こうした子供の感情が育たないあり方は、子供の時から「よい子」を強要した親のあり方ともう一つ本音と建て前を使いわける親のあり方の問題がある。例えば、自由や個性の尊重という近代教育の影響からか、子供に「自由に好きな道に行けばよい」と物わかりのいいことを言いながら、本音は「よい学校」に入ってほしいと思っている。
子供の方は好きな道と言われても何をしていいかわからず、とりあえず入れる大学に入る。そのまま何の目的もなく4年生を迎え、この超就職氷河期の中で仕事に就けず親に依存するいわゆるパラサイトシングルなるものが増えている。その延長線上にニートや引きこもりの問題がある。
今日では、個人的な親子の資質の問題だけに還元して解決できるものではなくなってきているかもしれない。つまり、感情が育ちにくいのは何も子供だけではなくて、大学生や大人にもあり、社会全体として感情が育ちにくい状況にある。
現代社会は相変わらず競争社会で、昔からよくいう「仕事に感情を持ち込むな」は今でもますます強くなってきている。資本主義社会の中で人間生活のあらゆる領域が効率、経済性、成績が重要視され、人間そのものが物化、商品化してしまっている。
「マクドナルド化」という言葉があるが、効率性、計算可能性、予測可能性、制御統制、つまり人間の感情までもが全てコントロール可能とされる。マクドナルドの店員さんは、気持ちや感情までコントロールされ完全にマニュアル化されてしまっている。
また、「無痛文明の誕生」といわれているが、他者を犠牲にしてまでも、快(こころよい)を求め、苦しみ、辛さ、痛みを極端に避ける社会となっているとの指摘がある。生きる喜びは、苦しみや辛さに立ち向かってそれを乗り越えて得られるものであるが、逆説的に言えば無痛文明はこの生きる喜びを奪っている。
神様や天地自然の働きを忘れた人間中心主義、人間が全てをコントロールできるという錯覚が、人間自ら生活を完全に破壊してしまう難儀や個人の努力ではどうしうよもない心の病を抱え込んでしまっている原因と言えるだろう。(つづく)
コメントする