2010年4月アーカイブ

今日の池袋発、南紀勝浦行き夜行バスで帰省します。5月1日の夜行バスで帰京しますが、連休明けくらいまで当欄お休みします。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 祭典は、祭主須賀院明徳運営委員長代行、金子恵運営委員、奏楽小笠原操金光新聞東京支局長により、以下の式次第で仕えられた。

・祭員参向、着席                  
 ・拝礼                  
 ・神前拝詞奉唱            
 ・取次唱詞奉唱(先唱 前寮長)
 ・祭主祭詞奏上   
 ・祭主玉串奉奠
 ・天地書附奉体          
 ・各代表玉串奉奠         

金光教教務総長代理・坂浦輝真佐教務理事
一般財団法人金光財団代表・和泉正一代表理事
金光教東京学生寮運営委員会代表・阪井澄雄委員長
前東京寮代表・中山和郎様
卒寮生代表・寺本二千昭様、金光和道様、勝木和子様、川上公雄様
金光教東京学生寮代表・辻井篤生寮監、辻井栄里主事、片島立教寮長
                 
 ・神徳賛詞奉唱         
・「綱領」「願い・精神」奉唱   
 ・拝礼             
 ・退下

 ○挨拶 金光教東京学生寮運営委員会 阪井澄雄委員長
要旨「尼崎のJR列車事故で助かった方が、目の前で大勢の方が亡くなっていった体験から『亡くなられた方達と一緒に死に、同時に一緒に生きている感じがする』と仰っていた。これは生物学的、物理的な生死の瞬間、運命の統一の意味を超えた、お互いのいのちの一番の土台を共有しあった言葉であった。私たち信心を頂いている者は『大河のひとしずく』という自分自身とそれを大きくつつんでいる『大海原』、『大河』を同時に感じ、一日の現実生活にその中身をおく。そういう生活の場としての東京学生寮100年のいのちの積み重ねのなかに真剣に身をおいて、ここからの新たな歴史と伝統を築いていただきたい」
(つづく)

※100周年報告がまだ途中ではございますが、勝浦教会大祭で帰省し、当欄連休明けくらいまでお休みするため、しばらく中断します。その後、引き続いてご報告申し上げたいので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 100周年当日、夜中に帰ってきた息子が「雪が積もっている!!」と言う、「えー」である。朝6時、外を見ると何と車の上は5センチほどの雪。テントを張っている芝生の上は真っ白。そして雪は雨となって強く降っている。「あちゃー、最悪」、9時までには何とかやんでくれないと。

 というのも、集会室入り口は外になっており、穴が開いている軒樋から雨が漏れ、雨が強いと滝にようになってしまうからだ。ちょうど2階寮生室最西端の角からの雨水と集会室の軒から溢れてくる雨水で、傘がないとずぶ濡れになってしまう。

 2階上部の軒は、ある理由で直してもすぐに歪んでしまう。物理的に解決できずやむを得ずそのままにしてある。集会室の軒には脚立を立てれば届くので、朝から必死の修繕、水が手に冷たい。何とか集会室からの水は樋を流れて、半分の雨漏りは防げた。ただおかげで私はずぶ濡れ。

 8時30分頃にはスタッフや業者の方が集合、まずは芝生部分の雪かきに始まった。その頃早くも財団役員の方が到着、10時頃までに続々とご到着、10時30分に役員会が始まった。11時30分頃には東京学生寮運営委員や卒寮生の方が集まってくる。

 12時に財団役員と運営委員が合流、業者が用意したサンドイッチを食べながらの懇談が始まった。ここで問題発生。会議参加者のお茶をペットボトル用意していたが、コップがない。こちらは業者が用意すると思っていたが、業者の方はこの時のコップは想定外。花見で使った紙コップはあったが、とっさにどこにしまったか思い出せない。

 仕方なくいつも使用している集会室の形がバラバラのガラスコップを使用、お茶をつぐ要員がいない。女性の運営委員に大変な迷惑をかけてしまった。何とか無事食事が終わり、打ち合わせでここが一番難関だった集会室内を祭典用に設定変更。思ったよりスムーズに済み、1時半からの祭典に備えた。(つづく)

 100周年の前日、朝からご本部の先生4人と財団の職員1人が応援に駆けつけてくれた。当日午前中集会室において「一般財団法人金光財団」の役員会と東京学生寮運営委員との懇談が開催される関係からだ。祭典とレセプションを集会室及び外の仮設テントで行うため、当日午前中に準備できず、業者の方も前日から準備に入った。

 お供え物の買い物や、調撰、席次表の最終確認、会場の設営等、業者の方と平行して準備は順調に進む。しとしと降っている雨がやや途切れる合間をぬって外の掃除、芝生部分の草取りなどを始める。ここのところの長雨でなかなかできなかった箇所だ。ふと、気がつくと倉庫から芝刈り機を出してきて借り始めた。

 さらに、私が気がつかないところもよく見てくださり、またいつか当て逃げされて傾いていた正門の門柱を3人がかりでまっすぐにしていただき、さすがのご本部管理営繕を司る財務部管理課職員の皆様と深く感謝、感謝申し上げた。その後、本番当日の流れを確認。会議と祭典とレセプションを同じ場所で行うため、その都度の配置の変更方法、分担、受付、接待、誘導等々の役割分担を確認して準備を終えた。(つづく)

 長い間のご無沙汰失礼いたしました。創立100周年に向けて早め、早めに準備を進めようとしてきましたが、月日が経つのはあっという間で、結局間近までばたばたしてしまいました。前日にはご本部からの応援もいただき、こちらの想定外の問題にも気がついていただき、誠にありがたいことでした。

 そして昨日、金光教東京学生寮創立100周年開寮記念祭が当集会室において、全国各地からの関係者、卒寮生100人の参拝者のなか、滞りなく仕えられました。そして集会室及び芝生部分に設けられたテントにわかれてレセプションを開催。前寮監中山亀太郎先生のご子息和郎様や各年代卒寮生のご挨拶を頂きながら、笑いの連続のなか、またそれぞれ久しぶりに出会った卒寮生達が賑やかに歓談していました。

 その後、卒寮生有志20数名が鳩ノ巣の奥多摩温泉一泊旅行を楽しみました。さまざまにご無礼、お粗末があったことと思いますが、無事万端終えさせていただき、深く感謝申し上げます。また、詳細をぼちぼち書いていきたいと思います。

ご本部天地金乃神様ご大祭参拝 2

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 相賀先生の娘さんも、子弟の交流会に参加とのことで少し見に行くという。それじゃあ、相賀先生は全国学生会OB会前事務局長で現副会長だから、現役学生会全国代表になった息子と少し今後の協力体制について会ってもらおうと一階の教庁ホールに降りた。子どもたちは、夜のチャリティーコンサートに出演するために合唱の練習をしている。挨拶程度でしか話せなかったが息子を紹介した。

 さて、私は時間がたっぷりある。お昼を食べてゆっくり調べ物でもしようと思ってホールを出ると、そこに岡成育成部長が戻ってきた。先生とは学院が同期、どころか金光学園でも一緒。金光学園寄宿舎に住み、高3の時は寄宿舎の事情で私の親戚の栗尾宅に一緒に下宿していた仲である。夕刻5時30分の子弟の交流会での挨拶までは何もないとのこと。育成部長室で金光様お退けお見送りまで、なんと3時間ほど信心の話しで盛り上がった。

 ここで確認できたのは2点。我々の世代は信心の周辺についてはよく勉強もし、話しもしてきたが、信心のど真ん中をあまり話してこなかったということ。やや上の世代からもすでにそうだが、子どもたち世代に対して気を使いすぎ、あるいは遠慮して、親として、先輩世代として本物の信心を伝える努力を怠ってきたということ。で、岡成先生が最近はど真ん中の話しをするよう意識しており、今日の子弟交流会でも話すから聞いてほしいということで、私も後ろのほうで聞かせていただいた。

 内容は、「ある方が不治の病であった結核を患った息子を助けてもらおうとお広前に参ったが、お取次では結核のことは何も触れられず、『お天道様がお照らしなさるのもおかげ、雨も降られるのもおかげ、おかげの中に生かされてのこと』という天地の道理についての話しばかりであった。最初はなぜ結核のことを話してくれないのかと思ったが、その病気の前に人間が生かされているところの根本のところを理解できた。それを息子に話すと息子も合点がいき、そこから完治のおかげをいただいた」とのお話であった。

 そして「それぞれ教会子弟のみんなの親やおじいちゃん、おばあちゃんがそうした取次を通して人が助かってきたその道につながっている者同志であり、道の仲間として1泊2日大いに交流してもらいたい」と結んだ。

 息子の同級生の寮生で、学生会スタッフとして参加していた片島君と一緒に帰ったが、車の中で二人が異口同音に「岡成先生の話はよかった」としきりに感心していた。なるほどこのお道の信心の要素というのが私にとってはそれが当たり前になっており、あまりに軽く考えていたことを反省させられた。

 この度、教団から出された『取次に生きる』はまさに世間の価値や一般の信心の価値を超えた金光大神の信心の要素が凝縮され提示されており、繰り返し読ませていただいたが、さらに深く読ませて頂き、自分のものとしてさらに次世代に伝えていきたいと思わされたこの度のご本部参拝であった。感謝。(おわり)

 4日の春のご本部天地金乃神大祭に参拝させていただいた。娘が教師子弟交流会に参加、息子が学生会スタッフとして参加するため、一緒に車で向かった。休日割引がまだ続いている。土曜日になったら出発しようと午前1時に決めた。

 2日夕方6時頃に夕食をいただいて、7時には布団に入った。5時間は寝られる。しかし、そう簡単には寝ることができない。気がついたら早くも12時。10時までバイトのあった娘が起こしてくれた。

 まずは私が運転。国立府中から高速に乗り、わずか2時間ほどで諏訪SAに到着。空いている。次に息子が確か草津PAまで。次に私が龍野西SAまで。ラスト息子が金光まで運転し、9時30頃到着。娘はこの間、ほとんど熟睡。うらやましい限りだ。

 正門下の駐車場で正装し、まずはご本部広前に参拝、お届けさせていただいた。そこから私がいつもお世話になっている親戚の栗尾宅(亡くなった母の実家)にご挨拶。次に運営委員長らに挨拶と本部教庁に向かったが、あいにく庁議中。

 息子は早々と育成部の先生方に合流。娘と二人布教部でコーヒーをいただき、布教部の先生にお付き合い賜り、昔ここで「御用していたんだよ」と1時間30分ほどいろいろとお話しした。12時近くになって和泉布教部長がお戻りになり、ご挨拶。和泉先生は以前寮運営委員をしていただいたので、娘を小さいときから知っている。時間があれば楽しい話になるんだが、他に来客がありお忙しそう。

 「つちや」へ行こうとエレベーターを降りたら、すでに江田育成部次長が受付に座っている。何と娘には軽食があるとそのまま合流した。そこで東京学生寮100周年関係で寮友会事務局長の相賀先生と午後から約束していたので図書館に行き、寮友会から寮へデジタルテレビの贈呈があることなどいろいろと打ち合わせた。(つづく)

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