防空壕跡で中学生4人死亡

| コメント(0)

 鹿児島の防空壕跡で中学生4人がなくなった。これも私が再々主張している「戦争が終わってない」一つの出来事である。実は私も勝浦小学校の頃、防空壕で遊んだことがある。ただ中学生や高校生の秘密基地になっており、なかなか近寄れず、出口あたりから中をのぞき込む程度であった。

 ある時、町の中心部の小山の中にある防空壕跡近くで遊んでいると、白い煙が立ちこめ、パチパチというすごい音が聞こえてきた。あわてて見に行くと、洞窟の奥に真っ赤な火が見えた。「火事だ、まずは知らせないと」と思い、友達と必死で小山を駆け下り、10分ほどでいける消防署に走った。

 私たちは危ないからと、その後は山に入れず帰らされた。次の日、学校へ行くと校長室に来てほしいという。もうすでに噂になっており、校長室前には一杯の生徒たちが来ている。何と消防署長が来て、感謝状を渡したいとのこと。最初で最後の経験。校長室を出てくるとまるで英雄扱いであった。

 後で聞くと、もし通報がなければ隣接している民家も危なかったとのこと。火の後にはたばこの吸い殻などがあったらしく、近所の中学生か高校生が火を使用したと言っていた。一歩間違えれば今回のように誰かが死んでいたかもしれない。今はその小山は周囲に金網が張り巡らされ、立入禁止となっている。

 私の経験からすでに30数年も経っているのに痛ましい事件が起きた。何とも悔やまれる。防空壕はしっかりと整備して、戦争遺跡として残すべきだ。何もしないでほったらかすからこういうことになる。戦後、何も責任をとろうとしなかった国家や行政のあり方がここにも現れている。

コメントする

2012年4月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

このブログ記事について

このページは、つっさんが2005年4月16日 12:36に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「反戦講演会 終」です。

次のブログ記事は「よくわからないこと」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カウンター

累計:
本日:
昨日: