2011年10月アーカイブ

 10月14付「当ブログ『コメント』についてのお詫び」で、これまでコメントを入力していただきながら、アップを失念していた件につきまして、お詫び申し上げましたが、その後、コメントを入力する際、サインインとパスワード等を求められる設定になっておりました。

 私としては、自由にコメントできるように、設定していたつもりでしたが、まだ更新されておらず、ご迷惑をおかけしました。深くお詫び申し上げます。今度こそ大丈夫と思います。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 ボランティア活動は、気仙沼市災害ボランティアセンターが一週間に一度はお休みの日を設けていることから、当支援機構も一週間に一度、日をずらしてお休みをとっている。そしてその日を利用して、ボランティアの活動だけではなかなか見られない気仙沼市以外の地域の被害状況も是非見てほしいと、陸前高田市や南三陸町などご案内申し上げている。

 今回の活動期間中、現地スタッフの1人である宇部東教会のSさんが、是非もっと北にも足を伸ばした方がいいと、大船渡市、釜石市、さらに宮古市までみんなと一緒にまわることにした。大船渡市や釜石市は市内に入ってもさほど被害はないようにも見えるが、港や海に近づくとやはり被害は尋常ではない。

 特に絶対に安心といわれていた釜石市の世界一深い「世界最深の防波堤」、宮古市の「日本一の防潮堤」と呼ばれていた堤防が見るも無惨に破壊された光景を目の当たりにして、人間の力は、自然の力に到底及ぶものではないことを改めて思い知った。

 写真は釜石市の岸壁に打ち上がった大型漁船である。船の先端が堤防に突き刺さっている。しばし呆然と立ちすくんでしまった。 

P8171353S.jpg P8171357s.jpg 

 次の写真は釜石市のある一つの防潮堤。真ん中が完全にえぐり取られている。高さは最大約10メートル強、厚さは最大6メートル以上もあるという。一番高いところに上っているのが、Sさんで、赤い服は東京から参加のHさん。上にあがったのはいいが、降りるのに腰が完全に引けている広島のIさん。

 

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P8171374S.jpg P8171378S.jpg P8171380S.jpg  この防潮堤に守られている陸側の一部であるが、住居の土台だけが残り、跡形もなく流されてしまっている。10メートルもあるコンクリートに守られて、まさか海水がおそってくるとは夢にも思わなかっただろう。

P8171382S.jpg 一番上の神社のぎりぎり手前まで海水が迫っているのがわかる。写真では低そうに見えるが20メートル以上はある高さである。となると海水の高さが20メートル以上にも達したことになる。全く信じられない光景、異様な何とも重苦しい雰囲気で言葉もない。

P8171363S.jpg P8171362 S.jpg  帰りはなるべく車で走れる海岸線を通ってきたが、「うーん」と唸るしかない光景。聞いていたとおり、北に行くほど復旧が遅れているのが素人目にもすぐに理解できた。改めて、このたびの地震の規模の大きさと津波の怖さ、その被害地域の広さを思い知った。

 しかし、避難所に帰ると「今日も一日ご苦労さん。どこまで行った、浄土ヶ浜見てきた」と元気よく出迎えてくれた被災者の皆さまに本当に逆に励まされているようで、さらなるボランティア活動へ、元気を頂いたようなことである。(気仙沼ボランティア③ おわり) 

 さて、いよいよ仮設住宅集会所でのボランティア。私も阪神大震災、新潟中越地震とボランティアを経験させて頂いたが、炊き出しや物資の搬入、瓦礫の撤去やお掃除まで。あるいは避難所でのボランティアまでで、仮設住宅でのボランティアは金光教としても未知の世界。

 もちろん、それだけでも被災者の方とふれあいはあったが、これからはお茶会やイベントを自らの手で実施し、さらに深く被災者の方とふれあっていかなければならない。そうしたノウハウもなく、正直最初は、「本当にそこまでできるだろうか。まずは、他の団体の指導を得て、そのお手伝いから」と私自身は想像していた。

 しかし、現地代表である田中真人氏の長期にわたる気仙沼市災害ボランティアセンターでの活動から、現地代表の主導で仮設住宅でのボランティアを積極的に展開出来ることとなった。誠にありがたいことである。

 仮設住宅でのボランティアの最大の願いは、いろんな地区から集まって来られた住民の皆さんの孤立を防いだり、自殺の予防など、非常に重要な役割がある。このたびまずは、かき氷や足湯の提供から、コミュニケーションを図っていくこととして実施させて頂いた。

 写真は、「日本財団」の足湯のボランティアとわが機構の「かき氷」提供とセットに組んでのボランティアである。これも現地代表の連携、調整のおかげで実現した。最初は結構緊張したが、多くの方々が集まってこられ、楽しくふれあうことができた。

  P8191421.jpg P8191404.jpg 子供たちもたくさん集まってくれ、親御さんからも「こういう機会がなかなかなかった」と感謝された。今までは、やはり楽しく遊ぶことを押さえつけられていた面もあり、子供たちのテンションも高かった。

P8191419.jpg P8191422.jpg そうそう、広島で出迎えてくれたIさんの本職はマッサージ師で、このボランティアは本当に喜ばれていた。マッサージをしながらお話を聞き、コミュニケーションを図るので、うってつけの活動だ。実は私はここ1年ほど五十肩なるものに悩んでいたが、Iさんから一度マッサージをして頂いたら、見事に治った。個人的にも非常におかげを蒙った次第である。(つづく)

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 ちょうど夏休みの時期のこの頃になると、地元青年会や商工会議所、各種NGO・NPO団体らが、大小イベントを開催するようになる。わが機構ボランティアも、いろんなお手伝いをさせて頂いた。

 写真は、あるNPO団体の事務所で行われるイベントの飾り付けのお手伝い。七夕で使われる笹の枝葉への飾り付けや、風船、ようようの制作。景品の袋詰めや外回り、室内の装飾など、数日にわたって準備の手伝いをさせて頂いた。

  P8081171.jpg 次は、気仙沼小学校の校庭で行われた大イベント「気仙沼復活祭」のお手伝い。小学校はちょうど市内の高台の上にあり、四方数カ所の道路から上ってくることができる。気仙沼教会もその一つの道の中腹にある。

  P8121291.jpg 私たちは他のボランティアの方々と共に数グループに別れ、警備のボランティアに従事した。一つは警察の方と共に、外部者の車の出入りを封鎖する。それから小学校に隣接する中学校を含めた、その敷地周りを巡回してのパトロール。車を道路にとめないようにする警備だ。
 
  P8121279.jpg 敷地周りは、一週15分くらいかかる。写真は2班に分かれたグループがちょうど半分のところで出会った様子。途中の中学校校庭の端にある相撲の土俵で、大関日馬富士らが地元の子供たち相手に相撲をとっていた。

  P8121282.jpg P8121287.jpg 車の規制は、東京など都会では文句をつけられたり、色々とトラブルが起こるが、二、三「駐車場がないか」と聞かれた程度で、トラブルも何もなかった。別の大きなイベントの時は、少人数の警察官しか来なくなるほどで、さすがの礼儀正しさに感心した。(つづく)

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 次は、これも私たち支援機構の重点的に行っているボランティア活動の一つで、ホテル「一景閣」の高圧洗浄やお掃除、食器等の洗浄作業である。オーナーは、気仙沼教会の信徒総代。

 気仙沼湾からすぐのところにある「港の観える・ふかひれ海鮮割烹の宿」として非常にお料理が美味しい有名な老舗ホテルであった。その6 階建ての3階まで大津波が襲い、お客さんや従業員の皆さんが三日三晩孤立した。しかし、迅速な誘導、対処で1人の犠牲者も出されなかったそうである。屋上から不安そうな眼差しで外を見る人々の様子が、出版された写真集などに多く掲載されている。

 写真は3階までの正面、窓には木枠がはめ込まれている。また、この一景閣の3階から周りの景色を撮った写真、火災の後も生々しく残っており、三日三晩本当に不安な時間だったろうと言葉もない。

  P8141335S.jpg P8141308S.jpg P8141309S.jpg P8141311S.jpg 支援機構のボランティアは、少しずつだが今日までずっとその復活を願って清掃活動を進めている。来年1年目の慰霊祭が、この一景閣でできないか、その願いも出されているそうである。

 5、6月頃から瓦礫の撤去、使用不可能な物の運び出しやまだ使える物の整理等がすでに進められていたが、水道が出ないので本格的な掃除はできなかった。また8月になりようやく水道は通ったが、排水ができるかどうか確認がとれていなかった。

 私が入った8月中旬頃に、ちょうど宇部東教会のSさんを中心に排水ができるかどうかが調べられ、可能と確認された。そこから支援機構ボランティアの中で、その日の他のボランティア活動との調整を図りながら「一景閣班」が編成され、ほぼ毎日活動することとなった。

P8141345S.jpg まずは残った廃材等を廃棄。港のすぐそばなのでハエの死骸が尋常の数ではない。写真は集められたハエ。次に3階調理室や各控え室、廊下から階段を下に高圧洗浄をかけていく。外の異様な景色とヘドロの尋常ではない臭いに、だんだんに気が滅入っていく中での作業である。

icon.jpg その中でもリーダーの宇部東教会のSさんや気仙沼教会の奥様やご子息、鶴見教会のN君や常盤台教会のMさん、寮生のK君や広島市で私たちを出迎えてくれたIさん、それから全国各地からボランティアの方々が、黙々と真剣に作業を進めておられる姿に本当に敬意を表する次第。

P8141316S.jpg P8141315S.jpg また、私と入れ違いに1週間活躍された、駒澤大学3人娘、避難所では現地の方たちから「納豆娘」と呼ばれていたが、お風呂やおトイレを驚くほどきれいにピカピカに磨かれていた。

 この3人娘、再び気仙沼入りした私とまた入れ違いに帰られる朝まだ早い5時頃、外に出るとバケツをもって走ったり、何をしているのだろうと思っていたら、現地で活躍する機構の車やTさん、Sさんの車を洗っていた。せめてものお礼の気持ちということらしい。さすが私と同じ駒澤大学生、朝から非常にさわやかな気持ちにさせて頂いた。

 また、当ブロク10月8日付「熱田教会信徒会講演会 終」で紹介した寮生Iさんの食器洗いもこの厨房での作業であり、教会の奥様も活躍され、大きなアルミケースの中に食器がきれいに並べられているとこと。ありがたいことである。 

 一度は完全にあきらめていたところが、次期監督に高木守道氏が発表されてから、あれよあれよと勝ち進み、まさかの10ゲーム差をひっくり返した。さあ優勝だと舞い上がっていたら、何とあの巨人に3連敗のそれも完敗。

 今日負けたら本当に危なかった。ありがたくもBSNHKで野球中継があった。今日は妻と息子はいない。娘と2人、テレビの前に陣取り、鍋をつつきながらの応援。ところが、ネルソンが早々と打たれ0対3。いつもなら負けとあきらめていたが、今日はそのまま応援していた。

 そして、やってくれました。ここぞという時にほしい4番ブランコのホームラン。その後もハラハラしながら見ていたが、こうなれば中日のペース。浅尾ちゃんが見事に押さえてくれた。それにしても岩瀬への交代かどうかで、監督がジャンパーを脱いだり来たり、監督自らが内線でブルペンに電話したり、初めて見る光景。

 その落合監督を見るのも日本一までと少し寂しい。私はセ界10連覇のその序奏と考えていただけに、正直なぜ代えるのと納得がいきかねる。が、ドラゴンズOBで構成するなら、それもよしで是が非でも3連覇をとはや願っている。そしてまずは今年こそ正真正銘の日本一だ。

 次は、現在私たち金光教支援機構の中心的な支援活動の一つである五右衛門ヶ原仮設住宅への支援である。写真の左側のアスファルト道路がちょうど真ん中で、ここから左側にも建物棟がある大型仮設住宅だ。。

五右衛門ヶ原仮設本体 S.jpg そして、現在野球場の中にも建設中で、全部完成すると3000人以上の仮設住宅となるらしい。前回、当ブログ8月26日付「五右衛門ヶ原仮設住宅の『交通弱者』」でも触れたが、「五右衛門ヶ原」という名の通り、気仙沼市内から一関方面に車で20分ほどのところの幹線道路から、さらに坂道を歩いて10分ほど登ったところにある。

P8101217 S.jpg この五右衛門ヶ原仮設には、寮生のRちゃんのご家族も入居されている。そこで部屋を探したが、全部歩くだけでも相当に時間がかかる。同じ名字の方のところで、もしかしたら知っておられるかもと聞いてみたら、さすがお父様は気仙沼では名士か、すぐに「○○さんなら、この上のテニスコートの仮設」と教えていただいた。

P8101232 S.jpg ここで初めて五右衛門ヶ原仮設には、まだ別の場所に住宅があることを知った。この場所からはちょうど大きな木々に隠れて見えなかったが、北側の坂を登ったところにテニスコートがあったとのことで、下が「テニスコート仮設」と呼ばれている写真。

五右衛門ヶ原仮設 テニスコート S.jpg この日は、下の一番大きな仮設住宅の駐車場で「トラック市」なる物資の支援配付を行った。軽トラックに詰めるだけ積んで、その軽トラの荷台に衣類を並べ、あと文房具や食器その他は段ボールを置き、その上に並べて選んでもらった。

P8101223 S.jpg  P8101222 S.jpg この時は二度目のトラック市で、駐車場に着くとすぐに「また来てくれたね。本当にありがたい」と数人の人が早くも集まってくれた。若手のメンバーが、一軒、一軒訪ねて、トラック市の開催を知らせると、続々と集まってくる。手に手に抱えきれないほどの物をもって、笑顔で何度も「ありがとう」と仰って部屋に戻っていく。炎天下の中ではあるが、その笑顔に暑さも忘れる。

  P8101226  S.jpg P8101227 S.jpg 私たちの支援機構は、この五右衛門ヶ原仮設と、南町の方たちが多く入居している教会近くの気仙沼中学校仮設住宅に力を入れている。数ある仮設住宅への支援について、各団体がそれぞれ勝手に行うと不平等が生じる恐れがある。

 そこで私たちは、支援機構現地代表の田中真人氏が長く気仙沼市災害ボランティアセンターで活動された経験を踏まえ、その後も気仙沼市やその他のNPO、NGO団体との連絡、連携をとって、気仙沼市全体の調整の中で活動を展開している。

 おかげで、市役所や他団体からも金光教支援機構の活動が評価され、最近では金光教気仙沼教会でも各団体の連絡会が開かれたようで、誠にありがたいことである。この仮設での支援活動は後ほども触れるが、現在も継続的に取り組んでいるところである。(つづく)

※なお、現在での物資支援は、衣類は衣紋掛けにきちんと掛けたり、机を持参して物資を並べたりと、経験を積みながら、より気持ちよく選んでもらえるよう工夫しているそうだ。

 

P8071167.JPG 写真は、先日の寮研修旅行で私たちを広島市で出迎えてくれたIさんが、個人的に地元で浴衣、帯、下駄、小物、巾着等を集められ、それを紫会館で、皆さんに自分の好きなものを自由にお選び頂いている様子である。

  P8071158.jpg 何とその数200着以上。Iさんは、金光教のボランティア支援機構第1号便で私と一緒に気仙沼入りされた女性で、何とその日から約1か月近く滞在。そしてこの8月も1か月間滞在して、不思議な縁で8月の行き帰りも私はご一緒させて頂いた。

  P8071165.JPG 普通これだけの数を集めれば、「大したことはない」と言いながらも自慢げになるものだが、Iさんは全く謙虚そのもの。「どうやってこれだけ集めたの?」と質問してようやくさりげなく答えてくれる。最初、友人たちに声をかけるとまたその友人、その友人と拡がっていったそうである。

P8071161.jpg 先日、広島でお聞きしたが、このたびも近くの居酒屋で気仙沼の物産品やTシャツを買ってもらい、支援金にするとのこと。外見はまさに小柄でおしとやかな方ではあるが、すごいパワーを秘められた方だと感心している。(つづく)

 大変長らくお待たせ。待ってないか。私としては3度目となる気仙沼ボランティア体験記を連載したい。このたびは日を追っての報告ではなく、ボランティアの内容別での報告とさせていただきたい。期間としては8月7日から8月21日の15日間。

 さて、まずは気仙沼市港町のある酒屋さんでの活動から。気仙沼市災害ボランティアセンター斡旋でのボランティアで、寮生ら私たちグループ5人と一般からの個人やグループの5人の総勢10人。泥だしや廃材の廃棄、高圧洗浄での清掃であった。

 なぜ、5か月も経ての泥かき作業か。これはこの方のお宅は海からだいたい200㍍のところにあり、気仙沼市の建築制限がかかっている。ゆえにこの場所は住めなくなる可能性のある場所なのだ。もし、制限がかかれば片付けても意味がない。

 だからまずはその建築制限の方向性が定まってからと、そのままにしていたそうだ。となり近所も津波をかぶったままの状態で放置されている。しかし、建築制限法の期限が来ても市は決めきらず、何度も延期され、7カ月後の今でも建築制限法はそのままである。

 この酒屋のご主人は、いくら待ってても埒があかないので、片付けるだけ片付けようとボランティアセンターに依頼したそうだ。そこで私たちがそのお手伝いをさせていだくことになった。

 写真のように地下に酒蔵ある。海水が2㍍ほどの高さに溜まっており、それをポンプで汲み上げようとした。しかし、ヘドロが溜まり全くポンプは役に立たない。そこでもう人海戦術、バケツリレーしかない。数人が地下室でバケツにヘドロをくみ、地上にあげる。

  P8091181.JPG P8091196.JPG そのバケツを裏の外に捨てる。一人でも抜けるとそのリレーに穴ができ、一人の負担が格段に増すので外れることができない。バケツの重さも量によっては尋常ではなく、この時は本当に辛かった。

P8091189.JPG 午後からはご主人から2階部分の洗浄もということで、ちょうど私たち金光教のボランティアチームが保有していた高圧洗浄機があいていたので、それを持ってきて作業をした。一番ベテランで機械のプロの宇部東教会Sさんが別の重要なボランティアのために不在。

P8091206.JPG P8091202.JPG 7月22日から9月4日まで入った寮生のK君がこの時期弟子入りして免許皆伝、この日は師匠のいない中の作業となったが、仏壇や洋服ダンス等々もきれいにさせていただき、ご主人からも大変感謝された。

  P8091214.JPG ただ、非常に暑い日となったこの日、午前中のバケツリレーで汗をかき、午後からの高圧洗浄で水浸しになったことからか、この作業の次の日から38.9度の熱を出してしまい、2日間お休みを頂いた。(つづく)

 当ブログ、下記の「コメント」につきまして、大変な失態をしておりました。スパム対策のため、コメントがただちにアップされないように制限をかけ、確認後にアップするように設定を変更しました。
 
 ところが、その後その制限をかけていることを忘れ、コメントの確認を失念しておりました。先日の台風で私の実家の那智勝浦町に被害が出たとき、ご本部のM先生が「コメント」に入らないと教えてくれ、何と今頃になってようやく気がついたようなことです。

 沼魚様、Hattori/SVA様、KENSHIN 様、新保登生次様、田中信道様、saitama小町様、進藤好美様、 金光英子様、本当にご無礼をいたしました。先程全てアップしました。

 特に新保登生次様には、お尋ねを賜りながらお答えすることできず、誠に失礼いたしました。今年のは終わってしまいましたが、沖縄遺骨収集は年齢制限等ありませんので、詳細や申し込みは、金光教那覇教会の林雅信先生の方にご連絡ください。

 このたびは、誠に申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます。事情ご賢察の上、ご容赦ください。また、これに懲りずに今後ともご指導の程、よろしくお願い申し上げます。

※「ブログタイトル」、アップ日、コメント者氏名、投稿日の順です。

「キスを釣りに行って、鯨が釣れた?」2011/8/14 「沼魚です」2010/8/20
「公開シンポジウム『よりよい未来へ』-いま、求められる教育とは-開催される」2010/8/29 「Hattori/SVA」2010/8/30
「寮研修旅行・生神金光大神大祭に参拝 終」2010/10/18 「KENSHIN」2010/10/23
「第37回沖縄遺骨収集に参加 1」2010/2/24 「新保登生次」2011/1/15
「沖縄遺骨収集の写真」2010/3/25 「匿名」2011/2/11
「麹町教会報徳祭に参拝」2011/2/12 「田中信道」2011/2/23
「※ご無礼、お詫び」2011/7/18 「saitama小町」2011/7/19
「気仙沼ボランティア報告②(6/10~6/19)終」2011/7/22  「進藤好美」 2011/7/31
「五右衛門ヶ原仮設住宅の『交通弱者』」2011/8/26  「金光英子」2011/9/14

 本年は、14名、車2台での参拝研修旅行となった。金光教青年布教委員会ACTの委員長B氏が車ごと参加してくれ、大変お世話になり、今回の計画が可能となった。

 今回は、本年2月に寮生4名が沖縄遺骨収集に参加後、「戦争と平和」を考える勉強会を重ねてきている中で、広島原爆ドームと資料館を見学したいとの願いが出され、車で行くことで実現した。

 8日土曜日の23時30分寮を出発。9日日曜日、10時前に広島平和公園に着いた。寮の運営母体である一般財団法人金光財団事務局長の神田先生が出迎えてくれ、また広島在住で気仙沼ボランティアで寮生たちもお世話になったIさんとその娘さんも駆けつけてくれた。

 「広島平和記念資料館」・「原爆ドーム」見学の後、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」で何と神田先生の父上の神田照家先生からお話を賜った。その後ご本部に16時過ぎ頃に到着。18時から東京学生寮運営委員長福田浩先生からお話を賜り、その後懇親を深めた。

 10日午後13時から教話、13時30分からの生神金光大神大祭に参拝、15時30分ご霊地を出発、今朝午前2時に無事帰寮させて頂いた。万事のご都合お繰り合わせに感謝。

 そのようなことで、非常に中身の濃い研修旅行となり、当ブログ、アップが遅れていた私にとっては3回目、4回目の「気仙沼ボランティア報告」連載の後に詳細をアップしたい。 

熱田教会信徒会講演会 終

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  次に「気仙沼ボランティア活動での寮生との接し方」について、これはもう気仙沼教会教会長先生ご夫妻、教会がある南町の自治会館である紫会館(自治会館)の被災者の皆さまやその町会役員、リーダーの皆さま、金光教首都圏ボランティア機構の現地スタッフの方々、そして全国から馳せ参じたボランティアの仲間たちに本当にお世話になって、多くの人生上の糧を頂いた。

 当熱田教会のご子息とも数日間一緒にボランティア活動をさせて頂いた。また、当教会のフォーゲルのリーダーであるK君とは、私は入れ違いになって確か一日だけだったが、その後現地スタッフから素晴らしい活動を展開されつつあると聞いた。

 それは写真や位牌など遺留品をきれいにして持ち主に戻すというボランティアだ。自衛隊の方が、遺留品を唐桑体育館というところに運び入れる。その中で特に写真アルバムの再整理化に従事してきている。ヘドロや海水で汚れたアルバムから、一旦、写真を取り出して水で洗い、乾燥させて再アルバム化する。地元の方が中心に6月から立ち上げ、今日までずっと展開してきている。

 そのお手伝いに私たち金光教のボランティアも多くの人が携わっている。その写真であるが、状態の悪い状態で、顔の部分などがほとんどとれてしまい判明がつかないものは、ご供養といってお寺で焼かれるそうだ。そこでアーティストを目指しているK君は、その写真を組み合わせて一つの作品として個展を開きたいと提案された。「焼いてしまう写真達に、違う形で命を吹き込み生かしたい。そして、より多くの人に東北での事を知って欲しい」と。

 ただのゴミになってしまいそうな写真を単なる物として見なくて、そこにいのち、そこに映っていた人の心、写真を撮った人の心を感じている。もっといえば神様を感じている。だからいのちを吹き込みたいと。私はこの話を聞いて本当に素晴らしいことだと思った。どんな作品になるか楽しみである。

 それからわが寮生たちも15人程度が参加し、長い人で一月以上、そして何度も参加してくれた寮生もいる。その中でホテル一景閣というご信者の経営するホテルが2階まで海水に完全に浸かり、現在再開に向けて高圧洗浄や掃除のボランテイア活動をもう何日も入って展開している。

 その中で食器洗いのお手伝いをしたIさんが帰ってきてのボランティア報告会で本当にいい感想を述べていた。私も同じことをさせて頂いたことがあるが、食器洗いといってもヘドロや貝の腐ったようなものがこびりついており、臭いも凄まじい。それをただひたすら金たわしなどで汚れが完全におちるまで洗う。正直最後は疲れ果ててしまう。

 そのような中でIさんは、「この食器は、これまで何人者の方に料理を提供していろんな人と共に過ごし、喜ばれてきたであろう。その食器たちがたくさんロッカーに並べられ、次の出会いを待っている。普通の生活ではただの道具としか思わないが、この場では歴史が一杯詰まっている食器だと愛着を感じ、その食器一つひとつが小さな神様と思え、神様が一杯いると感じた。その手助けをさせていただく運命を感じ、どうぞここからいい出会いができますように祈りながら洗った」と。

 この感想には本当にまいったと思った。先のK君にしろ、Iさんにしろ、作業としては単純作業でなかなかしんどいものがある。その中で何でもない物に「いのち」を見、「いのち」を感じ取っている。これは普通のボランティアではなかなか出てこない提案や感想ではないか。金光教の信心をさせて頂いている人ならではと感じ入った次第である。

 「信心の継承」というテーマを頂いたが、なかなかそのテーマに添えず申し訳ない。ただ、若者や子供に何かを伝えたい時には、抽象的な理屈やこうしなければならないとか、こうすべきというルール、道徳のレベルではなくて、感情や気持ちという「実感」のレベルでつきあう。そしてその時の価値基準は、善悪、正邪でなくて、「本物」かどうか、「本当」はどうかというところにおく。いわば、本音のつきあい、裸のつきあいをしていけば、自ずと大事なものは伝わると思う。(おわり)

※以上のような話をさせていただきましたが、当日お話した個人の問題にかかわる具体的な話は省略して、時間の関係で話せなかった内容を少し付け加えているなど加筆、訂正していることをお断り申し上げます。

熱田教会信徒会講演会 9

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 次に「寮祭等イベント時に寮生への接し方」について、前述したように自主性を重んじるといいながら、寮生の本当の気持ちを理解せず、まあ、楽しければいいかと私もそれでよしとしているところがあったと深く反省した。

 そこで、寮生たちも本音のところはまじめな話もしたいのではと、いつの頃からか、あえて平和や戦争、あるいは経済格差や人権の問題等々持ち出して話すことにした。もちろん最初はそれこそ空気を読みながら個人的に話したり、ある時はみんなに問いかけたりした。個人的な会話ではもちろんのこと、全体に振っても結構みんな真剣に乗ってきてくれた。

 そこからだんだんに東京平和集会や沖縄遺骨収集に積極的に参加してくれるようになり、今年の沖縄遺骨収集には4名の寮生が参加し、その後、寮に帰ってからも「宗教と平和」というテーマの勉強会を数十名集会室に集めて開いてきている。

 寮祭等の行事も、寮生会の寮長や役員一部の人が一生懸命やっていた形から、最近では食事会の終盤に全員で企画するようになり、今年は気仙沼でのボランティア関係の企画をしようとしており、誠にありがたいことである。(つづく)

熱田教会信徒会講演会 8

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 例えば、「もったいない」を広辞苑で引くと、「①神仏・貴人などに対して不都合である。②過分のことで恐れ多い。かたじけない。③そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」とある。現代人は③の意味しか理解しておらず、その根源にある①、②の意味を忘れてしまっている。

 金光教教典抄の『天地は語る』は、全ての営みが神様が支えられているという「天地の道理」が書かれてあり、まさに天地の声、天地が語られている。文字面を読むだけでなくて、底に流れている神様の御心、神様の気持ちを感じ取らなければならない。

 もう一つ例を挙げるなら、人間の心を現す言葉として「心」、「魂」、「霊」という三つの言葉がある。漢字が違うということはそれぞれ違う意味があるのではと考えてみる。そこで、私は「心」とは、自分でコントロールできる範囲のもので、自分で意識できるものである。「魂」は、その心の奥底にある無意識的なもの。

 そして、さらにその奥底に、心を支えているものとして、分け御霊(みたま)といわれる「霊」があるのではないか。「心」は自分で意識してコントロールでき、「魂」までは何とか自分の心の努力で磨ける。しかし、人間の努力だけではどうしようもないこともあることが事実であり、そこは神様にお縋りするしかない。

 人間にはどうしても自身の努力と神様のお力の両方が必要だ。そこで神様に願い、お縋りすることで分け御霊が発動し、わが心が神様の気持ちを感じ取り、そして感応し、わが心の全体が「和賀心」となって幸せになれるのではないかと。神様の気持ちがわかれば、人の気持ちも理解できる。あらゆる事柄の根源に神様を頂くことがここにあるのではと考え、そうしたことを寮生たちに伝えている。(つづく)

熱田教会信徒会講演会 7

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 さて、信徒会長にお願いされていた「寮生たちに日頃からみ教えをどう伝えているか」についてであるが、み教えは「こうこうである」、だから「こうすべきである」と教条的に伝えていなかったか。また、文字面の上辺だけを理解しているだけでみ教えを「人を切る道具」にしていなかったか。

 私は前々から言ってきた一つに、み教えは自分自身が頂くためのものであり、「教祖様はこう教えているのに、あなたはできていない」とか、「教会の先生がこう仰っているのに、あなたは何も聞いていない」とか、み教えを人を責める道具にしてしまっていないか。ここはよくよく注意しなければならないと思う。 

 また、現代人の考え方の特徴として、○か×か、正しいか間違いか、 良いか悪いかとすぐに答えを出したがる傾向がある。先に触れた「無痛文明」では、辛抱することが全くできなくなり、すぐに白黒つけなければ落ち着かない人が増えている。そして矛先を他人に向け、責任を他人に押しつけ、自分は関係ないとする傾向がますます強くなっている。

 私は価値判断をしなければならない時に、善悪や正邪で判断するのではなくて、それは本当のところはどうか、それは適切であるか不適切であるか、つまり自分として「本物とは」、「本当とは」というところに価値基準を置いて考えてみることがいいのではと勧めている。

 そしてみ教えを頂く時も、「心を大切に」といいながら「気持ちや感情」を置き忘れてきたように、信心やみ教えの言葉面だけをみて、善悪、正邪で考えるのではなく、そこにある本当の意味、本物の事柄を見失ってきているのではないかと考えてみる。そうするとそこに神様を忘れているのではないかと。つまり、神心といわれるその御心、神様の気持ち、神様の願いがあってのみ教えであること、その御心をわが心としていく必要性である。(つづく)

熱田教会信徒会講演会 6

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 次に、ではどうすればいいか。マスコミや物の本では、相変わらず「心を大切に」「人間性が大事」とか、「気持ちを大切に」、「ありのままの自分を受け入れる」とか「共感」が大事という。しかし、どれも抽象的で、具体的にどういうことかということは教えてない。

 例えば「命の大切さ」を伝えるときに、ただ「命を大切に」と言ってもダメ。本当に命が大切だという実感が大事。ここでも、その感情を言葉にしてみる必要がある。自分自身「生きててよかった」、「一緒にいてくれて嬉しい」という時を思い出し、そのことを具体的に伝える。「命を大切にしなくてはいけない」というルールをお題目のように唱えても伝わらない 

 「男はつらいよ」という映画がある。このシリーズが終わってから私はこの映画にはまった。その39作目『寅次郎物語』に高校生になった甥っ子の満男君との会話にいつもぐっとくる。
満男 「人間てさ」
寅  「人間がどうした?」
満男 「人間は何のために生きてんのかな」
寅  「難しいことを聞くな、お前は。・・・何というかな、あー生まれてきてよかったそうことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか」

 そこで皆さんも以下の点について一つ思い出して見てほしい。その気持ちを大切にして、そのことを素直に話せば自分の子供はもちろん人はしっかりと聞いてくれるものである。

○最近「きれい」と思ったこと?

○楽しいと感じた時

○一番嬉しかったこと

○悲しかったこと、辛かった出来事をどう乗り越えてきたか
 忘れてしまいたいことまで思い出すのはそれこそ辛いことであり無理に思い出すことはない。ただ、難儀をどう乗り越えてきたかという自身の経験は必ず相手のためにもなると思う。

  こうして、自身の人生を振り返って、自分の気持ちや感情を時々思い出していると、不思議と今あるこの瞬間瞬間の時間がいとおしく、子育てにも余裕ができ、子供にあれやこれや言わなくても子供は自分でしっかりするものである。また、自分自身に新たなトラブルや難儀が降りかかった時、自分の気持ちに注目してみると結構解決が早い。

 うちの娘がある問題から立ち直った時、あれだけ毎日、毎日「早く、早く」と言っていたのが、そして外にまで立たせて叱っていたものが、全く言わなくても子供はちゃんとするのである。おかげで、中学、高校と私はほとんど怒ったことがない。今振り返っても信じられないほどのおかげを頂いた。

 ちなみに私が一番嬉しかった時は、娘が立ち直った時、娘が「お父さん、お父さん」と携帯画面を見せながら、「お父さん、こんなの好きでしょう」と見せてくれた画面にあったのが「辛」+「一」=「幸」という漢字の数式。この「一」のこと、学校の先生や娘の友人、寮生たちと多くの人に「一」を頂き、支えてもらった様々なことを瞬間的に思い出し、うれし涙が止まらなかった。

 どうすればいいかを一言で言えば、自分が子どもや相手の立場に立って「実感」レベルで想像し、その感情を言葉化してみるとこにつきると思う。(つづく)

熱田教会信徒会講演会 5

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 こうした子供の感情が育たないあり方は、子供の時から「よい子」を強要した親のあり方ともう一つ本音と建て前を使いわける親のあり方の問題がある。例えば、自由や個性の尊重という近代教育の影響からか、子供に「自由に好きな道に行けばよい」と物わかりのいいことを言いながら、本音は「よい学校」に入ってほしいと思っている。

 子供の方は好きな道と言われても何をしていいかわからず、とりあえず入れる大学に入る。そのまま何の目的もなく4年生を迎え、この超就職氷河期の中で仕事に就けず親に依存するいわゆるパラサイトシングルなるものが増えている。その延長線上にニートや引きこもりの問題がある。

 今日では、個人的な親子の資質の問題だけに還元して解決できるものではなくなってきているかもしれない。つまり、感情が育ちにくいのは何も子供だけではなくて、大学生や大人にもあり、社会全体として感情が育ちにくい状況にある。

 現代社会は相変わらず競争社会で、昔からよくいう「仕事に感情を持ち込むな」は今でもますます強くなってきている。資本主義社会の中で人間生活のあらゆる領域が効率、経済性、成績が重要視され、人間そのものが物化、商品化してしまっている。

 「マクドナルド化」という言葉があるが、効率性、計算可能性、予測可能性、制御統制、つまり人間の感情までもが全てコントロール可能とされる。マクドナルドの店員さんは、気持ちや感情までコントロールされ完全にマニュアル化されてしまっている。 

 また、「無痛文明の誕生」といわれているが、他者を犠牲にしてまでも、快(こころよい)を求め、苦しみ、辛さ、痛みを極端に避ける社会となっているとの指摘がある。生きる喜びは、苦しみや辛さに立ち向かってそれを乗り越えて得られるものであるが、逆説的に言えば無痛文明はこの生きる喜びを奪っている。

 神様や天地自然の働きを忘れた人間中心主義、人間が全てをコントロールできるという錯覚が、人間自ら生活を完全に破壊してしまう難儀や個人の努力ではどうしうよもない心の病を抱え込んでしまっている原因と言えるだろう。(つづく)

 

熱田教会信徒会講演会 4

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 それから極めつけの失敗がある。信心しているものとして特に子供に伝えたいことは、「自分のことより、相手のことを思いなさい」ということである。しかし、これがやはり高圧的になってしまい逆効果になってしまったのだ。子育て、あるいは信心の継承の成功、失敗の根本がここにあるかもしれない。

 娘が小学校の頃、友人関係のトラブルで「○○ちゃんがいけないのに私が悪くなって怒られたとか、責められた」とよく友達の悪口を言ってきた時がある。その時にすぐに「人の悪口を言わないで、相手の立場に立って、相手の事を思いなさい」と頭ごなしに応対していた。これは子どもにとっては、友達からも先生からも孤立して、そして頼るところは親しかないのに、これでは親も味方でなく完全に孤立してしまう。

 そして、「悲しい」とか「悔しい」とか「心細い」といった気持ちや感情を出すと悪いことなのだと学習してしまい、言葉化されないまま、つまり感情が育たないまま大きくなっていく。

 するとどうなるか?。すぐに「キレ」たり、すぐに暴力をふるったり、暴言を吐いたり、いじめや嫌がらせをしたり、突然学校に行かなくなったり、引きこもったりしてしまう。親は聞き分けのよい素直な「よい子」に育ててきたと思っているから、突然の変貌にびっくりする。「よい子」はただ表面上のことであって、感情が育ってないために本人も気持ちをコントロールすることができないのだ。この問題のほとんどの原因はこうした親子関係のすれ違いにあるといっても過言ではない。

 私の場合は、娘が「○○ちゃんがいけないのに」と言ってきた時に、そうかそれは「悔しかったね」、「腹立たしい思いをしたね」、「辛かったね」と子どもが抱いている感情を言葉化してあげて、まずは肯定してあげることが必要だった。

 友達の悪口を言ったらすぐに「悪口はいけません」ではなくて、「そりゃあ、悪いやっちゃな」、「それはおまえが怒るのは無理もない」とまずは肯定してあげる。そして話をよく聞いてあげて、しかる後に、あるいはしばらく時間をおいて「でも、相手にも言い分があるかもね」と相手の気持ちを思いやることも教えていく。子育ての場合はここがポイントとなる。

 つまり「子供の気持ちに立って」とか「子供の気持ちを理解してあげて」という抽象的なことをいくら言っても子供の気持ちは理解できないわけで、今申した子供の気持ちや感情を言葉化してあげることが子供の気持ちを理解することができることになると私自身も教わったようなことである。(つづく)

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