、やはり不徹底だったことは否めない。ここで改めて確認しておきたい。

 「千鳥が淵戦没者墓苑」は、太平洋戦争でなくなった身元が分からない無名の軍人や軍属が祀られており、民間人は祀られていない。まして外国人は当然祀られていない。一昨々年タイのプラティープさんを講師にお招きしたとき、侵略された側の方を侵略した側の軍人のお墓に参らせていいものだろうかとの問題提起があった。

 プラティープさんは心の広い方で、全く問題にせず集会に参加していただいた。しかし、一昨年、ハワイや韓国の子供たちをお呼びしての平和集会を企画したときに、やはりその方たちを半強制的に参拝させるのは問題があるということで、千鳥が淵戦没者墓苑での祈りの集会をやめ、東京教会お広前での「平和祈願祭」に変わったのがそのいきさつである。

 世界人類の助かりを願う金光教としては、賢明な変更だったと思う。しかし、それがなかなか周知徹底ができなかったことは反省しなければならない。黙ってついてこいではいよいよ平和的でない。そこのところをよくふまえた上で、これからの展開を期したい。

津波と人身売買

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 スマトラ沖地震津波で大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州などで、孤児となった子供たちが「保護」の名目で連れ出され、行方不明になっている。その数は400人にも上り、「人身売買」の組織が関与しているという。何ともやりきれない。

 取り残された子供たちの「親類」を名乗り、養子縁組を装う。インドネシア政府は被災者の孤児の養子縁組を禁止したほどだ。この地区は相次ぐ紛争や貧困で以前から人身売買が横行し、食料人箱分と交換もあったという。

 さらに救いがたいのは、軍や警察関係者も関与していると指摘されており、政府関係者やNGOがもった国際会議では「犯罪の当事者が出席していいのか」という言葉も漏れたという。また、人身売買に取り組んでいたNGO活動家が暗殺されたという情報も流れ、NGOも身動きがとれないようだ。
 
 災害、戦争、紛争でいつも多大な犠牲を被るのは子供たちだ。そこに大人たちの犯罪が追い打ちをかける。こうした犯罪にこそ即応できる国際監視組織が有効だ。それにはやはり国連しかない。犯罪防止や貧困解決にこそ、日本は積極的に協力していくべきである。

3人の師匠

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 このたび刊行された『神願を生きる』を読ませていただいた。これには昨年ご本部で開かれた、「教会長信行会」時に講話された3人の先生のその講話記録がおさめられている。その先生方がなんと私の人生上、信心の師と仰ぐお三方なのである。なんと恵まれた環境であったかと改めて感じ入っているが、それにもかかわず自身の信心がしゃんとしていないご無礼をわびつつご本を読ませていただいた。

 まず最初に出会ったのは、早川公明先生である。私が学院を終え、教務機関の職員を希望すべく「金光教研修生」の時、その間教学研究所に出向いての研修があった。そのときの指導教官が早川先生で、先生の研究室に最初に挨拶にいったとき、ところで「プロ野球のファンはある?」と聞かれ、「熱狂的中日ファン」ですと答えたら、先生が椅子から飛び上がってびっくりしながら喜んでくれたことを思い出す。また、先生の指示でお道のご本の読書ノートに取り組んだが、汚い字を本当によく読んでいただき、ご丁寧にも多くのコメントを書いてくださった。今でも宝物として時々読み返している。

 その後、本部教庁布教部に配属されて出会ったのが井手美知雄先生だ。先生にはもう書ききれないほどのことを教わった。それにもかかわらず受け継いだのはビールが好きということだけで申し訳ないことである。布教部での思い出は5時以降である。必ず何人かが丸テーブルを囲んで教務や信心談義になる。重要なことはほとんどここで決まるので毎回のように参加していた。実はビールが好きな話ではあるが。忘れられない思い出が山ほどある。

教会数

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 昨日、ピースウォークの道程となる教会のリスト化作業のことを紹介したが、その教会の多さに改めて驚いた。特に京都、大阪、神戸は至る所にあるという言葉がふさわしいのではないか。

 東京でも、初対面の方に「金光教です」と自己紹介すると、大抵どこどこに「教会がありすね。前を通ったことがある」との答えが返ってくる。一度金光教公開講演会実行委員のスタッフが3グループに分かれ、都内の教会に広報がてら、ポスターチラシを持って回ったことがある。実際にまわってみると、その教会の多さに驚いた。京阪神はその何倍もの教会がある。これはすごいことだと思う。

 最近は信奉者減や教勢の低下がよく言われるが、最初は1から始まった道である。現在でも全国1600もの教会で御取次の働きが現されている。現代社会の問題が深刻になればなるほど、いよいよ改めて本教の出番がくる。いや本教のお広前が働かなければ社会そのものが壊れてしまうであろう。

ピースウォーク準備

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 「大戦後60年記念 ピースウォーク参加協力のお願い」を当欄2004年12月13日付「思うがままに」や非戦・平和ネットのメーリングリストでご案内申し上げたが、その後個人的にいろいろあり、準備の打ち合わせがなかなかできなかった。

 今日久しぶりに、東京センター社会活動部門のメンバー3人で打ち合わせを持ち、とりあえず東京から金光までのコース決めと教会リストの作成にかかった。まず、コースは国道1号線と2号線と決め、その沿道に近い教会をあげた。そして、だいたい10キロから20キロでつなぐ拠点となる地点をコースポイント教会にさせていただきたいと考えている。

 現在、ヤフーの地図を利用して、国道に近い教会すべてのリスト化作業を進め、参加者や賛同者を募る中で具体的に決めていきたいと願っている。それをもって沖縄・九州から金光のコースも同じように作成していただき、実現への運びとしたい。是非ともご協力のほどよろしくお願いしたい。

続 世界真の平和

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 金光教全国信徒会会報『あいよかけよ』誌2月号巻頭言、「鳥の目・虫の目」の欄に不肖私の文章(後掲)を載せていただいた。当ホームページ「新聞・雑誌に掲載」の欄に整理すべきだが、新たなパソコンを導入してまだソフトもろくにインストールできない状態で、なかなか以前と同じ状態にするには大変なことだと実感している。

                      ○
  世界真の平和                              辻井篤生 東京都・小金井市

 「世界真の平和」とインターネットで検索をかけてみた。何とすべて金光教関係のみ。驚くことに、本教独自用語だったのだ。また日々「世界真の平和」を御祈念させて頂いている。ところが、恥ずかしながらこの「真」といわれる平和の意味について深く考えることがなかった。そこで、最近考えているところをまとめてみた。

 「真の平和」とは、

1 遠くにある理想や目的ではなく、人間生活の前提であり、手段である。と同時に平和は希有なるものであり、深く感謝しつつ、時々刻々と創り上げていくものである。

2 ある特定の人や集団の平和ではなく、天地全体とすべての1人ひとりの平和である。

3 表層的に平和を唱えるのではなく、私たち人間の心の奥に巣くう暴力性を自覚し、常に自らを正当化しようとする無礼を詫び、改まり、他者の痛みをわが痛みと感じつつ願い、行動するところにある。

 以上3点をを基本とすれば、自ずと現在の政治社会問題等に対する現実的態度も決まってくると思う。

 不肖マイホームページに平和などについて、一昨年8月から毎日書いてますのでお読み頂ければ幸いです。 
『つっんさの心の旅』http://konkokyo.main.jp/gsblog/ 

決算事務懇談無事終了

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 今日は、わざわざ本部教庁経理室員で、布教興学基本財団本部の幹事であるM先生に来寮いただき、2004年度の決算と前にも述べた新しい会計事務処理の仕方をお教えいただいた。

 決算の方は、いつになく順当に終わり、いよいよ新しい振替票に本年1月からの項目を書き込んでいった。「未収金」、「未払金」、「前受金」、「前払金」、「預金」と実際にいわれてみれば、その理屈はわかるのだが、実際の伝票上の処理、エクセル上でのプラスかマイナスか、とまどうばかりである。

 何とか、実際にやってみて、1月分計は現金残高、銀行預金通帳、郵便局貯金通帳、郵便振替等見事に数字があった。それもそのはず今まではたとえば寮費収入、光熱水費支出など、月を越えて入ってきたり、引き落とされるものがあるので、その当月末には帳簿と残高額にずれが生じ、いちいち通帳にプラス、マイナスして書き込んでいた。

 それが今回の方法でいけばすべて台帳上で当月分の動きは明らかになり、実際に金額が動いたときに精算されるので必ず当月末は現金、通帳残高と台帳はぴったりと合う。慣れてしまえば、これまであれやこれやと足したり引いたりすることがなくなる。何を今頃いっているのと思われそうだが、素人には何ともなるほどこういうことかと関心しきりである。といいながら本当にしっかりとできるかどうか。ぼちぼちまいりたい。

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