金光教東日本大震災1年祭に参拝 1

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 金光教東日本大震災1年祭へは、当初学生会OB会副会長で、運営委員長代行でもある須賀院先生たちと電車で参拝の予定であった。ところが、たまたまセンターで宮田先生とこの話になり、16日に変則出発する首都圏機構便の運転手は1人いるが車が決まってないという。

 この便に乗車予定の方が、旧新現地代表を含めて5人すでにいるとのこと。私の車はどうかと聞かれ、写真の「三菱シャリオ」は7人乗りでスタットレスもはいているので可能は可能なのだが、中古でつけたマフラーが限界に来ており、暴走族状態。長距離に果たして耐えうるか。

P3172087 (640x480).jpg また、これまで借りていた他の車もそれぞれ使用するとのことで、「最悪レンタカーを借りなければ」と言う。車に詳しい寮生が「途中止まることはないだろう」と言うので、それなら何とか無事を祈ってわが車を出すこととし、運転手も2人いた方がいいので、私も運転手ボランティアとして参加させていただいた。

 3月16日小金井を朝7時出発。もう1人の運転手Iさんを国分寺駅まで迎えに行き、その後、東京センターを9時過ぎに出発、順調に気仙沼教会に無事着かせていただいた。その日は数日前から入っている寮生たち、浦和教会や広島でお世話になったIさんやコスタリカ等の外国からのボランテイア2人も含めて総勢20数人の方が来られていた。

 着いたその日の夜は、教会の研修室とお広前の間の戸を外して懇親会場となり、これまでの現地代表の田中真人さんとここからの現地代表嶋田洋先生の歓送迎会が盛大に開かれた。田中真人さんには本当に1年間、寮生共々お世話になり、寮で講演をいただくなど多くのものを学ばせていただいた。真人さんの活躍で、これまでの金光教団が経験したことのない未知の世界を切り開いてくれた。

 この懇親会でまたまた不思議なというか、日本は狭いなあということがあった。娘の方にはクラスの隣の席に私の寮生時代の後輩の娘さんがいたり、今回一緒に来た運転手ボランティアのIさんの娘さんが同じ高校だったりしたが、息子にもあった。

 この日来ていた浦和教会の女性信徒の方が、東京経済大学の4年生ということで、うちの息子と同級生だと少し挨拶した。懇親会も中盤の頃、寮生たちが突然びっくりしたような声をあげ、私を呼ぶ。

 何とその彼女は息子と同じ野球サークルのマネージャーで、息子のことを「辻(つじ)チャン」と呼んでよく知っているとのこと。辻ちゃんでは間違いないと早速に息子に電話をかけるとやはり4年間ずっと一緒だったとのこと。同じ大学はよくあるが、同じサークルとは。これには一同びっくり。気仙沼では多くの方と深い縁を結ぶことができたが、不思議な縁もあるものである。(つづく) 

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このページは、つっさんが2012年4月 6日 10:24に書いたブログ記事です。

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