2011年6月アーカイブ

 6時から夕食、7時からは歓迎会を開いて頂いた。宿泊は首都圏地震等災害ボランティア機構が教会の裏の空き家を借りていただいている。男性は全員そこに泊まる。1階に1部屋と2階に3部屋ある。夏場なら詰め詰め20人くらいは泊まれるかも。

 女性は、教会横にある金光会館(信奉者会館)にお世話になる。こちらの1階にシャワー室がある。(食事と入浴は、残念ながら諸事情でここでは詳しく書けず、知りたい方は個人的にご質問下さい)。

 第二日目は、ボランティア活動が今日までの寮生のために、嶋田先生が被災状況をしかと見ておくこと必要ということで、陸前高田市と気仙沼鹿折地区、気仙沼南の三箇所を案内してくださった。まずは陸前高田市。山間を走っていると津波の被害にあったとんでもない姿の家屋が見えてくる。えー、何でこんなところにもと思ったが、川が流れており、山間でも川がそばのところは、軒並みやられている。

 海近くの小さな集落も全滅。そしていよいよ陸前高田市の中心街に入っていくと、想像はしていたが、何ともいえない光景に息をのむ。最初は、誰も何も言葉を発しようとしない。日曜日だからか、全く重機も人影もまったくない。まさにゴーストタウン。車を降りて、嶋田先生のご説明を受け、ようやく言葉が出だす。

 

P6120993.jpg  P6120990.jpg P6120988.jpg 

 次に、津波の高さがわかるという建物へ。陸前高田市中心部北側でそこだけ2棟公務員宿舎の建物が残っている。海からは数百㍍のところだと思われる。この建物の5階の部分は全てカーテン等残っているが、4階以下は完全に空洞になっていて、家具等全て流されてしまっている。あの高さまで津波が来たかと思うと足がすくむ。

  P6120996.jpg P6120995.jpgのサムネール画像 P6120997.jpg  その後、気仙沼に引き返し、あの大火災があった鹿折地区へ。途中、千葉県警、京都府警、警視庁等の警察官がご遺体を捜索しているがまだまだ被災箇所に比べ数が少ないように思う。鹿折地区は運転手で入った2か月前とほとんど変化がない。そこから港の方に向かうと、大きな漁船がクレーンにつられ、海に戻す作業をやっていた。なかなか動かず、気の遠くなるような作業だ。(つづく)

 

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  6月11日は、震災発生からちょうど3か月目ということで、気仙沼教会が所在する南町町会の皆さんが避難している紫神社の紫会館(自治会館)で8時から朝礼があった。

 NHKの取材カメラが回っている中で、朝礼、黙祷が行われ、南町1丁目、2丁目、3丁目の各町長が挨拶。その中のお一人が「金光教会からたくさんのボランティアを出していただく、深く感謝している」と触れていただいた。 

  P6110861.jpg 8時からの朝食後、いよいよボランティアへ。この首都圏地震等災害ボランティア機構でのボランティアには大きく2つの活動がある。1つは、紫会館に避難してきている南町の被災者からの要望に直接応えるボランティアと気仙沼市災害ボランティアセンターへ出向いて、一般のボランティアに参加するものである。

 この日は、ちょうど南町の被災者のお宅の2階の壁壊し、中の断熱材の撤去、清掃のボランティアがあり、私たち8名ともうすでに2か月以上活躍している現場リーダーのSさん、西近畿教区兵庫県からAさんと地元から参加の方と一緒に作業させていただいた。

  P6110902.jpg  P6110927.jpg 二階に上がっていくとピアノが横倒しになっているのに驚く。部屋の内装の土壁には、半分の高さ辺りまで海水が入った跡の線がくっきりと入っている。畳等はすでに取り去られており、床が見え、所々1階も見えるほど危険な状態のところもある。

  P6110889.jpg  P6110878.jpg  P6110922.jpg 私たちは廊下や階段部分の壁をまずはハンマーやバールで壊し、手ではぎ取っていく。中の断熱材を引っ張り出し、きれいにしていく。女性陣は床に落ちた壁板を土嚢袋に入れて、整理していく。粉塵が舞い、油断をすると目やのどをやられる。

  P6110957.jpg  P6110956.jpg 土嚢袋に詰めた廃材は、一輪車に乗せて所定の場所まで運ぶ。前々からの土嚢袋が積み上げられ、回収が追いついていない。また、1人男性寮生が釘を踏み抜きそうになったが、セーフティインストールのおかげで事なきを得る。

  P6131130.jpg  P6110937.jpg 休憩中、このお宅のお犬様が車の中に鎮座ましまし、私たちの心を和ませてくれた。朝9時から夕方4時までびっしりと時間がかかったが、何とか終えることが出来た。(つづく) 

 6月10日夜10時、ボランティアに参加する寮生6名と理宇ちゃんの友人のSさんと私の8名が集会室に集合。御祈念の後、首都圏地震等災害ボランティア機構の配車の小金井教会ハイエースで一路気仙沼へ。

 予め申請を出していただいている調布から一関までの高速無料証明書を各料金所で見せながら行く。途中、またまた大雨。4月にボランティア運転手として行ったときと同じだ。最近は完全に雨男になってしまっている。

 道はがらがらでスムーズに進行。途中から息子と寮生K君が運転。私は荷台に横になって楽ちん体勢。ただ、時々ある段差で体が宙に浮き、起こされる。地震後3か月の時点でもまだまだ修復が終わっていない。

 早朝5時頃に気仙沼市街に入る。途中から一変した景色に寮生たちも驚く。時間があるので港の方まで降りていき、理宇ちゃんの実家や流されてしまった理宇ちゃんの家の跡を見て回る。みんなだんだんに言葉をなくす。

 6時前に教会に到着。奥様や現地スタッフのS先生が迎えに出てくれていた。教会長は盛岡教会月例祭のため、今し方教会を出発したとのこと。6時から奥様先生のもと、ご信者さんや他のすでに入っているボランティアの皆様と共に御祈念を頂く。

 この日から毎日6時の御祈念では、教会長先生から今日の教えに併せてお話を承った。震災2か月頃までは、ご神殿にも被災者が避難して寝取りましており、最近になってようやく本格的に御祈念が出来るようになったとのことである。(つづく)

無事帰ってまいりました。

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 昨日、10日間のボランテイア活動から無事帰寮しました。万事にご都合お繰り合わせを頂きました。様々な出会い、別れに涙し、何ものにも変えられない、いろいろな経験をさせて頂きました。強行日程の寮生たちもケガ、事故なくおかげをこうむりました。現在、水曜日までの予定で男女2名の寮生が活動中です。万事のお繰り合わせを願っています。

 明日は平和集会の企画会議、夜には東京教会で首都圏フォーラム主催のボランテイア報告会があり、また10日間あけると、やはり色々としなければならないことが溜まっており、気仙沼ボランテイアの報告はまた少しずつ連載の形でアップしていきたいと思います。 

 

 7日、8日と久々の一泊二日での関東教区教師教区集会が、青梅で開催された。まずは教会部長の安武先生から「信心の整理と自己管理」(「縦軸の構築」)という講題があり、それ受けて第一日、第二日の二回の班別懇談を中心に進められた。

 私の役割は、班別懇談の司会。7日当日までの数日、寮の決算事務や給湯器全室取替工事等で東京センターに出務することができず、司会要項も当日直前に確認するなど、緊張のままに御用に入ったが、何とかご無礼なく過ちなく、充実した集会となったと思う。

 詳しいことはここでふれることができず残念であるが、これまでの集会の内容、方法論、持ち方について今日的、反省的にとらえ直し、よりふさわしい集会、研修のあり方を模索し、新たな方法を生み出していく必要性が確認されたと思う。

 明日10日から、気仙沼ボランティアに寮から8名参加する。私は次週の19日(日)まで滞在するが、学生たちは13日(月)に学校があり、どうしても13日までに帰らなければならない。寮生から何とか12日の夜に気仙沼を出て、13日までに帰れないかと相談を持ちかけられた。
 
 通常は土曜日に東京センターから気仙沼便が出て、その車が前週に活動していたボランティアを乗せて、日曜日に帰る便が出る。これでは事実上ボランティアはできず、12日の夜でもOKとなっても、日曜日1日しかボランティアはできない。片方を夜行バスで行くとの声もあったが、それぞれ予定がまちまちでバラバラで行くしかない。

 そこでもし11日からの希望者がない場合は、10日夜から出発し、行きも帰りも夜走れば、丸二日間は活動ができると思い立った。その方向でお願いしていたところ、他に希望者がなく、明日10日夜から8名が出発するとこととなった。

 本日午前中、寮生たちと必要品をホームセンターで買い物をした。絶対に必要な物のうち、踏み抜き対策用の長靴中敷きが何と売れきれ。ボランティアの方々の釘を踏んでケガをする事故が多発しているとのことで、やはり品不足となっているよう。帰りにもう一軒まわったところにはあったが、結構高いものしかなく、私たちが最後の在庫を購入した模様。一通りは揃えることができ、準備は万端である。

※そのようなことでまたまたしばらく当ブログはお休みになります。道中、滞在中、ケガ、過ち、ご無礼なきよう、無事安全、交通安全を願うばかりであります。皆さまにもどうぞ、お祈り添えをよろしくお願い申し上げます。

6月の月例祭・食事会

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 昨日は午前中、本年最初の一斉芝刈り・草取りを行った。気温は25度と暑かったが曇りであったため、はかどった。その後、集会室で寮瓦版の帳合いを行い、このたび久々の第22号が完成した。

 午後4時頃からは、寮生有志による第3回「戦争と平和」の勉強会、引き続いて留学生Tさんによる第1回の「韓国語講座」が開かれた。こうした形で留学生も交えての交流が深まるのは大変ありがたい。

 午後7時からは6月の月例祭。このたび新たに運営委員に就任された神奈川教会福田光一先生ご祭主のもとに滞りなく仕えられ、その後教話をいただいた。

 先生は、今年の2月に寮生有志と一緒に参加された沖縄遺骨収集へのきっかけをお話しになった後、大要を次のようなお話しがあった。
 「金光教学院の在籍外教会実習で、双岩教会の初代高橋先生から多くのみ教えを頂いたが、今でも印象に残っているのが、『ものを言わないものと話をしなさい』というお言葉である。例えば、靴の裏を拝む、下駄箱に入れる時に靴の裏にお礼を申し上げる。また、お花や植物には本当に枯れるまで捨てずに水をあげて会話をしている。
 すべての万物は天地の中に生きている。この笏も元は木で生きていた。着ている服も天地が生きているこそ頂いている。死んでいる物はない。
 ものを言わぬものと会話をすることを心がけて神様に心を向け、成すべきものを成し、やるべきことをやり、見るべきものを見て、聞くべきことを聞いて、ここからの寮生活を進めていってもらいたい。
 週末には、気仙沼にボランティアに入ると聞いている。皆さんの活躍を期待している」。

 続いて食事会、今回の当番はK君と中国からの留学生Oさんと息子の3人。K君は残念ながら水疱瘡で欠参。Oさんが、本場中国の麻婆豆腐とトウモロコシのデザート。息子が麻婆茄子。本場中国のはさすがほどよい辛さで美味。息子のも最近介護アルバイトで料理も作っているらしく、なかなかの味。女房が棒々鶏と中華風のスープ作り、結構豪華となった。

日の目を見ることもある

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 もう十数年も前に『「捨てる技術」』辰巳渚著の本を読み、当時見事にその説にはまり、いろんなものを片付け、処分した経験がある。この本に猛然と反対論を述べた有名な評論家の方の本も読んだ。

 名前をど忘れして著者名がわからないが、要は、辰巳さんの説は一言で言えば、「いつか使うは二度とこないから捨てよ」であり、これに対して、そもそも物を置くスペースはキャパは決まっているのだから、入らなくなると自然に捨てる。何でもかんでも捨てるの間違いとの反論であった。

 どちらの説にも一理はあると思いながら、私はその後はやはり結局物をなかなか捨てることができなかった。最近、近藤麻理恵著『人生がときめく片付けの魔法』という本出され、よく売れているよう。まあ、この本も同じようなことかなと思ったが、これだけ売れているには何かあると思い買った。それを先に女房が読み、一日にしてはまり、片付けはじめた。

 さすがに10万部も売れる本は、これまでの固定観念を見事に崩し、なるほどと思わせる内容。ただ、この著者も辰巳さんの本を読んで影響を受けており、収納よりも捨てる方に重きがある。私はやはりなかなか捨てられないタイプなので、もう一つときめかない。

 そのような時に娘が非常に嬉しいこと言ってくれた。「お父さんのエレキギター、T君(彼氏?)が弾きやすいから貸してほしいと言っていたよ」と。私、「え!うそでしょ」。実は私こう見えても高校の時はロックンローラー。しかし、貧乏でギターなんか買えなかった。それでは練習にならないので無名の安物のギターを買った。それも月千円のローンで。

 大学に入ってからは、ほとんど弾くこともなかった。それを後生大事にそれから30数年も捨てずに持っていたら、何と日の目を見たのだ。辰巳さんなら間違いなく捨てられ、近藤さんの説の「ときめくものだけ残せ」にも当てはまらないから、本のご説のまま実践してたいらこのギターの復活はなかっただろう。

 この手の本を読むと、本当によく書けているので、ついつい著者の言にはまり込んで、後悔したこともある。何でもそうであるが、やはり自分自身の考え方や立ち処を意識しながら、参考にするべきは参考にするといった読み方がいいのだろう。そうとしても、家の物を片付け、リバウンドしたくないと思っている方は、このたびの近藤麻理恵さんの本は一読の価値はあり、目から鱗かも。

内閣不信任案が否決

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 内閣不信任案が否決された。政治家の方々、あなたたちが仰っていることをそのままあなたたちに言い返したい。それは人のことでなく、あなた自身に必要な言であろう。使いたくない言葉ではあるが、まさに「どいつもこいつも」である。

 ようもようも、賛成する人も反対する人も、これも使いたくない言葉ではあるが、「被災者」の皆さまを出しにしてくれた。一人ひとりに「このご無礼ものが」と言ってまわりたい。あなたたちは本当にその責任を自覚しているのか。

 それにつけても「小沢一郎」である。この人一人に振り回されているのだ。一体何を考えているのだろう。政治の裏表を知り尽くし、手練手管、丁々発止、何でもこいの大政治家が、民主党代表選に負け、自身の裁判も始まろうというこの時期に動く。不思議なのだ。

 本当は自分が全面に出て行きたいのだが裁判もあるし、自分では自民党がついてこない。ゆえにねじれは解消しない。それでは菅さんと全く同じになってしまう。だから全面に出られない。こう考えると、この時期になぜ仕掛けたのか、ますますわからなくなるのだ。

 徳川家康ならまだまだ辛抱していただろう。まずは震災復興で菅政権に全面的に協力した後、その後自分の理想とする政策を実現するために先頭に立てばよかったのでは。菅さんは降ろした、では誰がいるのですか?と問いたい。

 「小沢一郎」神話を全面的に信頼しているわけではないが、自身の裁判もきちんと決着をつけて、しっかりと地堅めした後、総理をおやりになったらよかったのでは。日本国総理にふさわしい逸材なのは間違いないからである。 

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