2010年2月アーカイブ

第37回沖縄遺骨収集に参加 4

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 午後からは、平地部分をさらに東に向かって進んだ。平地部分にも大岩や小さな壕が点在している。その一つ一つを丁寧に探しながら進む。しかし、その日は残念ながらご遺骨の発見には至らなかった。まだ体が馴れておらず、節々が痛くなり、動きが緩慢になる。

 機動班によると、明日も同じこの場所とのこと。夕刻4時が迫ったので全員に集合をかけ、第1日は撤収することにした。学院同期の甘木教会の安武光先生が所属する3班は、1班の場所からさらに東の方向での作業。多くの骨片が出たとのことであった。

 第1日夜は関口さんらもお疲れのとことと思い、夕食はエッカホテルでとり、第2日に備えて早めに休んだ。天気予報ではなんと最高気温が24度まであがるとのこと。いよいよ沖縄らしくなり、暑くなりそうだ。

 第2日も快晴。海が一層青い。今日は同じ場所に地元元気な沖縄隊の4班と、ベテランのアメリカ人二人が合流、気合いが入る。わが班が昨日も入ったことから1班の班長である私がなんと指示を出す。まずは全員で御祈念を頂いて、昨日と同じ道を降りた。

 今日は昨日とは逆に、摩文仁に向かって西へと進む。進むやすぐのところに大きな壕や大岩、大石が現れ、みんな必死で捜索する。私はちょうど途中の平地からさらに海岸線へと崖になっている上際を進むが、危なくてなかなかまともに前に進めない。

 そこに黒アゲハチョウが現れた。これまで何度も書いてきたが、沖縄では御霊が黒アゲハチョウに宿って戻ってくるという。私も経験したが、沖縄遺骨収集では何度もこの黒アゲハチョウの進む方向にご遺骨が発見されてきた。

 私はその黒アゲハチョウの向かったところに進もうとするが、とても上からは行けそうにない。何とか途中までは頑張ってみたがこれ以上はどうするか迷った。班の本隊とは結構離れたようだ。内心ご無礼を詫び、人が歩いてできた人道に一端は戻った。

 そこに東京から一緒の嶋田先生が戻ってきた。私が「そっちの方向に黒アゲハチョウが飛んでいったから必ずあるはず」と言ったが、昼も近いので一端は戻るとのことで、私は先がどうなっているか見るために少し進むことにした。

 すると黒アゲハチョウが現れた方向から1班の機動班の橋本さんがやってきて、ご遺骨発見とのこと。4班の機動班の方が探し当て、結構出ているので応援を頼むとのこと。私は笛を吹きながらみんなに合図しながら、またしても黒アゲハチョウのお導きと畏れ入った。

 嶋田先生を呼び戻すとなんと人が通ってできた道のところから出てきているとのとこ。さっき嶋田先生は、そこを足場にして小さい穴のところを掘っていたとのことで全然気がつかなかったと。ここは4班の班長も事前調査で何度も通っていた場所で、「まさかあるとは思わなかった」と。嶋田先生がわからなかったのは無理もない。多くの人が踏み歩いていたところだ。 

 12時も迫ったのでまずは、拠点とした荷物を置いている場所まで戻って1班、2班みんなで昼食をとった。見晴らしが悪く弁当を食べる場所としては最悪だが、ご遺骨発見の報に活気づいた。

 午後からは早速に女性陣達がしゃがみ込んでの丁寧に石や土を取り除いていく。そして次々と大腿骨、骨盤、肋骨、頭骨の一部などを彫り上げていく。あごや歯も出てきた。これは確実に一人の人だと思う。爪切りや小刀も出てきた。大腿骨の大きさから私は女性ではないかと想像した。(つづく)

第37回沖縄遺骨収集に参加 2

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いよいよ出発。海に向かって2、3分歩くとすぐに私たちの背丈より高いサトウキビや雑木、雑草が生い茂っている。名古屋から一般参加のYさんが、昨日から入って道なき道に道をつけてくださり、ビニールテープを断崖下の海岸までしいて下さっている。毎年毎年単独での作業、頭が下がる。感謝、感謝である。

 まずは断崖を一度降りるとやや平地のところがあり、そこからまた海岸に向かって崖を降りていく。女性はその途中の平地のところまでおり、男性陣は一旦下まで降りて上へと捜索することとした。

 最初の雑木地域を10分ほど歩く。そこからは断崖を降りていく。さすがに関口さんはスムーズには降りられない。男性3人が前後、間に入って安全を確保しながら降りていく。30分ほどで平地のところまで無事降りた。

 Yさんの説明によると、海からは艦砲射撃、陸からは戦車が迫る。しかし、この平地までは戦車が入れないので、上から海兵隊の機関銃、下からも機関銃で追い込まれたであろう。その両方から身を隠せるようなところにご遺骨がある可能性が高いとのこと。また、この一体は、以前にもふれた最後の県知事島田氏入った最後の壕がある付近だという。

 女性陣は早速にここから西に向かって捜索を開始。私たちは、そこから10分ほどの海岸まで一旦降りた。そこから上を見上げると本当に真っ逆さまという感じだ。現在は木々が生い茂っているが、当時は艦砲射撃で丸裸だったそう。あちこちに艦砲射撃の後があるが、岩石むき出しの景色は想像を絶する。

 海岸線から上へ、上へと捜索開始。急なところに雑木、雑草が生い茂り、なかなか進めない。林先生の「焦らず、ゆっくり、ゆっくり」のお言葉をいただき、丁寧に、丁寧に目をこらしながら進む。時々岩下や小さな穴のところを掘り返しす。早いもので12時も迫った頃に、前橋から参加の土居先生が人間が5人ほど入れる壕を発見し、中で掘っている。

 そこには白い2本線の入った茶碗のかけらもあった。ただ新しいので当時のものかどうか迷った。しばらくは掘ってみたが、なにせ今回はスコップを持ってきてない。12時も迫ってきたので、ある程度掘ったところで壕を出て、一旦海岸線に降りた。

 男性陣はほとんど戻ってきており、みんな苦戦とのこと。あまりの急な岸壁で東側には下からは回れないとのこと。女性陣と機動班の方が数カ所壕を発見したとのことで、午後からは女性陣と合流して作業を進めることとして昼食にした。(つづく)

第37回沖縄遺骨収集に参加 1

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 本年も19日から22日かけて、3泊4日の沖縄遺骨収集、万事にご都合お繰り合わせをいただき、無事に終えた。今年も数多くの不思議な体験をさせていただき、誠にありがたい4日間であった。またしばらく活動の様子を連載したい。

 19日早朝5時に目が覚める。息子がごそごそと何かしている。実は小金井市消防団の旅行で同じ沖縄に行く息子が、羽田8時代の飛行機に乗るために早くも行動開始。聞くと昨日寮で学生会があり、そのまま徹夜して起きているとのこと。若さがうらやましい。

 息子は国分寺5時30分の羽田行きバス、私は6時のバスに乗った。バスに荷物を預け、財布をとろうとしたときに首に掛かっているはずの携帯がない。何といつも何か一つ忘れるが今度は大事な携帯だった。しかしどうしようもない。まあ、何とかなるとバスに乗り込んだ。

 バスは順調に羽田に向かい、8時15分頃には羽田に着いた。一緒の飛行機は年配のA子さんとS君とHさん、そしてOさんご夫妻。A子さんは携帯を持っていないので少し心配していたが、すぐに出会えた。集合時間の8時50分にはスムーズにみんな揃った。

 金曜日と朝というのに人が多い。他の団体の添乗員の人が驚いているのだから普通ではないのだろう。早めに検査口へ。余裕を持って搭乗。飛行機も予定通りフライトし、那覇に12時すぎに降り立った。レンタカーを借りていざ出発。    

 今年は、国内唯一の地上戦のあった日米戦闘箇所を回ろうと思い、米軍が上陸して最初の激戦地となった嘉数高地に向かった。ここでもいつになく車が多い。結構時間がかかり嘉数高台公園に到着、いま問題となっている普天間基地を一望できるとあって観光客を大勢来ていた。

 昨年もそうだったが、基地の滑走路に米軍機の姿はなく、飛んでもいない。これまで普天間2回、嘉手納基地に2回訪れたが、なぜかいまだに米軍機が飛んだところを見ていない。自衛隊機はばんばん飛んでいるのだが。

 昼もだいぶ回ってしまったので、ガイドブックに載っている地元の家庭料理屋を目指したが、目的に付近までは来ているのだが見つからない。仕方なく宜野湾市役所隣にある沖縄そば食道に入ってソーキそばを頂いた。入っている豚肉の骨までやわらかく、食べられることに驚いた。

 その後、金光教那覇教会に参拝。万事のお繰り合わせをお届けさせていただき、ふりかえると続々と明日の参加者の方が参拝にやってきた。九州や伊勢方面からの参加者だ。そこで全体リーダー格のOさんやSさんと出会い、夕食は期間中みんなが必ず一度は出会う国際通りと一銀通り交差しているところにある「あんつく」に合流させていただいた。(つづく)

第37回沖縄遺骨収集へ

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 20日、21日に沖縄糸満市摩文仁で行われる第37回沖縄遺骨収集に参加します。今回わがグループは、初参加者2人、久しぶりの2回目参加3人と私の6人。今年もまた沖縄でフル活動したいので、明日の朝9時の飛行機で出発し、22日午後7時の那覇発の飛行機で戻る予定にしております。

 明日19日は、まず米軍が沖縄に上陸して初めて日本軍と戦闘のあった嘉数高地に行き、その後日本軍が後退した前田高地、首里城とまわってみたい。嘉数高地は現在問題となっている普天間基地が一望できる高台で、よくここからの映像がニュースに使われています。

 20日、21日と遺骨収集に参加させていただき、22日は、首里に司令部を置いていた日本軍が首里を放棄して、沖縄の民衆を巻き込みながら撤退した退路にある南風原陸軍病院、南風原文化センター、冨盛の大獅子、沖縄陸軍病院第三外科壕があるひめゆりの塔、そしてもし壕の中での作業がなかった場合は、轟の壕、海軍司令部壕等にまわってみたいと考えています。

 道中、滞在中、けが、過ちなきよう、心身健康、身の上安全、交通機関に支障なきよう、無事安全、交通安全のおかげを蒙り、万事にご都合お繰り合わせを頂いて、御用成就できますよう願っております。

高円寺駅で女性救出される

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 先日の月曜日、東京学生寮運営委員会が無事終わり、委員懇親の場を持った。明日教区委員会が控えているので早めに解散し、所長と二人みぞれの中、御茶ノ水駅から中央線に乗った。四谷まで来ると、車掌が「高円寺駅で人身事故発生、お急ぎの方は総武線にお回り下さい」と。

 私、「キャー」である。誠にご無礼ながら事故のことよりも、何とも委員懇親会を早めに切り上げたにもかかわらず、総武線終点の三鷹駅ホーム、ごった返す人混みの中で寒風にさらされながら、最低1時間は待つだろうことを最初に思ってしまった。この時期駅のホームは本当に寒い。いつ動くかもわからないから、ホームでただただ待つしかないのだ。

 所長は高円寺だから問題はないが、武蔵小金井は三鷹からまだ先。息子は小金井で、娘は国分寺でそれぞれバイトとのこと。雨なので女房は娘を車で迎えに行く時間と重なる。三鷹まで反対方向であるし、よう来ないであろうと思っていたら中央線運転再開(^_^)v。ちょうど娘のバイトが終わる時間にも間に合い、国分寺から車で帰ることができた。

 次の朝、テレビをつけるとなんと高円寺駅、奇跡の救出劇との活字が見えた。20歳の女性が酔って線路に転落し、それを20代の男性がホームへおりて間一髪は助けたとのこと。それも間に合わないと判断した男性は、女性をレールの間の線路中央、縦に仰向けにして寝かせ、自分はホームの下へと避難したという。

 女性はなんと電車が上を通って停止してから目が覚めた。気がついたら電車の下だった。直後にその男性に「私は死ぬところだったのね」と問いかけたという。電車との隙間は30センチしかなく、横向きならアウト。また、もし電車が来る前に気がついて顔を上げようもんならおじゃんだった。

 それより何よりも、反対の電車に乗っていたその男性のとっさの判断がなければ助からなかった。何重もの奇跡が重なり、いのちをつないだのである。そういうことが起きていることをつゆ知らず、私も大変なおかけを蒙っておりながら、まずは最初に自分のことしか考えていなかったことと、その後のことを全く気にかけていなかったことをまずはお詫び申し上げた。

 もし自分がその場に居合わせたら、同じ行動に出られたかどうか自問自答する。いつもごった返すホームで危ないと感じ、いつ自分事になってもおかしくないのだ。道中の無事安全、交通安全を願う御祈念にも力が入る毎日である。

「宗教者の平和責任」特別講演

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 昨日は、「宗教者九条の和」主催の下記の特別講演会が東京都港区青山の「梅窓院・祖師堂」で開催された。以下に講演概要と本教から「講演者との応答」として登壇した田中元雄先生が述べられた発言の概要を記す。

講演 宗教者の平和責任 ~核廃絶に向けて~
スティーブン・リーパー(広島平和文化センター理事長)

 日本の皆様は裕福で危機感を感じてない。しかし、世界は未曾有の危機を迎えている。本日はその現状認識とどうすれば解決に向かうかについて核廃絶問題を視点にお話しする。

 核拡散防止条約(NPT)は、中国が核を保有したときにこれ以上核保有国を増やさないために、核軍縮を目的にした条約で1970年に発効した。その第6条で「誠実に核軍縮交渉を行う義務」と規定しており、核の廃絶を約束している。しかし、25年間の期限付きで導入されたため、発効から25年目にあたる1995年にNPTの再検討・延長会議が開催され、条約の無条件、無期限延長が決定された。そこでその後5年ごとの再検討会議を開催することが決められた。

 そして2000年には、明確にすべての核兵器の廃絶を約束したが、その5年後の2005年は9.11テロ事件の勃発により、約束が無効になり失敗に終わった。今年の5月はちょうどその5年後であり、正念場の会議となる。当初はオバマ大統領の登場で成功するのではないかと楽観視されたが、最近のNGOたちは「失敗するのでは」と疑念を抱いている。それはイランとアメリカが緊張し、イランが核を保有することになるとサウジアラビアが必ず核をもつことになる。イスラム教のスンニ派とシーア派の対立の影響で必ずそうなり、中東の盟主エジプトも続くのは確実である。

 現在の危機は、ヨーロッパから続いてきた1000年の白人支配の最後のアメリカ中心社会が終わろうとしているからである。かつて世界の覇者イギリス帝国が終わった後に第1次、第2次世界大戦があった。現在は戦後ではなく、第3次世界大戦の戦前である。さらに安価なオイル100円時代が終わり、オイルばかりではなく水、土地などあらゆる資源が奪い合いになる激しい競争時代を迎える。貧富の格差はますます拡がるであろう。地球の半分は毎日200円以下の生活を強いられ、その半分は100円以下、3.6ごとに餓えで人が亡くなっている。世界を秩序立てるパワーが緩み、貧しい国や地域ではテロが多発する。環境は破壊されこのままではこの地球上に住めなくなってしまうのだ。

 この問題をどう解決していくかについて二つの道がある。それは暴力による解決か、話し合いによる平和解決かである。自分のことや自分の国のことしか考えないあり方は必ず失敗するであろう。我々の生き方を愛をもって真剣に変えなければならない。戦争文化から卒業して平和の文化を創らなければならない。それを決めるのが今年の5月、人間は核兵器を使うか、廃絶するかだ。核兵器廃絶は9人のリーダーが決断すればいい。簡単なのだ。CO2削減は全人類が取り組まなければなかなか進まない。
 
 皆さん、1935年の日本人になって考えれば、よく理解できると思う。日本はアジアの中で一番裕福で強い国であった。今私が話しているように10年後、経済はゼロになり、都市が破壊され、草を食べるようになったと言っても誰も信じないであろう。しかし、可能性はある。

 この未曾有の危機の克服には、日本が一番大事である。幸いなことにオバマ政権が誕生した。全面的に頼ることはできないが支持しなければならない。オバマが変わればもっとダメなリーダーが出るであろう。オバマを強くするために日本がサポートし、そして外圧をかけなければならない。世界の平和文化のリーダー、ヒーローになってほしい。

 なぜ暴力に頼ろうとするか、それは核の傘や抑止論をいまだに信じているからである。しかし、国も何も持たないテロ集団は全く復讐を恐れていない。そこに抑止が働くわけもない。もう一つは軍事産業によって儲けている一部の人間たちとそれに支配されている人々がいるということだ。これを変えていくためには草の根の下からの運動でしかない。

 その時の宗教者の役割が絶大なものがある。日本の宗教者は平和運動を趣味でやっているようにも見える。ガンジーやキング牧師のように真剣に取り組んでほしい。幸い宗教者は死んだ後も保証されている。死ぬ気で、「暴力と戦争は絶対に許さない」、「核兵器を絶対に廃絶する」と一致協力して声を大にして発信していただきたい。そして毎晩平和を祈ってほしい。

東京学生寮2月月例祭・食事会 3

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 人間は自身の力を過信し、自らの欲望を満たすためにより自由な道を進んできた。その結果、地球環境が破壊され、人類全体が生き延びる道を閉ざす方向へと突き進んできた。そうした自由から自由にならなければならない。

 自由といえば、徳川中期の三浦梅園という方は、「蛇に足がないのは、不自由に思えるかもしれないが、それは、人間が習慣的に身につけた考えのせいだ。蛇の身になって考えれば、足を用いて歩かなければならない人間の方が不自由ではないか」と言ったそう。まさに立場を入れ替えての思考から生まれた興味深い考え方だ。

 実はわが教祖金光大神様も、その意味でものすごい方であった。先程神前拝詞で「氏子ありての神、神ありての氏子、あいよかけよで立ち行く」とお唱えしたが、神様があっての人間は普通であるが、人間あっての神様という考え方を示したのは古今東西教祖様が初めてであろう。江戸時代後半の教祖様の教えは、これまでの常識を覆した考え方が多い。

 以上のように「本然のいのちが承服」していくには、「全身開放」、身体で感じていくと同時に常に本当のものを問い続けていくこと、この二つが肝要ではないかと思う。頭で考えるだけでは行き詰まりやすい。人間は放っておくと色々いらんことを考えてしまうので、時々全身開放して頭を空っぽにする。皆様も今までにない自分なりの新しい発見を目指し、日々を大切に、本当のよろこび、本然のいのちが承服していく生き方を進めていってもらいたい。
 
 その後、今回は中国からの女性留学生KさんとOさんによる回鍋肉、麻婆豆腐、キュウリの春雨。韓国の男性留学生Pさんによる海苔巻き。手作りの中華料理は独特のお味が出て非常に美味。韓国の海苔巻きは、日本のと似ているようで少し違う。いろんな具を使い、ごま油ベースのこれまた本当においしい。楽しいひととき、感謝、感謝である。(おわり)

東京学生寮2月月例祭・食事会 2

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 「本然のいのちが承服する」方法の二つめとして、身体で感じると同時に、私は頭で考えるということも大事だと思う。高橋一郎先生は直接は書いてなかったと思うが、本当の○○とは何か、本物は何かと問い続けられた。ある時、もうその問うこと自体が「本然のいのちが承服する」あり方ではないかとある時ハッと気がついた。
 
 つまり、自明と思われている概念、常識、固定観念、思いこみをとりあえず疑ってみる。そして上から見たり、下から見たり、ひっくり返して見たり、考えたりして、そこに自分なりの新しい発見をしていく。

 例えば、経済。資本主義経済、共産主義経済、市場原理主義経済、新自由主義経済と色々な理論をもって説かれている。しかし、一定条件が崩壊するとセオリーでなくなってしまう。昨年からサブプライムローンという経済的信用度の低い層を対象としたアメリカの住宅ローンのことをよく聞いたと思う。

 この信用不安が2007年のアメリカ・ヨーロッパ・日本市場において株価の急落につながったのは、サブプライムローンが貸付債権として証券化され、金融商品として国際的に販売されていたことによる。つまり、実体商品が値崩れしているにもかかわらず、架空の証券が世界中に乱発されたのが原因だ。何とも始末が悪い。

 一体全体、本当の経済はどうなっているかを問い、産業構造が変化していることに気がつかなければならない。つまり、これまで考えられてきた枠組みから自由にならなければならない。私が常々言っている「真の自由とは」について、私たちが考えている自明の自由から自由にならなければならないのだ(つづく)

東京学生寮2月月例祭・食事会 1

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 去る7日は、東京学生寮月例祭を滞りなく仕えさせていただいた。教話は概要以下の通り。

 現在日本は、戦争もなく内戦もなく、物はあふれている。イギリスの調査では、日本人の「幸福度」は178国中なんと90位。先が見えない閉塞感から、将来に不安を感じでいる。その中で皆さん自身がどうあればよいか。 

 先師高橋一郎先生は、脳腫瘍の病気で三度の手術をして闘病、今の私と同じ年の51歳に亡くなられた。先生は、生きるとはどういうことか? ほんとうの幸せ・幸福とは? ほんとうの喜びとは何か? を問い続けられ、それは、「本然のいのちが承服する」生き方と示された。

 この「本然のいのちが承服する」とはどういうことか、どうすればよいかについて二つの方法について私なりに考えているところをお話しする。まず一つは、生きていることを実感していく。「全身解放」して身体で感じていくこと。人生の中で一番嬉しかったこと、楽しかったこと、恥ずかしかったこと、びっくりしたこと、驚いたこと、逆に辛かったこと 悲しかったこと、くやしかったことなどを振り返ってみて、その時の心持ちを大事にする。

(ここで私自身のびっくりしたこと、恥ずかしかったこと、驚いたことを聞いてもらう)

 「全身開放」とは、元曹洞宗管長の板橋興宗師が仰っている。「良寛さんが五合庵で暮らしているときに、子どもたちが遊びに来て『良寛さーん』と呼んだ。すると良寛さんは『はーい』と答える。その答えが面白いので、子どもたちはまた『良寛さーん』と呼ぶ。良寛さんは『はーい』と答える。何度呼ばれても良寛さんは同じように返事をしたそう」。

 私も寮監(りょうかん)だが、私ならあまり何度も呼ばれると「うるさいな、あっちいって遊んでおれ」となる。
 
 板橋師は、「(普通の人間は)、つい頭の中で『これから部屋の整理をしなければならない』などと違うことを考えるからだ。ところが良寛さんは余計なことを考えていない。このように頭の中でいろいろ考えて解釈するのではなく、与えられた刺激に素直に反応するのが『全身開放だ』」と。

 この「全身開放」のあり方に「本然のいのちが承服する」生き方につながる一つのヒントがあると思う。(つづく)

本物の伝統文化

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 相撲界は理事選挙と朝青龍問題で大変である。朝青龍問題はもっとどうにかならなかったかと思うが、何ともしょうがない。理事選挙、これを伝統文化か現在の常識かというような単純な構図にしているから面白くない。
 
 伝統文化や徒弟制度そのものが悪しき慣習のように思わされ、ますます軽佻浮薄な世の中へとなってしまうのではないか。もちろん公職選挙法という現代のルールはそれをきちんと遂行しなければならない。しかし、それは相撲道を未来に発展させていくものであり、つまり真の伝統文化として次世代につないでいくためのものであろう。

 他にも例えば、伊勢神宮では20年に1回、神殿をすべて取り壊して新しいものに作り替える。これを現在の常識からみれば、「新しい物好きの日本人と関係あるのではないか」とか、「何年も保つのにお金がかかるではないか」とか、「環境問題からよろしくないのでは」との意見がでる。しかし、これは20年というところに着目しなければならないのだ。

 春日大社権宮司の岡本彰夫氏によると金銭や物の耐久性の問題ではなく、技の継承がからんでいるのだそうだ。つまり、20歳の息子、40歳の父親、60歳の祖父という3代でつないでいく。これが10年なら短すぎるし、30年だと間隔が開きすぎてうまく伝わらない。

 このように何でも近代で伝統や慣習を切っていいものではないのだ。要は私たちは何を先代から受け継ぎ、何を後世に伝えるのか。表面上の事柄ではなく、その本当のもの、本物を見極めなければならないと思う。
 
 今日は夜7時から東京学生寮2月の月例祭で、今回も私が祭主と教話の御用をさせていただく。お話は前回触れた「本然のいのちが承服する」ということは、様々な事柄に「本当はどうなのか?」、「本当の○○はどこに?」と問うこと自体にあるのでは、について、また別の観点から話してみたいと考えている。

「本然の生命そのものが承服する」

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 先師の高橋一郎先生は、『金光教の本質について』で「ほんとうの幸福」とは何か、「ほんとうの喜び」とは何かについて、それは「本然のいのちそのものが承服する」ということと表現をされている。一郎先生の論はかなり理屈ぽくて、ここでいう「ほんとうの幸福」、「ほんとうの喜び」とはどういう喜びかについてよくわからなかった。

 喜ぶということについては、その漢字だけでも「喜ぶ」「悦ぶ」「歓ぶ」「慶ぶ」と4つある。熟語になると「歓喜」「随喜」「狂喜」「満悦」「大悦」「感悦」「喜悦」「愉悦」「恐悦」「悦喜」と限りない。4字熟語となると「欣喜雀躍」がある。中日ドラゴンズか優勝したときの欣喜雀躍の喜びはよくわかるのだが。 

 これだけ違う表現があるのだから、それぞれの喜び方や意味合いがあるだろう。そのすべてがほんとうの喜びではあるが、さて、どの喜び方をもってほんとうの喜び、「本然のいのちが承服する」ことになるかというとどれも言い得てないようにも思う。

 自分自身を振り返ってみると、最近は自身のことで喜ぶということはあまりなく、たとえば息子が野球で大活躍してまわりの方からほめられた時、あるいは先日妻の誕生日に、娘が自分が初めてバイトしたお金で誕生日祝いを買ってきて渡したところを見た時や、何とその数時間後に今度は息子が誕生日祝いを持って帰ってきて、妻がもううるうると感動している姿を見た時などは無上の喜びを確かに感じた。

 そのようなことを考えていると、ふと「あ、そうか!」、神様も同じように氏子らが喜んでいる姿を見て、喜んでいるんだとここで改めて気がついた。そうかこの瞬間が、つまり神様も喜んでくださっていると感じ入ったときが本然のいのちが喜んでいることになり、「承服」していることではないかと思ったようなことである。

 なるほど一郎先生のいう「自分一人だけのことを考えず、つねに自他をこめての全体の立行き立栄えることのために生命をかけている人間、行為、生活の事実に接したときは、人という人みなが、心を打たれるのである」、「自分のために他を利用するのでもなく、他のために自分を犠牲にするのでもなく、自他もろともに、天地人生の全体が生きがいを感じて幸福でありうるような世界を、生命は心の底から願っている」ということ、そのことこそが神様の願いであるということをわからせていただいた。

 この「本然の生命が承服」する生き方を実践し、家族から友人、寮生、信奉者、町会の人々から世界人類に至るまでその全体を願う生き方をさせていただき、ほんとうの喜びを分かち合い、神様にも喜んでもらいたいと切に願っている今日この頃である。

もっとも心が痛む3つの犯罪

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 私がもっとも嫌い、起きるたびに心が痛む犯罪が3つある。子どもの虐待殺人と危険運転致死、そしてもう一つが詐欺だ。もちろんすべての犯罪行為は許されない。しかし、この3つは特に強く憤りを感じる。ここのところこれが立て続けに起きた。

 江戸川の小学校1年生の子の事件は、学校や区の支援センターが問題を把握していたにもかかわらず防げなかった。2004年に児童福祉法が改正され、子ども支援センターが設立されたが機能していないとの問題指摘があり、もはや親には任せてられないとの社説もある。情けない限りだ。

 また、居酒屋で乾杯した直後に車に突っ込まれ亡くなった事件。まさか居酒屋で飲んでいて、車に轢かれて死ぬとは誰が思うであろうか。そして名古屋では歩道を歩いているだけで車に突っ込まれ、3人が亡くなった。同乗者全員が逃走という信じられない事件だ。

 いたいけな子どもを殺してしまう。何の関係もない人を突然死に追いやってしまう。人の道にもとる犬畜生ではないか。3番目の詐欺による連続殺人事件はもちろんではあるが、善良な弱者を騙すという全くさもしい、恥ずかしい行為を平気でやっていることにも腹が立つ。特に亡くなった方やその遺族の方の立ち行きをどう願えばよいのか。すべて人間としての最低限のあり方に問題がある。神様への最大のご無礼だと思う。

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