紀州連合の最近のブログ記事

平和の象徴「ナギ」」の神木

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 6月30日付朝日夕刊のコラム「窓」に、「沖縄は琉球王朝時代から和歌山県の熊野信仰と縁が深い。沖縄にある神社の多くは熊野三山の一つ、熊野速玉神社からの分社だ」とあった。はじめて知ってびっくりした。

 「この大社には、推定樹齢千年ともいわれるナギの神木があり、国の天然記念物に指定されている。ナギは「凪」に通じ、熊野古道を歩いてきた人々が道中の無事息災と現世安穏を祈って、その葉を持ち帰ったとされる平和の象徴」だそうだ。

 先月、「復帰40年にあわせ、ナギを沖縄と熊野をつなぐ平和の木として顕彰する式典があった」とのこと。熊野信仰はその特徴を、秩序より無秩序、混沌を尊び、つまりは自由を重んじ、老若男女、貴賤貧富の格差なく誰でもが参拝できる、つまりは平等という近代思想といわれる価値をすでに重んじていた。

 しかし、現実の沖縄は問題があるといわれる「オスプレイ」が配備されようとしており、拒否権はない。沖縄はいまだに差別格差の中にあり、事実上米軍の占領下にある。ナギの木が真に平和の象徴となるように、一歩でも二歩でも真の平和に向かってほしい。

 

 10月14付「当ブログ『コメント』についてのお詫び」で、これまでコメントを入力していただきながら、アップを失念していた件につきまして、お詫び申し上げましたが、その後、コメントを入力する際、サインインとパスワード等を求められる設定になっておりました。

 私としては、自由にコメントできるように、設定していたつもりでしたが、まだ更新されておらず、ご迷惑をおかけしました。深くお詫び申し上げます。今度こそ大丈夫と思います。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

補陀洛渡海

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 一昨日、昨日と残念ながら映ってなかったみたい。一昨日放映のあった補陀洛(ふだらく)寺は、補陀洛渡海で有名な寺。補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳だ。その極楽浄土を目指して、僧侶が生きたまま小舟に乗り込み、那智の浜を船出した。

 平安時代から江戸時代まで25人の僧が渡ったそう。テレビでも言っていたが、16世紀後半、金光坊(こんこうぼう)という僧が渡海に出たものの、途中で屋形から脱出して付近の島に上陸してしまい、たちまち捕らえられて海に投げ込まれるという事件が起こった。

 後にその島は「金光坊島(こんこぶじま)」とよばれるようになり、那智勝浦町の地図にも乗っている。もちろん、金光教の金光とは全く関係ないのではあるが、小さい頃から気になっていた。

 私が大学生くらいだったと思うが、井上靖がこの事件を小説化した『補陀洛渡海記』という本を教えてもらい読んだことがある。なかなか面白い小説で皆様もぜひ読んでみてください。江戸時代には住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという形に変化したようだ。

 那智の浜は現在は海水浴場となっている。小さい頃、お盆が過ぎて海に入ると御霊が足を引っ張るとよく言われていた。那智の浜の波打ち際に立ってみると何かスーッと吸い込まれそうになる感覚を覚える。また、日の出時分に行くとまさにその海の向こうに極楽浄土なる世界があるような景色。皆様もぜひ一度お越し下さい。

めはりずし・さんまずし

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先日の朝日新聞「食談議」というコーナーに「『故郷で美味しいものは一にめはり、二にさんま』。和歌山県新宮市出身の詩人・作家の佐藤春夫さんはこう語っていたという」との記事が出ていた。

そう、南紀名物のめはりずしとサンマずしだ。めはりずしは高菜を巻いたおにぎり。しょうゆだれで味付けがしてある。なぜ、「めはり」か。それは昔、紀州熊野の農家の方たちは、山々の畑仕事行くそのお昼の弁当に、大変大きく握って作っためはりずしを持っていったそうだ。
それを食べる時「目を見張るほど大きく口を開ける」ことがこの名の由来とされている。JRの電車の中、おみやげ屋さん、ホテルのお食事などなど、色んなところで食することができる。私の小学校の時の友人は、紀伊勝浦駅のほど近いところでずばり「めはり寿司 二代目」という店をやっている。

それから、サンマずし。これは北日本や関東にはない。それには理由がある。サンマは寒流にのって北から南下、房総半島沖をさらに紀州沖へと泳いでくる。関東辺りが一番脂がのったサンマ。それが紀州まで来ると脂がおちたサンマとなる。つまりダイエット済みのスマートなサンマゆえに押し寿司にぴったりの材料となるそうだ。

サンマずしは、今でも各家庭で作られているようで、一家庭一味とそれぞれ風味が違う。正月にご信者さんの手作りサンマずしがお供えになり、毎年楽しみである。結構沢山頂きありがたいことであるが、最近は子供たちがあっという間に食べてしまう。ぜひ、皆様も南紀に訪れ、お試しあれ。

ぶつぶつ川

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紀州勝浦の自慢は、水柱直下133メートル、日本一の長さを誇り、海からも遠望がきく、その美しさはまさに日本一の名滝である。私たちから見えるのは一の滝であり、二の滝、三の滝と何と48もの滝がある。

さて、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白を流れる二級河川である「ぶつぶつ川は、全長は13.5mで、同じ二級河川の北海道島牧郡島牧村を流れるホンベツ川(全長30m)や、準用河川の山形県最上郡真室川町を流れる東町塩野川(全長15m)を下回り、法で指定された河川としては日本最短である。

実はまだ見たことがないが、写真を見ると、農家の石垣の下を流れるどぶみたいで、とても川には見えない。水源は湧き水であり、地下水源から水が湧き出るときに、空気の泡がぶつぶつと出てくる様子から名前が付いたそうだ。今度正月に帰ったときに観に行こうと思っている。

中間の味

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東西で味や習慣に違いがあるのはよく知られている。卵焼きの味や、「きつねどん兵衛」のだし、お餅の形などである。その境目がどこにあるか。東西であるから日本を縦に切るとわがふるさと紀州勝浦付近もその境目となる。

『朝日新聞』によると紀州勝浦は、お餅は関東圏に同じく角餅、卵焼きは関西の薄味圏に入り、どん兵衛も関西だし。しかし、私の小さい頃、卵焼きは甘口だった。金光学園で岡山に住んだ時、卵焼きの味がおかしく、それはなぜか確かめたことをよく覚えている。しかし、勝浦の甘口は関東とも少し違う。中間の味なのだ。

このように、中間や境目で面白いのは、その地理的な位置と共に味も東西、左右のちょうど間をとっていることである。今はもうなくなってしまって非常に残念だが、教会のすぐ近くにあった「いずみ屋」のうどんのだし汁の色は、名古屋と大阪のちょうど中間の色であった。名古屋のきしめんなどは、東京より薄いが大阪よりは濃い。その名古屋と大阪のまた中間の色であった。

それから和歌山ラーメン。色々と和歌山ラーメン誕生の秘話があるが、そのスープは九州豚骨と関東醤油味を混ぜたちょうど中間の味。うどんのだし汁の色同様茶色の中間色だ。ただ残念なことに、うどんは讃岐や関西のうどん屋が出店してきて、昔ながらのお好み焼き屋さんや駄菓子屋さんとくっついたうどん屋さんがほとんどなくなってしまった。たかがうどんではあるが、中庸、中道の文化が消えていくのは寂しく、残念でならない。

シュロたわし

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 久々の紀州ネタで「たわし」の話題で申し訳ないが、今朝妻が「たわしの90パーセントが和歌山で作られているんだって」と呼ぶ。めったにテレビを見ない妻が珍しくNHKの「生活ほっとモーニング」を見てのこと。

 じっくりと見れなかったのが残念であるが、「シュロ」という木の皮の繊維でできている。ヤシやソテツに似た木で勝浦でもあちこちに生えている。あれからたわしができるとははじめて知った。和歌山県のなかでも野上町を中心とする野上谷は日本で最大のシュロたわしの産地で、密度のつまったよいたわしを作るために職人がひとつひとつ手作りをしている。

 この昔ながらのシュロたわしは一本一本の繊維が細く、水につけると柔らかくなるので、体まで洗えてしまう優れものだそうである。肌がつるつるになり、使うほどに味がでるシュロたわし、東京でも売っているかな。早速にほしくなった。

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