熱田教会信徒会講演会 4

| コメント(0)

 それから極めつけの失敗がある。信心しているものとして特に子供に伝えたいことは、「自分のことより、相手のことを思いなさい」ということである。しかし、これがやはり高圧的になってしまい逆効果になってしまったのだ。子育て、あるいは信心の継承の成功、失敗の根本がここにあるかもしれない。

 娘が小学校の頃、友人関係のトラブルで「○○ちゃんがいけないのに私が悪くなって怒られたとか、責められた」とよく友達の悪口を言ってきた時がある。その時にすぐに「人の悪口を言わないで、相手の立場に立って、相手の事を思いなさい」と頭ごなしに応対していた。これは子どもにとっては、友達からも先生からも孤立して、そして頼るところは親しかないのに、これでは親も味方でなく完全に孤立してしまう。

 そして、「悲しい」とか「悔しい」とか「心細い」といった気持ちや感情を出すと悪いことなのだと学習してしまい、言葉化されないまま、つまり感情が育たないまま大きくなっていく。

 するとどうなるか?。すぐに「キレ」たり、すぐに暴力をふるったり、暴言を吐いたり、いじめや嫌がらせをしたり、突然学校に行かなくなったり、引きこもったりしてしまう。親は聞き分けのよい素直な「よい子」に育ててきたと思っているから、突然の変貌にびっくりする。「よい子」はただ表面上のことであって、感情が育ってないために本人も気持ちをコントロールすることができないのだ。この問題のほとんどの原因はこうした親子関係のすれ違いにあるといっても過言ではない。

 私の場合は、娘が「○○ちゃんがいけないのに」と言ってきた時に、そうかそれは「悔しかったね」、「腹立たしい思いをしたね」、「辛かったね」と子どもが抱いている感情を言葉化してあげて、まずは肯定してあげることが必要だった。

 友達の悪口を言ったらすぐに「悪口はいけません」ではなくて、「そりゃあ、悪いやっちゃな」、「それはおまえが怒るのは無理もない」とまずは肯定してあげる。そして話をよく聞いてあげて、しかる後に、あるいはしばらく時間をおいて「でも、相手にも言い分があるかもね」と相手の気持ちを思いやることも教えていく。子育ての場合はここがポイントとなる。

 つまり「子供の気持ちに立って」とか「子供の気持ちを理解してあげて」という抽象的なことをいくら言っても子供の気持ちは理解できないわけで、今申した子供の気持ちや感情を言葉化してあげることが子供の気持ちを理解することができることになると私自身も教わったようなことである。(つづく)

コメントする

2012年4月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

このブログ記事について

このページは、つっさんが2011年10月 1日 17:20に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「熱田教会信徒会講演会 3」です。

次のブログ記事は「熱田教会信徒会講演会 5」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: