「正戦」対「聖戦」が続く中、チュジニアに始まりエジプトの強権支配が崩壊し、革命の連鎖が始まろうとしている。何はともあれ、エジプト軍が同国民へ銃口を向けることなく、その高い規律性を維持したことは評価でき、犠牲者が多くでなかったことに安堵している。
これまでは多くの国々で、自国軍隊に自国民が殺されるという悲劇が繰り返されてきた。第二次大戦以降、戦争、紛争による犠牲者は2億人以上にも上り、その大半が自国軍隊に殺されたという説もある。その意味でエジプト人の高い見識に敬意を表したい。
ただ、難しいのはこれからである。「革命」といっても当面実権を握るのは軍である。軍をはじめ一般の諸勢力がとこまで協力しあえるか。近隣中東諸国はまだアメリカ・イスラエルを中心とする「正戦」グループとそれをよしとしないイランをはじめとするイスラム「聖戦」グループが対立する。
この有史以来といっていい対立が解けないことには、世界の平和もなく個人の幸福もない。確かにイスラム教の聖典コーランには、ムスリムの宗教的義務として聖戦(ジハード)が強調されている。「神の道において汝らに敵対する者と戦え」と。
しかしまた、「騒乱がなくなるまで、宗教が神のものになるまで彼らと戦え。だが、彼らがやめたなら、無法者は別として、敵意はすてねばならない」(中村廣治郎『イスラム教入門』より)とある。ここに平和への希望がある。多くのムスリムは、まさか全世界人民をすべてイスラム教の信者にしようとは思っていないだろう。
ソ連崩壊、東西ドイツの統合、2011年、年明けのエジプト政権瓦解、誰が予想し得たであろう。ところが起きてしまえばそれは必然である。南北朝鮮の統合、東アジア共同体などあり得ないと仰る。少し前は、ソ連崩壊もドイツ統一もあり得ないと仰っていた。しかし、起きた。
世界真の平和に向けて、一つひとつの必然が確実に積み重なるのだ。それを早めるのも人類の英知、ダメにするのも人間のあり方にかかっている。何とか中東が真の平和へと向かうよう願っている。
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