2011年8月アーカイブ

 明日から一週間気仙沼に入ります。現在3名の寮生が活動中です。今回も万事にご都合お繰り合わせを頂き、ご無礼、過ち、ケガ、事故なく、無事安全、交通安全、万事におかげを蒙ってまいりたい。

 当ブログ、しばらくまたお休みです。

 

 8月24日付『東京新聞』25面に「気仙沼郊外の仮設、店も病院も遠すぎ」という記事が出ていた。この気仙沼郊外の仮設とは、通称「五右衛門ヶ原仮設」と呼ばれ、気仙沼出身の寮生Rちゃんのご家族も入居している。全て完成すると400軒、約2000人弱の大きな仮設となる。

 私も2回ほどこの五右衛門ヶ原仮設支援に訪れたことがある。一回目はトラック市と称して軽トラにあるだけの物資を積み込んで、仮設住宅の住宅に並べて、住民の皆さんに好きな物を持っていってもらうボランティア二回目は、集会所でかき氷の提供を他の団体の足湯と併せて行った。詳しくはまた連載予定。
 
 二回目の集会所で、住民の人たちがまさに東京新聞の記事通りのことを仰っていた。この「五右衛門ヶ原」という名称で想像できるとおり、気仙沼市内から車でも20分程度かかる。まわりに店も何もなく、クマが出そうな山の中である。

 公共交通は乗り合いバスだけ。それも1日3便。片道400円、往復800円もかかる。ちょっと買い物とは行かないのだ。気仙沼教会の坂を上がったところに気仙沼中学校仮設住宅があるが、ここには仮設のセブンイレブンがある。五右衛門ヶ原仮設にも設置の計画があったがどうも中止になったらしい。

 市内に近いところに店があって、必要なところにはない。これも採算という経済論理が働いているのか。この非常事態の中で全く理解できない。住民の方たちの中に車のない方も多い。新聞がいうまさに「交通弱者」だ。何がほしいと言って、一番は「足」と仰っていた。市も何とか考えてほしいし、送迎ボランティアもできないものかと思う。

 明日からまた1週間ボランティアに入る。夏休みが過ぎるとわが金光教支援機構のボランティアの数も減ってくる中で、自らだけではなかなか難しいところがある。が、また五右衛門ヶ原仮設に行く機会があると思うので、その辺のことも長期滞在の現地代表とも相談して、何かいい方法がないか、色々と可能性を探ってみたい。

とりあえず、無事帰ってきました。

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 8月6日土曜日から8月21日までの気仙沼でのボランティア活動から無事に帰ってきました。来週からまた1週間気仙沼に入る予定にしている。その間、本日平和集会反省会議、それからピースネット学習会があり、このたびのボランティアの詳細は、来週のボランティアを終えて9月4日に帰ってきてからまた連載したい。

 ボランティアの活動内容は、大きく瓦礫の撤去、ヘドロかき、家財出しや荷物の運搬などから仮設住宅支援、支援物資の搬入、かき氷提供やお茶会の実施等の内容に移ってきている。しかし、被災した土地が今後住めるかどうかという判断が9月頃に市において決定するらしく、その後、まだまだ泥かきや家財だし、引っ越しの手伝い等の作業もまた増える可能性もある。

 今後はその両面を見ながらの活動となると思う。そのようなことで一部復興も進み出してはいるが、まだまだ復旧もままならない状態であり、ボランティア活動への期待は今後とも大きいと思われる。しかし、夏休みを終え、大学生年代のボランティアが減る可能性があり、行ける方はできるだけ参加してほしいと願っている。

 女房が、3日から5日の今日まで、オーバーフォーティーズの一員として気仙沼ボランティアに入った。渋谷駅に夜9時頃着とのこと。娘は、府中西高校軽音楽部合宿で2日から今日まで長野県の斑目に行っている。帰りはだいぶ遅くなるとのこと。

 息子は10日間ほど気仙沼に入り、帰ってきて2日、3日と一緒に行っていたK君と寮集会室で報告会を開いた。多くの人に現状を知ってほしいからとのこと。ありがたいことである。

 さて、私は寮生のI君と金光教災害ボランティア支援機構便で、明日6日から21日までと27から9月4日まで気仙沼ボランティアに入る。当初は1月くらいずっと入ろうと考えていたが、ピースネット学習会や平和集会の反省会、来年度の社会活動計画などのため、ぶっ続けは断念した。

 そのようなことで、また当ブログしばらくお休みしたい。昨年ほどではないが、今日も結構暑かった。皆さま御身、お大切に。ご活躍をお祈り申し上げます。
 それでは「行ってきます」。

人のことは、笑えない。

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 中国高速鉄道の事故は、驚くべき展開を見せた。事故対応のあまりのひどさにますます中国蔑視の発言をさらに聞くようになった。確かに車両を埋めたり、女の子が取り残されていたり、二日もしないうちに運転を再開したり、あまりにもお粗末はお粗末であり、恐ろしい対応ではある。

 しかし、私たち日本人も中国を笑ったり、そう偉そうに言えたものかどうか。そう、福島の原発事故のことである。パニックを恐れたとはいえ、メルトダウン公表は二か月も過ぎてからだ。政府や東京電力は、どこまで本当のことを言っているかわからない。そして安全性が確認されないままに、玄海原発は再稼働に向けた安全宣言が出された。

 中国での事故はあまりに見えすぎて、政府当局が非難されるのは当然ではあるが、日本の政府や東電の対応も本質的には中国のあり方と変わらないのではないか。欧米人から見れば、中国も日本も結局同じアジア人で信用できないと、どの程度かはわからないが蔑視の目で見ているそうである。

 もう一つ例えばいま、北朝鮮という国をおかしな国、愚かな国と見ているが、戦前の日本も世界からはおかしな国、愚かな国と見られていたのだ。何も北朝鮮や中国、欧米諸国を肯定したり、弁護しているのではない。人のことを言っている前に自分自身のことを省みなければならないことは、今も昔も、国も個人も一緒であると世界中の国や人々に言いたいのだ。

 ご本部での一般財団法人「金光財団」の役員会と金光新聞の会議に出席させていただいた。夜行バスで帰京、そのまま東京センターにおいて、「金光教話し方研究会」の講師養成講座に参加した。これについては、今月予定の気仙沼のボランティア活動後にまた紹介したい。

 さて、光風館での財団役員会の昼休み、お隣北ウィングで金光教学院生が少年少女会の研修を受けていた。図書館に寄ったとき、相賀先生が「学院生が図書館に研修に来たとき、寮出身の女の子がいたよ」と教えてくれていた。

 もう15年ほど前にいたH・Dちゃんであった。昼休みなかなか見つからず、学院次長に呼んでもらったら、元気な声がして寄ってきた。「キャー先生久しぶり!!」と。少しスマートになっていた。

 実は私、以前バスだけで旅行をするテレビ番組をたまたま見ていた。確か夷子さんと太川良介さんともう一人女性が旅をしていた。そしてH・Dちゃんの出身のM市に入ってきたとき、そのバスセンターの受付嬢が何とH・Dちゃんそっくりであった。

 しかし、まさか、確か東京である出版社に勤めていると聞いていたのでそれはないと思い、しばらくして忘れていた。H・Dちゃんの顔を見るとすぐに思いだし、聞いて見た。それが、何と、何と、「あれ、私です」と。「突然夷子さんが入ってきて撮影されました」と。

 私やっぱりそうであったかともうびっくり。実を言うと、これまた、たまたま夕方のニュース番組を見ていて、その中の特番で卒寮生のK君が働いているところが取材され、彼が登場したところを見たことがある。早速に確認したらそうであった。

 数ある番組で、それもそうそういつもテレビを見ているわけでなく、そして一度きりの出演を、それも寮生二人も偶然見ていたという確率はとてつもなく低いであろう。何とも不思議な縁を感じてしまう。それはそうと、今年は寮出身の学院生が二人いる。修行成就を願っている。「頑張ってね!!」。

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