2011年2月アーカイブ

沖縄遺骨収集 2 冨盛の大獅子

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19日当日、6時起床。糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園に8時50分集合ではあるが、初日はテント張り等の準備作業があるため早めに出ることとし、7時前には那覇市前島のホテルを出発。いつものファミリーマートで朝食とお昼のお弁当を購入した。

 なぜ、いつものファミリーマートかというと、ある年のこと、現地近くのコンビニに入ると、わが金光教一団が大挙して来店したため、何もなかったことがあるからである。それからまた、那覇市内のコンビニの方が品揃えもよく、私のお目当ての「ゴーヤー弁当」が売っているから。ここのところ毎年これである。美味。

shishi-1[1].jpgのサムネール画像 さて、それにしてもあまりにも早く着きそうになったので、途中例の富盛の大獅子に立ち寄った。写真は沖縄戦当時の米兵。もうここの高台からは海が見え、数キロ先が摩文仁である。いよいよ日本軍を追い詰めた米軍が双眼鏡で偵察している。その写真に残っている弾痕が大獅子にいまだにきれいに残っている。

IMG_8817_520[1].jpg __.JPG

 今回参加の私たち一行。まだ目が覚めてない。周りは木々に覆われ、完全に普通の山として復活しているが、戦争中は完全に焼け野原になっている。穏やかな田園地帯が地獄と化す。なかなか現在では想像しがたい。   

 その後現場に到着。早速にテント張りを手伝い、本部を設営。受付をし、名簿を見ると参加者がなんと100人。最終的には106名ほどになるという。昨年より20人アップだ。常連組ももちろんいるが、教内教外問わず初参加者の方も多い。班構成はだいたい北の出身者から1班、2班と編制され、地元が5班で、ご年配がお清め本部班となる。それに中心的役割を担ってくれているベテランが機動班として各班に付いている。

 不肖私は、昨年から第1班班長を仰せつかり、名簿の一番。今年も1班の班長だ。テント下に班員を集め、1班から本部班までが全員が並ぶ。那覇教会長先唱のもと、御祈念が仕えられ、ご挨拶、注意事項と進む。その後いつも元気な5班班長看護師の嶺井さんが先導して身体をほぐし、体操する。いよいよ作業開始だ。

 その後班長が中央に集められ、作業場所の指示を受ける。私もこの時点で初めてその場所を知ることになる。わが一班は昨年入ったところよりさらに西、具志頭の断崖絶壁の下に入り込むようだ。一番西側が5班、真ん中が1班、手前が2班という同じ断崖を三班が手分けして作業をするよう支持された。

 その後班に帰り、班員を集め、簡単な自己紹介と注意事項を私と機動班の橋本さんが説明する。今年の第1班総勢16名。うち一班からの参加者が6名。初参加者が7名。約半分弱。1班は伝統的に初参加者が多い。

 そのうち一般からの参加で70歳の男性の方は、ネットで知り自ら参加されたとのこと。また63歳の女性はなんと北海道からで、いつも参加されたいる札幌南教会のご信徒Gさんに勧められて参加したとのこと。いつもながらその参加に驚くとともに、本当にありがたく思わせていただいている。

 そのようなことで、なかなか責任重大な立場にあり、昨年からこの時点での緊張がそれまでとは全然違う。これは後で指摘されたが、本来ならもう少ししっかりとお互いに自己紹介すべきであったところを、やはり新米班長は余裕がなく、作業現場へと向かった。(つづく)  

沖縄遺骨収集 1 那覇教会に参拝

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 18日金曜日、午後2時30分羽田発。何と息子と寮生二人は16日、17日と白馬にスノボーに行ってきた。まだ沖縄最後の県知事「島田叡」のNHK特集番組を見ていない。そこで何と、17日の夜に帰ってきてから結局18日出発当日の午前2時頃に見たとのこと。さすがに若い。

 午前11時30分頃寮出発、私は浜松からモノレールのつもりが、新宿から品川、京浜急行の方が安いという。新宿駅到着直前に「で、京浜急行はいくら?」と聞くと、「870円」、「げ、200円近く安い」、あわてて降りて山手線へ。13時30分の他の方たちの待ち合わせ場所に到着。みんなももう来ていた。

 早速に発券。昨年までは団体旅行のカウンターで座席チケットをもらっていたが、今回はA4コピー用紙に印刷されたバーコードを自動発券機にかざすだけ。ますます便利になっている。ツアー予約でなければカード一枚で全てパスとのこと。まるでSuica感覚だ。

 飛行機はJAL。一昔前なら高級感に浸れるところだが、今はJALは格下のイメージ。変われば変わるものである。予定通りに14時30分に出発し5時頃那覇空港に到着した。すぐ那覇教会へ参拝の予定だったが、福田先生の高校生の同級生が那覇に単身赴任しており、その待ち合わせがホテルで7時とのことで、まずはホテルピースランド那覇に向かった。

 レンタカーの借り受け事務所が、空港から少し離れており、手続きなどを含めて1時間ほどどうしてもかかってしまう。レンタカーの手続きもこちらも慣れてきたのもあるが、ここ数年かなり簡略化されてきた。どんどん便利にはなっている。

 とりあえず、ホテルにチェックインして8時頃那覇教会へ。那覇市内の信号は、支線から本線に出る信号の長いこと、長いこと。結構夜も回ってきたので少し焦る。10分程度で行けるはずが30分くらいかけて到着。ご夫婦の方がお取次を願っており、参拝時間が毎年違うのに不思議と教会で出会っている。

 御祈念、お届けをさせていただき、明日からの御用成就を願って外に出ると、三重グループの一人、H先生と出会う。この一年ぶりの出会いがまた楽しい。教会では毎年、毎年、前日は準備と応対で大変なことであると思わせて頂く。

 1日目は私はホテルの下のレストランで食事をと考えてきたがコンビニで済まそうということになった。しかし、若手三人組はコンビニ弁当を平らげると、今回別行動をしているもう一人の女性寮生が泊まっているホテルが近いとわかり、ホテルまで迎えにいって夜の国際通りに繰り出していった。何とも元気いっぱいである。日本テレビの女子アナたちと出会ったらしい。プロ野球キャンプも花盛りである。(つづく)

無事、帰ってまいりました。

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  昨日、22時20分羽田に到着、23時50分、バスで国分寺に到着、車で迎えに来てもらい、24時にちょうどに無事帰寮、万事のご都合お繰り合わせの中、今年も色々な物語が生まれ、一同貴重な経験を積ませていただきました。

 明日から3月当初まで、東京センター教区委員会、東京学生寮運営委員会、金話研総会、平和活動プロジェクト会議、金光学園29期会、平和集会企画会議、サーティーズの会、東京学生寮送別会と続きます。そのようなことで、第38回沖縄遺骨収集体験記は、その中でボチボチ書かせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 多くのありがたかったことの中で一つ先に紹介しますと、普通お土産はお菓子などを買って帰るところですが、今回参加した寮生たちは、自ら赴いた『ひめゆりの塔』の冊子を購入して、他の寮生たちに回覧したことです。こうして大切なことが少しでも周りに伝わってくことは嬉しいことであり、いろんな機会でまた話してもらいたいと願っています。

 その参加した寮生一人の「ミクシィ」を娘が読んでおり、「私も行きたかったぁ、お父さんと言っていることが違う」と開口一番いわれ、ガクッと来ながらも本当に嬉しいことでありました。

 明日16日、17日とご本部金光新聞の会議出席、18日から21日まで沖縄遺骨収集に参加します。前にも申しましたが、今年は息子をはじめ、寮生3人、神奈川教会福田先生親子と荻窪教会仲井先生、前橋教会からは土居一族4名が参加とのこと、ありがたいことです。

 何とか天候、体調、交通機関等々、万事にご都合お繰り合わせをいただき、御用成就を願っています。

 そのようなことで、当ブログまたしばらくお休みします。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

エジプト情勢に思う

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 「正戦」対「聖戦」が続く中、チュジニアに始まりエジプトの強権支配が崩壊し、革命の連鎖が始まろうとしている。何はともあれ、エジプト軍が同国民へ銃口を向けることなく、その高い規律性を維持したことは評価でき、犠牲者が多くでなかったことに安堵している。

 これまでは多くの国々で、自国軍隊に自国民が殺されるという悲劇が繰り返されてきた。第二次大戦以降、戦争、紛争による犠牲者は2億人以上にも上り、その大半が自国軍隊に殺されたという説もある。その意味でエジプト人の高い見識に敬意を表したい。

 ただ、難しいのはこれからである。「革命」といっても当面実権を握るのは軍である。軍をはじめ一般の諸勢力がとこまで協力しあえるか。近隣中東諸国はまだアメリカ・イスラエルを中心とする「正戦」グループとそれをよしとしないイランをはじめとするイスラム「聖戦」グループが対立する。

 この有史以来といっていい対立が解けないことには、世界の平和もなく個人の幸福もない。確かにイスラム教の聖典コーランには、ムスリムの宗教的義務として聖戦(ジハード)が強調されている。「神の道において汝らに敵対する者と戦え」と。

 しかしまた、「騒乱がなくなるまで、宗教が神のものになるまで彼らと戦え。だが、彼らがやめたなら、無法者は別として、敵意はすてねばならない」(中村廣治郎『イスラム教入門』より)とある。ここに平和への希望がある。多くのムスリムは、まさか全世界人民をすべてイスラム教の信者にしようとは思っていないだろう。 

 ソ連崩壊、東西ドイツの統合、2011年、年明けのエジプト政権瓦解、誰が予想し得たであろう。ところが起きてしまえばそれは必然である。南北朝鮮の統合、東アジア共同体などあり得ないと仰る。少し前は、ソ連崩壊もドイツ統一もあり得ないと仰っていた。しかし、起きた。

 世界真の平和に向けて、一つひとつの必然が確実に積み重なるのだ。それを早めるのも人類の英知、ダメにするのも人間のあり方にかかっている。何とか中東が真の平和へと向かうよう願っている。

麹町教会報徳祭に参拝

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 昨日は、麹町教会報徳祭に併せて長谷川雄次郎大人春子大刀自夫妻40年祭、長谷川親男大人10年祭に参拝させて頂いた。親男先生は奇しくも10年前の今月今日麹町教会報徳祭日に神上がられた。私が20年前に上京してから10数年本当にお世話になり、いろんな面で薫陶を受けた。

 失礼ながらただの酔っ払いと思ったこともあったが、時間が経てば経つほど先生の功績の偉大さが身にしみて理解できるようになってきた。並大抵の人ではなかった。それ故に様々な軋轢もあったようだ。

 その親男先生がお亡くなりになったことで敢然と教師を志し、現在教会長として御用くださっている兆伸先生の挨拶も立派であった。その時に次のような言葉を紹介された。「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」と。

 まさに親男先生は、その全生命、全生活を自分のため、あるいは自分の教会のためだけでなく、教団、教区をはじめ、世のお役に立つ御用に邁進されたと思う。後進が育つまでもう少しこの世で活躍して頂ければと今にしてなお悔やまれるが、最近の親男チルドレンの活躍は御霊ながらに後押しして下さっているのではと思う。さらなる展開を願っている。  

 昨日の寮2月の月例祭、私が祭主として奉仕し、1月に引き続き、教話もさせて頂いた。1月の教話では、最近は「3O(スリーオー)の思想と行動」と呼んでいる「お蔭さま、お互い様で、お先にどうぞ」の3つの「お」について具体的な例話を交えてお話した。

 昨日は、道の道たる道は、この3つの「お」を実践することで、自分の思い通りではなく、本然のいのちが喜ぶ、願い通りのおかげを頂く道について、自分の思いを構成していると思われる「心(意識)」と「魂(無意識)」とそれを支えている「霊(分け霊=本然のいのち)」の内心の動きについて、中央線に乗って、「ゆっくり座って通勤したい」という自分の思いが、その通りにならない例話を交えて説明。

 そして、本当は「思い通りにならないから楽しい」という道理をスポーツ等で説明し、またそこには、神様のメッセージ、ご配慮、試練という必ず意味(神様の願い)があることについて、親子の関係や病気を例に具体的に語り、その意味を理解し、神様の願いに沿うことによって、自分の思い通り以上のおかげが頂けるとお話した。

 その後の食事会では、その月の誕生日の寮生がお祝いされるが、2月は私と奈良出身のOさんが祝福された。なんとなんと、その後私が2月14日のバレンタイデー生まれということで、誕生日とは別に顔の大きさもある似顔絵チョコレートと手作りチョコレートを頂いた。両方で祝ってもらうのは私の人生上ピークであった小学校5年生以来で、昨日は再ピークの絶頂を味わった。感謝、感謝、涙ものであった。

 さらにその後、今年の沖縄遺骨収集に、ありがたいことに寮から5人が参加し、同行する2教会合わせて8人、いつもの関東からの仲間を合わせると10人が参加、そこで初めて参加する寮生のための事前研修として映画「ひめゆりの塔」を鑑賞した。

 ただ、息子が白黒映画の古い方を借りてきたため、音声がもう一つ聞き取りにくく、沖縄戦の背景もわかりにくかった。なぜか古い方がDVDなっていて沢口靖子や後藤久美子が主演のカラー映画の方はビデオしかない。

 それでも映画の内容は非常に重たく、10時過ぎから始まって終わったのは日も変わって12時30分頃であり、見終わった後はみんなしばらく無言であった。ありがたいことにカラーの方も見たいとの声があり、もう一回借りてきて見るとこにし、併せてできれば最後の県知事「島田叡」の特集番組『悲しいほど海は青く』も見て行きたいと願っている。


 

加湿器と除湿器

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 寮のリフォーム工事が始まって、なんと小金井市はまだ一度も雨が降っていない。ここまでのところ全く問題なく進み、3月20日終了予定が今月末にはだいたいのところが終了する見込みとなっている。ありがたいことである。

 ただ、超カラカラ天気。ここまで長い間、雨が全く降らなかったという記憶がない。朝方目が覚めると、喉の奥が痛くなるほど。そこでもう6、7年前に購入して、最近使ってなかった加湿器を引っ張り出してきた。確かインフルエンザが猛威をふるい、家族全員が寝込んでしまったときに思い切って購入したものだ。

 その加湿器の中をのぞいて見ると、中のフィルターがだいぶ古くなっており、変なにおいも付いてしまっている。メーカーに問い合わせると、替えのフィルターもすでに製造していないとのこと。そのままで使うかどうか迷っている時に、ふとどこかで聞いてきたことを思い出した。

 それは、濡れタオルでも洗濯物でも一つ室内に干せばだいぶ違うとのこと。早速に洗濯物をつり下げてみた。なんと、なんと湿度計は70%近くを指している。加湿器は全く必要ないではないか。

 実は梅雨時など洗濯物が乾かないため、しょっちゅうイライラしていた女房が数年前にとうとう除湿器なるものを買った。これがよく洗濯物を乾かすので非常に助かっている。この除湿器、現在リフォーム工事で外に洗濯物を干せないので大活躍している。

 もし、加湿器に問題がなかったら、下手をすると洗濯物を干している間は除湿器を使い、それ以外は加湿器を使用するという全く逆のことに電気代をも使って無駄をするところであった。加湿器には申し訳ないが、これもお繰り合わせである。

 英国BBC放送が広島と長崎で原爆に遭遇した「二重被爆者」の故・山口彊(つとむ)さんを「世界一運が悪い男」と揶揄した映像を見たとき、強く憤りを感じた。昨年東京平和集会で指摘したように、やはり爆弾を落とす側は落とされた側で何があったのかを想像すらできないのだと。

 すぐにコメントしたかったのだが、自分自身が相手を非難できる立場にあるのかどうか、恥ずかしながらこの方のことを私は知らなかったのである。ドキュメンタリー映画「二重被爆」や著書『ヒロシマ・ナガサキ二重被爆』という本も出されているにもかかわらずだ。

 また、あの阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた時、その二つの事件に巻き込まれた方のことをマスコミや身近なところでも話題になったことがあった。もちろんその方のことを揶揄したのではなくて、「大変だったね」といたわりの気持ちであったと思うが、その奥には「運が悪い人」というような意味合いで話題にしているような感じもして、いやな気持ちになったことがある。

 そのようなことでなかなかコメントすることができなかったが、山口さんの生き様を知るにつけ、この被爆体験は世界人類の大教訓としなければならないと改めて強く思った。イギリスの方にも今回の事件は世界に大恥をさらしたと反省してほしいし、原爆の下で何が起こっていたかを知ってほしい。世界は核廃絶に向けて努力し始めた。人類の良心に期待し、一歩でも世界真の平和へと近づくことを願っている。

 

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