2010年12月アーカイブ

 本日、車で勝浦教会に帰省します。帰りは4日早朝を予定しています。今年は東京学生寮創立100周年の年、様々な行事も無事開催させていただきました。

 いろいろなことがありましたが、ここまで一同元気で、万事にご都合、お繰り合わせをいただきました。関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。

 来年は、創立200周年に向けて、新たな一歩を踏み出す年、改めて気を引き締めてまいりたいと願っております。皆さまも、よいお年をお迎えになりますよう、心からお祈り申し上げます。

 そのようなことで、4日くらいまで当ブログお休みさせていただきます。

 

 

 さっき届いた今朝の『朝日新聞』1面、「オバマ氏の広島・長崎訪問、米国での賛成51%」との記事があった。この数字をどう見るか。ともあれ半分以上「しない方がよい」の36%を上回ったのは、まずはと喜ばしいことだと思う。

 記事は続いて、原爆投下については「やむを得なかった」55%、「間違いだった」34%だったが、「やむを得なかった」という人の中でみても、大統領の訪問は賛成が44%が反対39%を上回ったとある。

 記憶が定かではないが、原爆投下について「やむを得なかった」と思う方はかなり減って、「間違いだった」と思う方が増えているのではと思う。アメリカと日本、あるいはアメリカ人と日本人という視点での歴史認識では、まさにこういう結果になっても仕方がない。

 しかし、全人類としての歴史認識、未来へ向けての教訓とするならば、原爆投下はもちろんのこと、戦争は違法であり、悪であり、間違っているとの認識が全世界の人々の共通正義として共有していってもらいたい。

 同新聞のトップ記事は、「新核軍縮条約発効へ」とある。オバマ米大統領には、世界平和に向けて頑張ってもらいたいし、是非とも広島、長崎へ来ていただきたい。さらにアメリカ国民の意識も変わるのではと期待している。

時空を超えて助けてくださる師匠

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 今から6年前、ある難儀でオロオロとうろたえていた時に、金光新聞東京支局でふと手に取った教会長信行会講話記録『神願を生きる』(2004〈平成16〉年12月刊行)に助けられた。それには、わが師匠井手美知雄先生の「生き神の道をたどる」という講話があった。その中の特に次の文章である。

 「『山寒うして花の発(ひら)くこと遅し』という、茶掛けの名言があります。山里は春の訪れが遅く花の開くのも遅いが、しかし春は必ず訪れる。そして、深い雪が消えると、一斉に花を開き、人々を心ゆくまで楽しませます。人間も同じようなもので、時至って人格が出来上がれば実に見事であり、人々に生きる喜びを与える。しかし、なかなかスパッと助かっていかない。それは、一人一人には、わが心が開かれるのに、絶対時間とでもいうものがあるからである。三日で気付く人もあれば、何十年もかかる人もいます。その人が本物になっていく時間です。その長い短いが重要なものではなくて、その時間を神様から持たせてもらうことができたということが、大事なわけです。」

  状況に追いつけず、冷静さを欠いていたとき、この文章で落ち着きを取り戻し、だんだんに、だんだんに、まさに薄紙をはぐように、氷が次第に溶けていくようなおかげをいただいた。

 それから、つい最近のことであるが、午前中東京センターで御用している時にある方から電話がかかり、その容易ならぬ内容にとらわれ、夕方頃まで御用が御用にならなかったことがあった。

 気分転換にと東京センターの本棚を眺めていると、昨年開かれた教会長信行会の記録『結界取次の充実と助かりの実現』が目に入った。この本は教会には配布されていると思うが、寮にいる私はうかつにもこの記録本の存在を知らなかった。

 あ、これはまたわが師匠井手美知雄先生が講師であったと思い出し、読み始めた。そして次の文章で、またまた落ち着きを取り戻し、敢然と腹が据わった思いにさせていただいた。

 「通常、人は何かをつかもう、つかもうとします。解決したい、手にいれたい、立派でありたい。つかもうとするんです。そういう考え方、身の処し方をします。それらは限界があります。そういう考え方がゆるゆるほどけて溶けていって、『一切構わない』という世界が出てくる。」

 これは師匠の教会の結界取次でなかなかおかげにならない時に、神様にお詫びばかり申していたときのことだ。師匠が次のように悟られた。

  「しかし、ある時かつ然として、申し訳ないとか、辛いとか、それは余裕じゃないのか。自分がかわいいだけ。自分が暗くなるから、よしよしと頭をなでて慰めてもらいたいだけ。その人のことをいよいよ祈っていけ。そういうことがなくて、ご無礼ですとか、お粗末ですとか、不行き届きとか、そつなく言っているだけ。お前さんは、手順手続きの慣用句を言っているだけ。そう言って、神の辛さに追い打ちをかけているだけ。それを神が寂しく思う。神様は、委細承知、先刻ご承知、まるまる抱きかかえて下さる」と響いたそうである。

 また、その頃ご祈念で神前拝詞を百巻以上あげることを修行のつもりでしていたが、それがノルマとなり、苦しくなり、一切やめたそう。つまりは神様が先刻すべて知っているから。祈りとか修行は赤ちゃんのように素直になることであり、「どうともしてくださいというほどのことで、何かを与えてくださいというより、力をよみがえらせてくれる、そこに神様が力を貸してくださるのだと思います」という文章に先の文章が続くのだ。

 「神様はすべてご承知であるから、とらわれるな」ということであると思う。師匠ほどには到底いかないが、この文章を読ませていただき、私もかつ然と目を見開かされた思いがし、助けていただいた。

 常識でいえば、難儀が降りかかったときにたまたま師匠が出ている本を手に取ったということになる。しかし、二回も偶然が重なることは、これはもう信心の世界ではまさに師匠が時空を超えて助けにお出ましいただいたと確信している。信心の世界に偶然はないことを改めて実感した。

 この二つの講演は、素晴らしいご内容がある。各教会や金光図書館に行けばあると思うので、他の先生共々お読みいただきたい。 

 先日、東京学生寮リフォーム大改修についての業者との打ち合わせ、4、5人の方が来られると思ったら、なんとびっくり、車7,8台で約20人弱の方々が来寮された。セキスイハウス担当者をはじめ、清掃、塗装、配管、内装、屋根、外構等々の専門業者の方々である。

 会場となる集会室のイスをあわてて増やし、打ち合わせの会議を持った。1月6日に足場を組みはじめ、全部の完了が3月20日となる。この間のセキュリティや作業工程など細かいところを確認した。

 また、この間洗濯物干しに関わるベランダの使用や共同玄関の出入り、集会室の使用、水道管洗浄のための部屋への出入り等、寮生一人ひとり事務室に呼んで説明している。この間迷惑をかけることになるが、ご辛抱を願っている。

 最大の懸案は、全塗装で外壁の色を決められることである。これまでは全室ベージュ系で、ベランダ、雨樋等は白系であった。今度は現在流行している一階と二階の色をわけたり、ベランダの色も変えることができるとのこと。

 セキスイさんがコンピューターグラフィックで作成した色見本を数枚用意して下さった。ベージュ系は代わり映えがしないので消し。ブルー系もいいのだが、アイリスブルーという色はご本部の女子寮が使用したとのこと。私は緑系がいいのではと思ったが、なんと人気がなく3月で廃色になるとのこと。しかし、現在は在庫があり大丈夫らしい。

 色見本やコンピューターグラフィックでは、なかなかイメージできないとのことで、原盤を何枚か貸してもらい、寮生一人ひとりに見せて意見を聞いている。現在パインブランウン、インディーブルー、ガーデニアイエローに絞られてきている。

 二階を色つき、一階を白系にすることは全員意見が一致、ベランダの色をどうするかはまだ決めきれていない。これについてはセキスイさんに、さらにコンピューターグラフィックで見本を作ってもらい決定したいと考えている。どの色も現在よりかなりイメージチェンジとなり楽しみである。

教務総長と3機関職員との懇談会

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 昨日、教務総長と3機関職員との懇談会、総長から「教主推戴選挙」、「人材育成」、「教師教育」、「教師子弟のつどい」等の教団課題について、びっしり90分のお話を承った。その中で、自身が東京学生寮時代、就職活動で忙しい同級生から「教会の子弟は気楽でいいな」と言われたことがその後ずっと生きる上での原動力になったとのエピソードも紹介された。

 それで思い出したのが、私も東京学生寮時代、先輩から「親の敷いたレールの上をずっと走って、疑問に思わないのか」と言われたこと。これについてはかつて下記に掲載させていただいているので、またご覧下さい。

『オピニオン』

ご無礼、過ちなきように。

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 東京センターの大祭といわれる4大行事の一つ「教務総長上京」、昨日午後羽田に着かれ、今日明日と3日間滞在される。その間、文化庁宗務課課長、幹部、交際者の学者、ジャースリスト等と随時懇談される。

 今日は、午後3時から「総長と三機関(東京センター、国際センター、金光新聞東京支局)職員との懇談会」が東京センターで行われる。

 東京学生寮では明日17日、来年早々に予定されている屋根、外壁等の大改修工事について、リフォームに関わる業者全員とご本部管理課の専門職員が集合し、最終の打ち合わせを行う。

 それに先立ち金光財団の職員が本日3時から寮において、東京学生寮主事と本年度上半期の会計事務監査が行われる。財団の年度月は6月が起点となるところから、6月から11月までの半年間の出納、帳簿をチェックする。

 万事にご無礼、お粗末、過ちなきよう、ご都合、お繰り合わせを切に願っている。

布教功労者報徳祭に参拝

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 布教功労者報徳祭に無事参拝。このたびは妻と息子と国際センターの楠木先生と4人で車で向かった。土曜日のETC割引があるので渋滞を予想し、午前7時に出発した。交通集中による渋滞はなかったが、八王子を過ぎた当たりで表示板に相模湖付近事故渋滞、通過に50分と出た。

 しばらく走ると早くもストップ。6時の会議まで間に合えばいい、焦らず、焦らずと言い聞かせる。おかげで案外早くすり抜け、後は1人約2時間運転の交代で約9時間ちょっとで到着させていただいた。

 金光様お引けの時間に間に合い境内へ。「世界平和を祈るつどい」の準備ですでに来ている先生方と挨拶を交わす。寮生の在籍教会の先生からもご挨拶を受け、恐縮。その後、ご霊地御用時代や東京寮職員寮に入っておられ一緒だった牟田先生夫妻と会う。秋のご大祭の時に牟田先生奥様とばったり出会い、その時に「なぜ奥さんを連れてこないのよ」と言われ、このたび実現した。

 あっという間に6時に迫り、平和に関する会議に出席のため北ウィングへ。25名ほどの全国の平和活動推進者が集まった。それぞれ自己紹介、顔見せ程度で終わったが、こうやって集まると金光教も全国でいろんなことをやっていると力強く感じた。

 私たち三人は母親の実家に泊めてもらうため、9時頃先に退出した。その頃、同時に土佐屋で開催していた「全国学生会OB会」の会長と事務局長が合流、10時頃まで懇親が続いたようだ。

 当日は朝10時に平和活動センター集合、つどいの準備や広報のチラシを配布した。同じ場所で先に教師会が開かれているが、それに20席ほどパイプイスを追加、それでも座りきれない約170名の参加者があり、年々人数が増えているようだ。

 つどいでは、いつも行われている「黙祷」、「願いの言葉」奉読、「献灯」、「平和の祈り奉唱」、「ご神号奉唱」に加え、本年は金光合唱団の協力を得て、参加者全員で平和の歌「空より高く」を合唱、また群馬埼玉連合会長から、夏に行われた朗読劇「夏の雲は忘れない」の報告があった。

 その後、布教功労者報徳祭に参拝後、3時から後片付け、3時30分にご霊地を出発した。帰りは西宮から宝塚が混んでいたため、行きと同じ9時間程度かかり、0時30分頃無事到着した。15年程度ぶりに妻と、そして息子と一緒に参拝させていただき、またちょうど同時期、沖縄に修学旅行に行っていた娘もこの日無事帰らせていただき、ありがたいことであった。

布教功労者報徳祭に参拝します

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 明日から12日に執り行われる布教功労者報徳祭に参拝させていただく。前日には全国の平和や社会活動を推進している有志が集まる。これまでバラバラで取り組んでいた活動を一度金光教全体として考えようとする試みである。

 平和活動センターをはじめ、各地域の平和集会や平和活動担当者、各種グループ、個人が、まずは顔見せということで開くようだ。具体的にはご本部での「平和祈願祭」の執行や、平和委員会、平和研究所構想など、これまで願われてきたことに少しでも動きがつけられないかとの願いがある。

 また、当日12時からは、毎年修徳殿で開催している「世界平和を祈るつどい」が「核なき世界へ-祈りを込めて、声をあげよう」とのテーマで開催される。いよいよ情勢が厳しい中で、真剣に神様に平和を祈らせていただきたい。是非、多くの皆さまの参加を願っている。

武器輸出三原則見直しに思う

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 政府は、年内に策定する防衛大綱に武器輸出三原則の見直しを盛り込む方向で最終調整に入ったが、国会情勢から今回は何とか見送られた。この見直しは、安全保障のため、防衛のため、兵器の共同開発、技術的に遅れをとるなどなんだかんだと理屈をつけるが、要は人殺しの道具で商売をしようする、まさに死の商人になろうとしているのだ。

 平和憲法を支える大原則をないがしろにするのは、国の骨格を崩すことになる。日本から平和の国是をとったら一体何が残るのか。戦争をする普通の国へと転落するか、どこまでも理想へと向かう希有な国家を貫いていくのか。方向性を間違うことは世界にとっても不幸なことだと思う。

 もちろん北朝鮮がミサイルを向けているような状況で、直ちに武器を捨てることはむずかしい。しかし、1929年のパリ不戦条約以来、国連憲章から日本国憲法へと世界の戦争違法化の最先端にある理念を捨てるべきではない。現実が困難であるからこそ、規範や原則はどこまでも大切にする必要があると思う。

 それでも心配な方にあえていいたい。今以上に構える方が危険なのだ。相手に攻撃の口実を与えてしまう。敵を作らないことが最大の安全保障ではないか。武道でいう「天下無敵」とは、まさにそのことをいっているのだ。

 不安の上に成り立っている「暴力の均衡による平和」か、真に安心できる「信頼による共生の平和」か、どちらを選択するか。日本はすべての武器を捨て、人の命を守ることを第一とする平和と文化の国を目指すべきだと思う。そこにこそ日本人としての誇りを持てるのではないか。私は、世界最先端を行く希有な国日本でありたいと願っている。 


 

東京学生寮講演会を開催

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 昨日は、東京学生寮講演会を開催した。本年創立100周年を迎えた寮は、昨年の12月12日にご本部北ウィングで記念誌「笈を負う覚悟」の出版記念パーティを全国から卒寮生90名が集まり開催された。

 また、本年4月17日には東京学生寮において、創立100周年開寮記念祭、記念パーティを卒寮生100名が参集し開催された。その記念誌の出版や名簿の整理、その他諸々の中心的役割を担ったのが「寮友会」事務局長の相賀正実先生である。

 ところが、先生は大学を卒業以来今日まで小金井寮に来たことがなく、一番の功労者が新しい寮をまだ見ていないということで、それでは講師としてお招きしようと実現した。それから相賀講師の最大の理由は、向こう創立200周年に向けてスタートを切った現寮生たちに、輝かしい寮100年の歴史をしっかりと認識していただくことであった。

 本年寮友会から寄贈いただいた62型の薄型テレビに写真を映し出しながら、寮の沿革や時々の寮生たちが書き残したその当時の様子、何度か存立の危機を乗り越えてきた激動の歴史を詳しく語られた。

 最後に「寮生間の交流も100年の歴史の中で浮き沈みがあった。せっかく同じお道の仲間が生活を共にするのであるから、普通のアパートではもったいない。それには3年、4年生の道や寮を思う情熱が大切である。先輩がダメなら後輩も続きようがない。

 また、現住所として『金光教』と書く機会があると思うが、『金光教って?』聞かれたときにしっかりと応える答えをそれぞれにもっておくことが大切。私は『木の切り株に腰をおろしても、礼を言う心持ちになれる』宗教であると応えていた、と熱っぽく語られた。 
 

 相賀先生は、実は現教務総長佐藤光俊先生の弟で、総長も寮の卒寮生。また、相賀先生と私は東京学生寮同期入寮で大学時代共にお育てを頂いた。といっても彼は全国学生会協議委員会委員長で瀕死の学生会を再興し、私は東京学生会会長としてかつがつ付いていったようなことであった。

 そのようなことで当時の学生寮の先輩や後輩の卒寮生も多く駆けつけて下さり、30年ぶりの再会の方もあった。その後の懇親会も大いに盛り上がり、さらに小金井駅前でみんなで一杯、もう一瞬にして学生時代に戻った。先輩の毒舌も全く変わっておらず、楽しいひとときもあっという間であった。

 寮生たちは、そのまま集会室で朝3時頃まで盛り上がったそうで、寮200周年に向かって新しい一歩を踏み出せた講演会となった。感謝。感謝。感謝。

4年ぶりの東京センター職権開催 2

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 朝食もこれまたこれでもかというくらいに多彩。普通出てくる朝食の種類が全部出そろった感じだ。何とか完食。美味しかった。朝食後、所用のある直帰組とお別れ。残った4名は八ッ場ダム視察へと向かった。

 四万温泉からは1時間ほどで到着。まず驚いたのは長く大きなコンクリートの橋が谷の下を横に走っていたこと。しかしそれは途中で切れている。横幅がそれほどでもなく、道路にしては狭い。謎の構造物だ。

 さらに奥に進むと新しい道路が山のはるか上の方まで延びている。まずはこっちに行ってみようと走っていくと、どこまでもまっさらな道路が続く。トンネルを抜けると何カ所か民家の建物が建築中であった。「そうか、ここが代替地になるのだ」と。相当広く整地されている。

 次に来た道を戻って今度は谷の下の道を行く。何カ所かの集落を抜けていくと、「やんば館」という広報センターに着いた。そこで水没する地域の地図や模型を見て、このダム建設の壮大さがまさに実感できた。これはテレビで見るだけでは到底理解できないであろう。河原湯温泉をはじめ街、集落すべてが水没してしまうのだ。

 今いる「やんば館」自体も水没するそうだ。しかし、谷でも結構高いところに位置している。よくテレビで途中で止まっていた第二橋脚という橋も、そこからさらにはるか見上げるところに通っている。そのすぐ下まで水がたまるとは、どう考えてもあり得そうにない。想像を絶する規模なのだ。

 当然道路も鉄道も分断されるから、それぞれ新線を敷く。その工事もだいぶ進んでいる。最初に見たコンクリートの橋は鉄道新線になる予定のものだった。第二橋脚はすでに完成し、第三橋脚も新しい駅となるであろう場所も整地が進んでいる。つまり周辺の工事はやっているのだ。

 4,50年の間、政治に翻弄された住民の気持ちを思うと言葉もない。安易な気持ちで民主党のマニフェストをよかれと思っていたことが恥ずかしい。もちろんかつての政権自民党時代の政官業癒着の構造は許されるべきものではない。しかし、この八ッ場ダムの建設中止か、続行かの問題はそうそう単純でない。同行した4人もそれぞれ意見が違ったが、その問題の根深さに圧倒されながら帰途についた。

 「百聞は一見に如かず」。今回の職研も、N山観光様のおかげで充実した研修となった。私費での旅行だから幹事は大変だ。運転のO先生にも感謝、感謝である。(おわり)

4年ぶりの東京センター職研開催 1

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 一昨日、昨日と東京センター職研で群馬県の四万温泉と八ッ場ダム視察?に行ってきた。このたび所長の交代と職員の一部入れ替えで、確か4年ぶりの開催となる。センター職員全員が二台の車に分乗して朝9時30分出発した。

 途中昼食休憩一回で道路混雑もなく、1時過ぎには四万温泉に到着した。早すぎたこともあり、四万温泉の最奥にある四万川ダムでできた人造湖を一周した。ダムの横にある駐車場に入ると、野生の猿がいた。

 なんと山の斜面には、50匹くらいの猿の群れがいて、何か木の実をとって食べている。ボス猿と思われる大きな猿が道に降りてきて、人間を威嚇している。人間慣れしてない猿らしく、襲ってはこない。

 その後、旅館に到着。一階が酒屋になっている木造の風情のある旅館だ。チェックインして早速に会議。来年度計画の確認と、職員の役割分担である。新所長の所信表明、続いて新所長は4年前に次長だったとはいえ、4年間で変化したこともあり、細かく事柄をチェックしていった。

 3時間程度みっちりと打ち合わせやいろんな問題での議論を重ね、夜もとっぷりと暮れた。さあ、お風呂だ。この小さな旅館は全部で5室。うち3室が私たちで、他の2室もお客さんがあり、満室。お風呂は鍵をかけると廊下の上にある電光掲示板のランプがつくシステムになっており、貸し切りにできる。

 こじんまりとしたお風呂は二つあり、一つは露天風呂。インターフォンで呼ぶと釣瓶風に生ビール、アツカンをおろしてくれて、露天で一杯。檜のお風呂にお湯がたっぷり。久しぶりに温泉にゆったりとつかった。会議も夕食も寝る部屋と同じ。部屋食は初めてではないか。馬刺しに肉鍋と豪華な食事が所狭しと並べられ、満喫した。(つづく)


 

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