2012年7月アーカイブ

先ほど無事帰寮

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 金光財団役員会出席のため、7月29日のJR高速夜行バスでご本部へ。このたび評議員、理事の改選があったことから役員会後つちやで会食。その後また20時50分倉敷発新宿行きのバスで帰寮した。

 東京・倉敷便のバスは、「マスカット号」、「ルミナス号」、「JR高速バス」の何と3社も営業している。最近は、ポイントが5つたまるとワンランク上の席がサービスになるJR高速バスを利用している。このたびバスで行ってすぐにバスで帰るため、帰りをポイントを使用して、2階席前方にあるスーパーシートで帰ってきた。

 これが2度目で前にも書いたと思うが、元々新幹線よりバスが好きな私は、このシートは全く疲れ知らずの快適そのものである。ほとんどフラット状態の感覚を得られるし、座席のシートもしっかりしていて座り心地がいい。カーテンでしっかりと仕切られているのも有り難い。

 ただ、今後はご本部にいかせていただく回数も減ることから、ポイントをためるのが大変である。片道1回で1ポイント進呈される。それを1年間の期限で5ポイントためなければならない。そしてそこから半年の間に使用する必要がある。もう少し期間を広げてほしいと思う。

 

 また、それぞれの講師の講義の間に1日3回、計6回の実習が入る。何分人数が40数名と多いので、7班にわかれてそれぞれ講師が1人つく。そして学院生が班単位で1実習ごとにそれぞれ講師が待っている教室をまわる。1人ひとりがテーマに即して2分~3分間の話を実際にしてもらい、その1人ひとりに講師がコメントを入れて指導する。

 私の場合、話を聞きながら時間を計るのは初めての経験。2分で予鈴を鳴らすところを1分半でならしてしまったり、ある方には大変迷惑をかけてしまった。話を聞きながら、どう指導するか、コメントをどう言おうかと考えながら時間を計る。正直もう大変。全霊全魂を込めるとはこのことだと、頭はフル回転、力を出し切った感じであった。

 お蔭さまで受け物がよかったことと、他の立派な講師群のおかげで、学院生の皆さまに大変喜ばれたようだ。第2日早朝は大変な大雨で、雷が学院付近に落ち、非常ベルが鳴り響いてみんな起こされたとのこと。その体調が最悪の中でもほとんどの方が寝ることもなく、積極的に楽しく取り組んでくれたことは大変有り難いことであった。

 最後、全員の感想も素晴らしいもので、私も大変に鍛えられ、勉強になった中身の濃い2日間であった。終了後にすでに来年の日程も決まったようで、ますます「話し方信心」の精進に励んでまいりたいと願っている。(おわり) 

 そのようなことで、今年で確か5回か6回目となる金光教学院での講座への参加となった。まさか、まさか私が学院の教壇に立ち、学院生の前で話をするなど全く予想もしておらず、それも「話し方」の講師となるとなおさらである。また今年の学院には、なんと東京学生寮出身の学院生が5人もいる。久し振りに会えるので楽しいやら、しかしまた気恥ずかしいやらで落ち着かない。

 この講座には「教師のための話し方信心入門-道を伝え広げゆくために-」という立派なテキストがある。そのテキストの中の3箇所ほどがわり与えられ、一つだいたい6分から10分で講義をする。テキストは箇条書きになっているだけで、教える内容は講師自身に任される。

 私は、金光達太郎先生が三一新書から出された『話し方の秘密』や小金井図書館と国分寺図書館から話し方に関わる本を10数冊借りてきて勉強した。何せ急造講師、本当に大丈夫かである。さらには、ただ、ただ真面目に語るだけでは関西人としての面子もある。どこかでボケでもかまして笑いをとらねばと、考え出したらきりがない。

 何とかご無礼、お邪魔になってはいけないと準備だけはできるだけ整えた。そして、いよいよ本番。講義の内容は、「まず目に入る、態度」、つまり人は見た目で判断するから、表情、身振り、姿勢などが非常に大切であるということを教える。ゆえに皆さんが私を見た瞬間でどう判断するか。まずもって最初が肝心であった。

 教壇に立って挨拶をした。すると、意識なしの一瞬の間を作ってしまい、なぜか笑いが起きた。みんな笑ったということは、親しみを持ってくれたと思ったが、笑いをとりにいったところではない。「え!」と戸惑ってしまい、その後変に緊張してしまった。

 2日間で3回の講義は、まま何とかといったところである。笑いをとりにいったところでも笑ってくれ、真剣に聞いてくれている態度が何よりも嬉しく、今年の学院生は前評判通りなかなか優れていると思った。(つづく)

 先日の7月6、7日に行われた金光教話し方研究会の講師8名による「金光教学院話し方講座」が開かれ、その講師の最末端として参加させて頂いた。まずは、なぜ私がという経緯から。

 私は故金光達太郎先生が創設された「日本ヒューマン・リレーションズ研究会(HR話し方研究会)」が主催する本郷教室(8コース・都連の信徒グループが発起)の第2期の講座に、かれこれもう20年ほど前に参加した。

 この本郷教室は今日まで続いてきている。また「HR話し方研究会」とは別に、この教室を出られた金光達太郎先生の弟子達が、一般の教室では信心の話ができないことから、金光教が主体となった「金光教話し方研究会(金話研)」を創設し、浦和教室や藤沢教室、霊地教室や中近畿教区での単発の講座等々を全国的に展開してきている。

 私が本郷教室を卒業した頃はまだ「HR話し方研究会」しかなかった。その上級コースへは、当然一般の方も参加してるので、日程が土日中心となることから出席できずにいた。また「金話研」発足後、その役員として少しの間関わったが、その後は昨年まで長い間ご無礼していた。
 
 ところが昨年の夏、その「金話研」の講師養成短期集中講座なるものが開催されるということで、いつも大変お世話になっていた金話研会長の西原さんからも強く要請があった。西原さんの頼みとならばこれは絶対に断ることができず参加したことから、何と私もその講師群の一人となったようなことである。(つづく)。

 無事金光新聞「信心真話」最後の検討会議を終え、帰寮。昨日は、「みのり」に参加。今年は日照時間が少なかった影響か、トウモロコシはまだ成長半ば。しかし、3分の1程度は収穫することができ、子どもたち5、6人を含む10数人の参加を得て120本ほどを収穫し、美味しく頂いた。

 本日は、昨日、今日と小金井市民交流センターで開催された「こがねい平和展」に参加した。昨日は「みのり」で参加できず、今日はDVD「10万年後の安全」の上映と日本テレビ元プロジューサー仲築間卓蔵氏の「いま、マスコミは大丈夫か?」と題した講演、「陸軍登戸研究所の実相」展であった。

 「10万年後の安全」は、恐らくフィンランド・オンカロ島の廃棄物最終処分場の自然や科学的、技術的問題であろうと予想していた。例えば地下深くといっても地震が来ればどうなるか。地震については18億年地層が動いていないという。

 が、10万年後までの未来の人々に伝えなければならない伝説として「忘れ去ることを忘れてはならない」という言葉に象徴されるように、この問題も私たち人間の問題であった。

 つまり、未来の人間は必ずそこに埋蔵金のようなものが隠されていると確信して、掘り起こしてしまうだろう。それを防ぐためにはどうすればよいか。映画では国の担当者や科学者にインタビューしていく形式がとられている。

 何しろ10万年である。どうその危険性を確実に警告として伝えていくことができるか。フィンランド国家が継続するか?。ほぼ可能性はない。警告碑を残したとしてもその文字が読めるかどうか?。法律で決めたとしても全く文化、生活様式が変わってしまうのだ。

 また、科学技術が今以上に進歩する保証もない。科学に価値を置かないかもしれないし、今でいう科学技術文明の側面からいけば、未来の人類は退化、後退しているかもしれない。

 となれば、もう一つの方法として、人間からできるだけ離すしかない。その存在を完全に人間社会から隔離する。完全に忘れてしまったら掘り起こされることはない。要するに忘れ去らなければならないのだ。

 そこで、先ほどの「忘れ去ることを忘れてはならない」ということになる。果たしてそんなことが可能かどうか。それはほぼ絶望的であると警告した映画である。  

 次に講演会では、大手メディアは、「権力の監視・批判」と「利潤追求」の両面がある。よく頑張っているメディアもあるが、いよいよのところは自己規制がかかり、腰砕けになる。つまりはどこまでいっても権力の「許容範囲」でしかない。

 では、どうすればいいか。メディアリテラシー(読み解く目)を持ち、オルタナティブ(もう一つの)メディアをそれぞれのところで立ち上げるべき。それを直接国やメディアだけに向けるのではなく、大手メディアが「知らせない」ことを大企業や広告主に直接「知らせる」努力を地道に展開する。

 例えば、小売業からみれば「絶対購買層」、「相対購買層」、「絶対非購買層」の三層を想定し、この相対購買層に働きかけるが、改憲問題も同じとして、「相対層」に働きかける必要を提言してくれている企業もある。

 また原発でいえば、城南信用金庫のように、すでに気がついて具体的に原発での電力を拒否する企業も出てきている。必ずや大手メディアが「しまった!」という時期がくる。それまでそれぞれのところで頑張っていただきたいと結ばれた。

 登戸研究所のことも、私ははじめて知った。細菌兵器の研究・開発で有名な関東軍731部隊とも関係が深かったようで、ここでは生物兵器、化学兵器やあの風船爆弾も製造していたようだ。改めて戦争の怖さを知ったようなことである。 

暑!暑!暑!

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 まだまだ梅雨が続くと思っていたら、本日何といきなり梅雨明け宣言。東京センターの冷房が故障。暑い。

 一昨日、第30回金光教東京平和集会、万事にお繰り合わせをいただき、無事開催。酷暑の中、200人の方に参集いただいた。

 昨日は来客のため、残念ながら参加できなかったが、17万人もの方を集め、脱原発の集会が開かれた。本教からは13名参加したとのこと。

 私は様々な観点からいきなりの脱原発は難しいと考えていたが、大飯原発や志賀原発の真下にある亀裂の調査をためらっている保安院の態度に、ほとほとあきれかえっている。

 これから夜行バスで『金光新聞』の会議でご本部に向かう。実は昨年から今年にかけて、「信心真話」の執筆者として年4回の原稿を書いてきた。

 明日はとうとう最後の8本目の検討会議がある。あっという間の2年であったが、最初はどうなることかと思ったが、何とか8本最後まで努めさせていただくことができた。いや、まだ明日、明後日の検討会議を経てのことである。

 それでは行ってきます。帰ってきて土曜日は「みのり」の作業に寮の留学生たちと参加。一連のご報告はもうしばらくのご猶予を。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

今日この頃

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 先日の5日から7日までご本部・金光教学院で、金光教話し方研究会主催の「学院話し方講座」の一講師として参加させていただいた。当日に講師認定証を受け取るという新米講師での御用。冷や汗ものであった。 

 昨日は寮7月の月例祭を森本幸恵師運営委員ご祭主のもとに仕えられ、本日これから東京センターにおいて、15日に行われる第30回東京平和集会の実行委員会が開かれる。平和集会では私も「東京平和集会30年の歩み」を報告することになっている。

 そのようなことで、この一連の内容をまた詳しくご報告申し上げたい。乞うご期待。

平和の象徴「ナギ」」の神木

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 6月30日付朝日夕刊のコラム「窓」に、「沖縄は琉球王朝時代から和歌山県の熊野信仰と縁が深い。沖縄にある神社の多くは熊野三山の一つ、熊野速玉神社からの分社だ」とあった。はじめて知ってびっくりした。

 「この大社には、推定樹齢千年ともいわれるナギの神木があり、国の天然記念物に指定されている。ナギは「凪」に通じ、熊野古道を歩いてきた人々が道中の無事息災と現世安穏を祈って、その葉を持ち帰ったとされる平和の象徴」だそうだ。

 先月、「復帰40年にあわせ、ナギを沖縄と熊野をつなぐ平和の木として顕彰する式典があった」とのこと。熊野信仰はその特徴を、秩序より無秩序、混沌を尊び、つまりは自由を重んじ、老若男女、貴賤貧富の格差なく誰でもが参拝できる、つまりは平等という近代思想といわれる価値をすでに重んじていた。

 しかし、現実の沖縄は問題があるといわれる「オスプレイ」が配備されようとしており、拒否権はない。沖縄はいまだに差別格差の中にあり、事実上米軍の占領下にある。ナギの木が真に平和の象徴となるように、一歩でも二歩でも真の平和に向かってほしい。

 

再度、再稼働に思う。

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 先日古いVHSビデオを整理のため、内容を確認していたら、2003年の筑紫哲也さんキャスターをしていたニュースが録画されていた。何と、東京電力が福島第1原発の内部亀裂事故のビデオを消去し、証拠隠滅したとの内部告発があり、新潟と福島の原発が全て停止したとのニュースであった。

 忘れていたどころか、当時ただぼーっと見ていたのではと思うほど全く覚えていない。ニュースは情報公開の法制化が急がれると述べて終わっているが、その後どうなっていたのか。事故の遠因はやはりあったのだ。

 そして今回これだけの事故を起こしながら、先日出された東電の「最終報告書」は全くなっていないと各方面から批判が出ている。また、このたびの事故を巡る東京電力幹部のやりとりが収録されたテレビ会議システムの記録公開を拒否している。

 枝野経産相が朝日新聞の取材に「記録を出さない方がどうかしている」と発言しているにもかかわらずである。東電は実質上国有化されるのでは?。理解に苦しむ。事故調査をなおざりにしながら、柏崎原発の再稼働にふれるのはどうしても納得できない。

 原子力発電に携わるある方が、「実は福島原発は一番危ないと思っていた。原因は津波ではない」と断言されていた。結局公開してしまったら、それこそ再稼働なんかは絶対にできないから隠していると思われても仕方がない。

 政府民主党は、脱原発の方向性には変わりはないと言いながら、当面は原子力に頼らざるを得ないとして再稼働を図る。そのままなし崩しで動いてしまえば、またまた人間の愚かさで、同じ過ちを繰り返すのではないか。

 難民化している避難住民の方々の塗炭の苦しみ、また、果たして除染ができるのかどうか。それから、もし今夏電力不足で非常事態になったらどうなるか。それこそ死活問題の人々も少なからずおられるだろう。原発事業関係者の生活や雇用の問題等々を考えると脱原発と単純に言ってすむ問題ではないと悩まざるを得ない。  

 しかし、拙速な原発再稼働の前にまず第一は、避難されている方の救済と除染、事故原因の徹底調査と公開。次に電力不足における被害の想定。火力、水力の代替エネルギーの強化。その工程表と全体像を国が示すべきであろう。そして新エネルギーの開発を国家的プロジェクト、いや日本が主導して世界的プロジェクトで取り組むべきだと思う。

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