2005年4月アーカイブ

電車事故

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 何とも、またいたたまれない事故が起きた。50名の死亡というこの時代にもなって考えられない事故である。一瞬にして50人もの方がこの世から姿を消した。ご家族、関係者のことを思うと言葉もない。

 つい先日も、同級生が交通事故で突然亡くなった。車の独り相撲ではあったが、なぜ何だという気持ちは押さえられない。亡くなられた当事者にとってみればなぜ自分たちなんだと思うであろう。

 以前、おなかの中に子供がいる友人のご主人が、交通事故で一瞬にしていなくなった。周りの人からなぜ、なぜなんだと問いつめられたこともあった。申し訳ないがその答えはない。

 私たち人間は、私たちの能力以上に能力を発揮してしまったが故にとしか言いようがない。自分個人の能力でめいっぱい走ったもの同士がぶつかっても、死ぬことはないと思う。が、それと同じように私たちは車も乗り、電車も乗り、飛行機も乗りながら安全だと思い切っている。

 しかし、それはかつて大海原に危険を承知で船出したことと変わりがないほどに危険なことではないか。それを忘れている傲慢さにやはり事故が起きるのであろう。万事に、人間業を越えたことをしていることを自覚しつつ、常々ご都合お繰り合わせ願い、無事を感謝していくしかない。ご冥福をお祈り申し上げる。

9条改訂は、国際問題。

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《4月20日付「思うがままに『対立は共滅への道』」で、具体例は次回と予告しながらダウンしてしまい、大変失礼いたしました。今日になりましたことお許し下さい》

 本年2月、国連アナン事務総長の呼びかけに応じて「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ」、略して「ジーパック」が、東北アジアの各地の非政府組織代表や研究者40人ほどが、東京の国連大学で開かれた紛争予防に関する国際会議があったそうだ。

 議論されたポイントは、日本の憲法9条は一国の憲法の条項であるとともに、東北アジア地域の紛争予防のメカニズムであるという点。もちろん世界5位の軍事費を費やし、イラクに自衛隊を派兵しているという矛盾はある。しかし、その矛盾があるからこそ、逆に9条が紛争予防のメカニズムとして効果的に機能しているとも考えられるという。

 また、韓国の女性活動家は、「9条はドイツと違い戦争責任を明確にしない日本の、『侵略を繰り返さない』というアジア市民に対する誓いとして機能しいる」と指摘している。さらにモンゴルの前国連大使は「9条は明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因。修正されれば必ず負の影響が出る」と断言している。

 ピースボードの吉岡共同代表は、「この会議で彼らが語ったのは、いずれも、9条が国際常識に照らしてあわせてどうかという議論ではなく、9条の存在そのものがこの地域の平和と安定、そして市民間の信頼醸成に寄与しているという事実である」と言っている。

 実は、昨日中野ゼロホールで「日本国憲法」という映画を見たが、その中でも憲法改憲問題は、国内問題ではなく、国際問題であると指摘していた。改憲派諸氏が見ようともしないもう一つの現実も直視し、多くの人に知らせる必要がある。皆様にも是非いろいろな機会でお話しいただきたい。

病気〈で〉おかげを頂く。

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 ご心配をおかけいたしました。季節はずれのかぜで何とも情けない限りです。

 寮監として東京へ来てから15年、高熱で寝込んだのはこれで2回目。それまでは結構かぜをひく方だったが、ここへ来て微熱程度ですんでいた。春になって高熱が出たのは、おそらく人生上初めてだと思う。

 中学、高校の頃は寄宿舎だったので、何回か熱を出して舎監の先生のお部屋でお世話になった。心細くなっているところをいろいろと励ましてくれたお言葉やお話しを思い出す。今頃になってもっとお礼を言っておけばと反省する。

 その一つが病気は病でなくて、神様からのシグナルということ。機械でも何でも小さいところの故障をほうっておくと全体がだめになる。人間の体も同じでそのまま無理をすると全体がだめになる。だから、病気をもって知らせてくださっているのだ。しばらくは休めと。

 また、「病気〈が〉治るのがおかげだけでなく、病気〈で〉おかげを頂きなさい」との先人の先生の教えを思い出す。一昨日からいろいろなことをゆっくりと考えることができた。貴重な時間を頂けたおかげに御礼申し上げている。

対立は共滅への道

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 17日金光教東京寮95周年「開寮記念祭」と新入寮生歓迎会、18日東京センターの「政治社会問題懇談会」、19日非戦・平和ネット「憲法9条学習会」と立て込み、ニュースや新聞を読む暇もないようなことで、昨日は書き込みできず失礼。

 17日は、中国での反日デモが拡大し、最悪のタイミングで開寮記念祭となったが、在寮の中国人留学生は非常に客観的にみており、冷静であった。日本人学生の方は冷静というより、いいか悪いか「ノー天気」といった感が強かったが・・・。

 いよいよ戦前という雰囲気になってきたのではと本当に危惧する。常々申してきたように、対立は共滅への道である。張り合ってはお互いが不幸になる。もう世界は共生しか道はないことを早く知るべしだ。

 その意味で特にアジアの中で日本という国がどう見られているか認識する必要がある。東アジアの安全保障で、私たちは北朝鮮が一番危険な国と考えているが、他の東アジア諸国は日本が一番危険だと思っているのである。そこに靖国参拝や教科書問題は当然問題となる。極めつけは憲法「改正」であろう。その方向性は一気に関係の悪化、もっとも危険な状況となろう。

 ではどうすればよいか。あまり報道されないがいろいろな取り組みがある。明日紹介したい。

東京寮掲示板

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 東京寮の正門前に大きな掲示板があり、そこにいろんな教内ポスターや金光教東京都教会連合会作成のみ教えポスターなどを掲示している。バス通りから100メートル入ったところなので、そう人通りはある方ではない。しかし、一般の方が掲示板の前に立ち止まって読んでくれている姿を結構見る。

 以前東京センターの社会活動部門で講師になっていただいた方が小金井の在住で、何とセンターで関係がつく以前から、金光教のことについては早朝の散歩の時に寮の掲示板をみて知っていたとのこと。 

 また、日本語に英訳をつけたものも張り出したことがあるが、その表記の仕方について東京センターに問い合わせが入ったことがある。センターから寮に電話がまわってきて、問い合わせてきたご本人と電話で話したが、よく読んでくれているという。

 それだけ読んでくれているのだから何とか自分でも掲示文をと考えるが、これがことのほか難しい。結局教祖の教えそのままになってしまったりする。これこそ教団の英知を結集して知恵を出し合い、あるいは参考にしあいながらよりよいものを作成していただきたい。全国教会で掲示しているオリジナル文を集めて文集として出版したり、プロジェクトチームを作って一般の日めくりや標語なども調査研究してみるものもいいのでは。

よくわからないこと

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 私もこうやってインターネットの恩恵を被り、「おじなきおのれ」が細々と考えを表明できるすばらしい道具として活用している。ところがこれを悪用し、金儲けや嫌がらせのたぐいが多いのには本当に辟易する。それであなたは本当に楽しいのですかと。

 辛い気持ちはよく分かる。わかっていてもできない気持ちもよくわかる。こうしてよくわかると言いながら、わかっていないこともよくわかる。わかっていないけれども、ただ1つよくわかることは、人に対してよく思われないことを続けていても結局は何の自分のいやしにならないことは、よくわかっているいうこと。

 結局人に信じてもらわなければそれまでだし、人を信じることができなくなってもそれまでである。全く抽象的で申し訳ないが、よくわかってもらいたいのである。よくわかってもらえないとわかりきったときにわかるのであるが、それもできないのなら少なくとも人をわかろうとするか、少なくともそれを認め、自分はよくわからないから自分を変えようとすることである。

防空壕跡で中学生4人死亡

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 鹿児島の防空壕跡で中学生4人がなくなった。これも私が再々主張している「戦争が終わってない」一つの出来事である。実は私も勝浦小学校の頃、防空壕で遊んだことがある。ただ中学生や高校生の秘密基地になっており、なかなか近寄れず、出口あたりから中をのぞき込む程度であった。

 ある時、町の中心部の小山の中にある防空壕跡近くで遊んでいると、白い煙が立ちこめ、パチパチというすごい音が聞こえてきた。あわてて見に行くと、洞窟の奥に真っ赤な火が見えた。「火事だ、まずは知らせないと」と思い、友達と必死で小山を駆け下り、10分ほどでいける消防署に走った。

 私たちは危ないからと、その後は山に入れず帰らされた。次の日、学校へ行くと校長室に来てほしいという。もうすでに噂になっており、校長室前には一杯の生徒たちが来ている。何と消防署長が来て、感謝状を渡したいとのこと。最初で最後の経験。校長室を出てくるとまるで英雄扱いであった。

 後で聞くと、もし通報がなければ隣接している民家も危なかったとのこと。火の後にはたばこの吸い殻などがあったらしく、近所の中学生か高校生が火を使用したと言っていた。一歩間違えれば今回のように誰かが死んでいたかもしれない。今はその小山は周囲に金網が張り巡らされ、立入禁止となっている。

 私の経験からすでに30数年も経っているのに痛ましい事件が起きた。何とも悔やまれる。防空壕はしっかりと整備して、戦争遺跡として残すべきだ。何もしないでほったらかすからこういうことになる。戦後、何も責任をとろうとしなかった国家や行政のあり方がここにも現れている。

反戦講演会 終

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 小田氏は「あの8月14日の無意味な意味の死はいったい何だったろうと問わずにおれない。天皇は自らのいのちをなげうって国民のために終戦を決意したという真っ赤な嘘が今でもまかり通っている。ところが、実は天皇は11日に自分の身の安泰を知っていた。11日付ニューヨークタイムスにそのことがニュースになっているのだ」という。

 続けて「11日以降米軍は空襲をしなかった。にもかかわらず、ポツダム宣言を引き延ばした。そのために14日、800機以上のB29が飛来し、大勢の人が死んだ。なぜ死んだのか。アメリカ政府も日本の支配層も全く何も学んでない」と怒り声をあげて終わられた。

 戦前の話を聞くと唖然とすることばかり。事実であるから何とも声もない。戦争の記憶は、被害者、加害者をこえて人類の体験として後世に正しく伝えなければならない。その意義を改めて強く思わされた講演会であった。

反戦講演会 4

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 最後にあの小田実氏登場。実際にまみえるのは初めて。すごい迫力で話し始める。まるで怒られているよう。小田氏の運動に携わった原点は、大阪空襲体験。8回の内3回を経験し、敗戦日前日の14日も空襲を経験した。

 その後、アメリカで飛行機から撮った大阪空襲の写真を載せた新聞を探し当てた。黒煙が上がり、その下はどうなっているかわからない。しかし、経験したものにとってはその下がいかに地獄か。上から見るだけでは全くわからない。その小さな写真の周りは、全く戦争と関係ない広告やプロ野球の記事などなど。

 実は小田氏も空襲を経験するまでは同じであったという。あの日本軍の重慶・南京大空襲の写真を見て、気分が高揚するとか下で何がおこっているかなど何も考えず、ただ日常の中で眺めていたに過ぎないという。今なお、アフガニスタン、イラクへの空襲で同じ経験をしているのだ。(つづく)

反戦講演会 3

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 講演の二人目は澤地久枝さん。この方も70歳はこえている。体調を崩されたと言いながらもかくしゃくとして「戦後60年と言われるが、戦争をしなかったという意味で私は不戦60年と呼びたい」と話し始められた。

 そして先の大戦で、ソ連侵攻以前に日本はソ連侵攻を企てていたこと、日中戦争のこと、何と生存率3パーセントというレイテ戦なとを紹介しながら、「国家は一夜にして崩壊し、誰も責任をとらなかった。その悲惨体験を全く教訓にしていない」と指摘された。

 さらに、「対テロ戦争といわれる米軍の無差別攻撃は、家族をすべて失った普通の人を一夜にしてテロリストに変えてしまう。つまり、日中戦争のごとく、テロ戦争には終わりがない。憲法を変えることは、その終わりなき戦争に参加することになるのである」。最後に「将来世代のために、不戦60年からさらに未来永遠に続けていくために、どんな小さなことでも実践していただきたい」と締めくくられた。(つづく)

反戦講演会 2

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 反戦講演会、トップは鶴見俊輔氏。新聞紙上でしか知らなかったが、聞きしにまさる人だった。何度も耄碌したと言いながら淡々と話し始め、実は自身で『耄碌帳』という本を出しているように、老獪と言っていい話しぶり。さすがに歴戦の勇士である。

 鶴見氏は、「べ平連」を立ち上げた中心的な人物。そしてその反戦運動中大失態を犯したという。それは、ベトナム戦争脱走兵を援助活動中、ある脱走兵がスパイであったことだった。しかし、「べ平連」はそのことをとがめず追放することはなかった。運動史としては珍しい組織的運動であったという。

 また、氏が深くかかわった日本人脱走兵の援助は、近代史として今後につながる運動のあり方を示したという。それは、たまたまアメリカが好きでわたっていた日本人が、生活費や大学へ入れるとの軽い気持ちで徴兵に応じたもの。休暇で日本に帰ってきたとき、両親が強く反対した。親思いの本人はそれを受け入れた例とのことである。

 最後に氏は、間違いなく悪くなる日本において、いよいよの時は体を張って抵抗し、日本の刑務所に入ることが夢という。実は、アメリカ留学中、アメリカの刑務所に入ったことがあり、「日米刑務所の比較研究という新たな学問分野を開いてから死にたい」と、冗談とも本気とも思える決意を述べて終わった。(つづく)

反戦講演会

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 「イラク戦争、憲法九条と私たち―ベトナム終戦30年のいま―」と題した九条実現4・10反戦講演会が昨日、昭和女子大学であった。講師は、小田実氏 、澤地久枝氏、 鶴見俊輔氏の蒼々たるメンバー。

 しかし、米軍の北ベトナム攻撃から40年、ベトナム戦争終戦30年という時が流れ、お三方も80代、70代のお年だ。2000人の会場であったが、半分弱の500人以上はいたと思う。ただ、やはり70代前後の人が主流で、若者はほとんどいない。

 それも無理もないと思う。私が1959年生まれで、実感としてのベトナム戦争の記憶はない。小田さんはテレビ、新聞によく出るのでそれなりに知っているが、「ベ平連」についてなどほとんど知らない。今の学生などは「ベ平連」の名前自体も知らないであろう。

 こうした反戦や憲法を問題にする平和運動が、年を取ったインテリや偏狂な左翼、労働組合などの運動で、古くて、怖くて、ださいと受け取られていることは日本社会にとって不幸である。結局私たち1人ひとりに跳ね返ってくる。そこに目覚めさせることがいかに大変か。

 ある友人が、「それこそ戦争が起こればいい」という。本末転倒の極みであるが、ことはもっと重大である。実は、そのような言動が本当に戦争を用意するのである。ますます悪循環。しかし、ここで沈んでいてはいけない。中身の様子についてはまた明日。

寮生会総会

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 本日寮生会総会、寮長以下新役員を選出する。かつては寮監の私も出ていたが、もちろん寮生会は自治組織なので今は出ないようにしている。寮長がほとんど話し合いで決まるからだ。

 寮監就任数年目までは、寮生会の組織を軌道に乗せるために最初は出席していた。そして何年目かのある時、寮長に3年生と2年生が立候補し、選挙になった。結果何と1票差。3年生が勝ち、何とか面目を保ったが後にも先にも選挙はこの1回だけ。

 あまりに壮絶だったので、その後は選挙にならず話し合い。いつだったか、寮監が出席するとあらかじめ既成の路線がしかれ、寮監の恣意的な考えで寮長が決まっているのではないかとの問題指摘もあった。そのようなことで、寮生会総会には全く出席せず、まかせっきりである。

 で、おもしろいのが、私より少し下の世代がこのことを聞くと、「え、なぜ出ないの。よく任せられるね」という反応。結構下の世代は、「出なくていいの?」。同世代は「出なくて当たり前」。上の世代は、「当然、出てはだめ」との反応。もろに時代が反映していると思いませんか?。どの形がよりふさわしいかわからないが、とりあえず出しゃばらないことにしている。

東京寮花見大会

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 昨日は東京寮恒例の花見大会及び第一弾の新入寮生歓迎会で失礼いたしまた。寮前庭で花見を始めてから十数回、延期になったのは初めて。桜が早く咲きすぎて、その後雨ばかりで中止になったことは一回ある。ここのところは早咲きが多く、遅咲きは最近ではあまり記憶がない。

 寮前庭にあるソメイヨシノは年々立派になり、木から4、5メートル離れている寮の建物にもうすぐとどきそうだ。今年も立派な花を咲かせてくれた。寮ではいつも午後3時頃から始め、寮生たちが三々五々参加してくる。恒例として日が暮れるまで、寒さをがまんしながら飲み続ける。ライトアップするからだ。夜桜また格別。

 いよいよ寒さの限界になると、誰かが必ず中に入ろうと言いだし、今度は寮の玄関ホールで飲み直す。調子のいいときは朝方まで酌み交わすが、ここのところはさすがに3時からぶっ通しなので、途中ダウン当「思うがままに」も書けなかった。中日・巨人戦の様子が銀座方面から喜々としたメールが入るは、こちらはがっくりで悪酔い。しかし、今年もまた新たなメンバーでスタートをきった。けが過ちのなきよう、万事にお繰り合わせを蒙ってまいりたい。

郵政民営化に思う。

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 いったい、わが国の政治家たちは何をやっているのだろうか。道路公団の問題にしろ、年金の問題にしろ、郵政民営化の問題にしろ、全く何をどう改革し、どうよくなり、どうよくなったのか、全くわからないではないか。

 国の借金はかさむばかり。このままいくと室町時代の徳政令なる選択肢かないという悪夢しかない。改革を叫ぶ方も阻止する方も、その既得権益や意地、保身に汲々として、国家百年の計が全くないではないか。

 閣議決定された郵政民営化の基本方針に「郵政民営化は、国民に大きな利益をもたらす」とある。それは、「良質で多様なサービスが安い料金で提供が可能」、「公的部門に流れていた資金を民間部門に流し、国民の貯蓄を経済の活性化につなげることが可能」等々をあげている。

 しかし、これはもうすでに今でもほとんどできているのではないか。国鉄のような親方日の丸、サービス怠慢など今の郵便局の方々にはみじんもない。また、公的資金も日本経済にとってなくてはならないものであり、逆に民に流れたお金はもろに市場経済の動向に左右され、福祉や介護など恒常的に必要とされるサービスが景気の影響で不安定化する問題もある。

 民営化賛成も反対も、なぜ必要か、なぜ必要ないのかをもっと明確に示すべき。今聞いている限りでは、何の問題もないではないか。いや、道路にせよ年金にせよ、本当の問題は「政・官・業」癒着にある。賛成派も反対派も政治家はこの問題だけには触れられたくないらしい。結局パフォーマンスだけか。結果、政治への無関心はますます深まり、最悪となる。

「戦後」ではない。

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 イラクでは今でも毎日戦争による死者が出ている。アメリカとイラクの大学の合同現地調査によると、イラクの民間人死者は10万人を上回るという。

 そのイラクの南部に陸上自衛隊を送り、「人道復興支援活動」と称して、給水・インフラ整備・医療支援を行っている。しかし、一方で「安全確保支援活動」として、オランダ軍へ給水したり、航空自衛隊は、米英軍の軍用物資、武装した米兵を輸送しているのである。

 「安全確保支援」という言い方は、先の大戦当時から、例えば「退却」を「転進」、「全滅」を「玉砕」、「原子爆弾」を「新型爆弾」と言い変えた得意の言い回しである。安全確保といかにも穏当に聞こえるが、輸送、補給、修理、整備、建設、通信などの後方支援なのだ。これは兵站支援であり、武力行使と一体なのは戦時国際法から見ても常識中の常識である。

 まさに米軍への荷担にほかならないどころか、事実上の参戦である。こともあろうに日本国は、その「対テロ戦争」といわれるものに堂々と参戦したいがために憲法を改正しようとしている。今は、戦後でなく、戦争中なのである。子供は殺してはいけないのは当然のことである。しかし、イラクの子供を殺すのは致し方ないという立場に私たちは立っているのである。

平和集会と教義

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 金光教東京平和集会に向けて本格的に始動。今日は「平和祈願祭」部会と朗読劇を予定している広場の部会があった。社会活動部門を担当している関係で二つの部会に顔を出している。

 さて、少しもめたのは「平和祈願祭」。ここ2年は「平和協議会」で明らかになってきた、み霊様と我々が共に神まさに平和を祈願するという意味合いで、慰霊と祈願はわける必要がないとの考え方で執行してきた。

 しかし、我々生者にとってみ霊様は共にあるものではなくて、対象としてある存在であり、慰霊祭と祈願祭は違うものであるとの考え方も当然ある。本教にとって儀式は、教義に基づいたものを形化したものであり、その教義観よって全く違う形が想定されるのである。

 その教義が教祖の教えに基づくことができれば問題ないが、教祖の教えとともに、歴史的な様々な習俗や習慣に影響される。教祖自身も当然その影響を受けている。つまり、基づくところがないので教義として確立できないのである。

 とすれば、その時代時代の考え方も考慮しながら、あるべき形を模索していく必要があろう。この問題、特に戦没者の慰霊はどうも本教だけの問題ではなさそうである。最近は若手の宗教学者が例えば福岡大空襲を調査することで、慰霊とは何かといった研究が出てきているようである。世界の真の平和に向けて、よりふさわしいあり方を求め続けることが肝要ということか。

ローマ法王ご逝去

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 カトリック教会の最高指導者のローマ法王が亡くなられた。テレビニュースや新聞のトップ1面での報道に、わが妻は「そんなにすごい人」なのと驚いている。
 「そりゃそうよ。全世界に11億人も信者がいるカトリックの教主様だよ」と答えつつも、平和問題は進歩的で避妊や同性愛など教義にかかわる部分は超保守的だった程度にしか、私もあまり知らなかった。

 「平和、民主化に尽力」、「謝罪、和解・・・異例づくし」との『東京新聞』の見出しや記事内容を見るにつけ、ものすごい人だったんだと改めて感じ入った。「英国教会との400年ぶりの和解」、「ガリレオ・ガリレイ」への350年ぶりの謝罪」、歴史の桁が一つ違う。

 「軍をもたぬ革命の師父」とのタイトルの記事では、「スターリンがヤルタ会談で、『ところで、ローマ法王は何個師団をもっていますか?』と、尋ねたのは有名な話である。独裁者には国の力を師団の数ではかる癖があった。ところが歴史の皮肉で、スターリンのきずいた強大な共産主義帝国は、一兵もたないローマ法王の霊威によって崩壊のうきめにあうのである」とある。

 この方のおかげで世界の平和度数は相当に上がった。残念ながらイラク戦争は止められなかったが、もしこの方がいなければ現在どうなっていたか。もっと悲惨な状況であったろう。カトリック教会は今後も平和へと世界をリードしていただきたい。

じゃがいもの花

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 わが母校、金光学園中学校高校の機関誌『やつなみ』を金光教東京寮にもお送りいただいている。その中で佐藤校長のエッセイ「じゃがいもの花」は大好きで、いつも楽しみに読ませていただいている。

 今回2005年3月号(211号)では、金光学園創立110年記念芸術鑑賞「黒柳徹子さんトーク&音楽物語『窓際のトットちゃん』演奏会のことが載っている。いつもまっさきに「じゃがいもの花」をまず読んで、全体を見させて頂くが、すでに佐藤校長のところでその何ともいえない興奮が伝わる。

 そして特集している記事を読むと、すばらしい企画だったとぴしぴしと伝わってきた。私が高校当時からいる先生の興奮度がホントおもしろい。それはそれは大変だったろうし、成功の暁には相当の充実感があったろうと思う。その同じ空気をすえた全校生徒の方たちはすばらしく幸せだったと思う。

 ある生徒の感想に、私の人生に確実に影響したようなことを書いていたと思うが、本当にそう思う。金光学園の生徒さんにとって一生の財産になったと確信する。これからも先生、生徒一丸となって新たな文化を生みだしてほしい。OBの誇りにもつながる。
 「ひとを大切に」「自分を大切に」「物を大切に」、まさにこれである。

2試合連続さよならホームラン

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 何とも、今年の中日は違う。小学校6年の名古屋修学旅行を境に中日ファンを続けているが、正直言って試合の展開に関係なく、最初にいくら点を取られようとも、負ける気がしなくなったのは初めてである。

 だいたい本当のファンというは、いつもびくびく、少しでも劣勢になると不安で不安でたまらなくなる心理状態になる。思い入れが強ければ、強いほどどうしてもそうなってしまう。これがファン心理であり、野球ファンの方はご理解いただけると思う。

 ところが、何とも今年はたった2試合ながら雰囲気が違うのだ。2試合連続のさよならという劇的さから有頂天になっているとも思う。確かにそうであろう。そうそうプロはあまくない。と言い聞かせつつも、ついつい頬がゆるんでしまう。

 誠に二日も続けて、他愛もない内容になり申し訳ない。もしかして明日もするかも。

祝サヨナラ満塁ホームラン発進

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 何ともわが中日ファンにとっては、たまらない開幕スタートとなった。おまけに巨人はここ数年絵に描いたような負け方で。気の毒を通り越してしまう。

 今日はスカパーの一月分をケチって契約せず、中日戦をテレビで見ることができなかった。仕方なくテレビの前に雄生のパソコンを持ってきて、ヤフーベースボールを画面に映し、60秒間隔の更新での観戦。これは観戦とはいえないか。

 途中、所用で見られず、帰ってくると巨人が一点差リードでピッチャーミセリ。広島のバッターはラロッカ。「ここでホームラン絶対出るよ」というと本当に打った。ところがよく見るとホームランでない。えらいもめている。ありゃりゃと見ていると次には何とツーランが出て逆転。原も江川も言葉がない。

 そうこうしているうちに、パソコンの前に座っている娘が「お父さん満塁でアレックス」という。しかし、そこからなかなかインターネット画面が更新しない。先にテレビの方がアレックスの満塁ホームランを伝え、一同万歳。

 いま、雄生が阪神も負けたと叫んだ。実は、BSで楽天対西武戦も見ている。昨年はいろいろあった。たかが野球、されど野球。いま、テレビでアナウンサーが「野球元年、交流試合もある」と言っている。これは本当によく考えればすごいことである。吉と出るか、凶と出るか楽しみでもある。

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