第37回沖縄遺骨収集に参加 2

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いよいよ出発。海に向かって2、3分歩くとすぐに私たちの背丈より高いサトウキビや雑木、雑草が生い茂っている。名古屋から一般参加のYさんが、昨日から入って道なき道に道をつけてくださり、ビニールテープを断崖下の海岸までしいて下さっている。毎年毎年単独での作業、頭が下がる。感謝、感謝である。

 まずは断崖を一度降りるとやや平地のところがあり、そこからまた海岸に向かって崖を降りていく。女性はその途中の平地のところまでおり、男性陣は一旦下まで降りて上へと捜索することとした。

 最初の雑木地域を10分ほど歩く。そこからは断崖を降りていく。さすがに関口さんはスムーズには降りられない。男性3人が前後、間に入って安全を確保しながら降りていく。30分ほどで平地のところまで無事降りた。

 Yさんの説明によると、海からは艦砲射撃、陸からは戦車が迫る。しかし、この平地までは戦車が入れないので、上から海兵隊の機関銃、下からも機関銃で追い込まれたであろう。その両方から身を隠せるようなところにご遺骨がある可能性が高いとのこと。また、この一体は、以前にもふれた最後の県知事島田氏入った最後の壕がある付近だという。

 女性陣は早速にここから西に向かって捜索を開始。私たちは、そこから10分ほどの海岸まで一旦降りた。そこから上を見上げると本当に真っ逆さまという感じだ。現在は木々が生い茂っているが、当時は艦砲射撃で丸裸だったそう。あちこちに艦砲射撃の後があるが、岩石むき出しの景色は想像を絶する。

 海岸線から上へ、上へと捜索開始。急なところに雑木、雑草が生い茂り、なかなか進めない。林先生の「焦らず、ゆっくり、ゆっくり」のお言葉をいただき、丁寧に、丁寧に目をこらしながら進む。時々岩下や小さな穴のところを掘り返しす。早いもので12時も迫った頃に、前橋から参加の土居先生が人間が5人ほど入れる壕を発見し、中で掘っている。

 そこには白い2本線の入った茶碗のかけらもあった。ただ新しいので当時のものかどうか迷った。しばらくは掘ってみたが、なにせ今回はスコップを持ってきてない。12時も迫ってきたので、ある程度掘ったところで壕を出て、一旦海岸線に降りた。

 男性陣はほとんど戻ってきており、みんな苦戦とのこと。あまりの急な岸壁で東側には下からは回れないとのこと。女性陣と機動班の方が数カ所壕を発見したとのことで、午後からは女性陣と合流して作業を進めることとして昼食にした。(つづく)

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このページは、つっさんが2010年2月25日 18:44に書いたブログ記事です。

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