政府は、年内に策定する防衛大綱に武器輸出三原則の見直しを盛り込む方向で最終調整に入ったが、国会情勢から今回は何とか見送られた。この見直しは、安全保障のため、防衛のため、兵器の共同開発、技術的に遅れをとるなどなんだかんだと理屈をつけるが、要は人殺しの道具で商売をしようする、まさに死の商人になろうとしているのだ。
平和憲法を支える大原則をないがしろにするのは、国の骨格を崩すことになる。日本から平和の国是をとったら一体何が残るのか。戦争をする普通の国へと転落するか、どこまでも理想へと向かう希有な国家を貫いていくのか。方向性を間違うことは世界にとっても不幸なことだと思う。
もちろん北朝鮮がミサイルを向けているような状況で、直ちに武器を捨てることはむずかしい。しかし、1929年のパリ不戦条約以来、国連憲章から日本国憲法へと世界の戦争違法化の最先端にある理念を捨てるべきではない。現実が困難であるからこそ、規範や原則はどこまでも大切にする必要があると思う。
それでも心配な方にあえていいたい。今以上に構える方が危険なのだ。相手に攻撃の口実を与えてしまう。敵を作らないことが最大の安全保障ではないか。武道でいう「天下無敵」とは、まさにそのことをいっているのだ。
不安の上に成り立っている「暴力の均衡による平和」か、真に安心できる「信頼による共生の平和」か、どちらを選択するか。日本はすべての武器を捨て、人の命を守ることを第一とする平和と文化の国を目指すべきだと思う。そこにこそ日本人としての誇りを持てるのではないか。私は、世界最先端を行く希有な国日本でありたいと願っている。
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