10月8日午後11時30分、無事レンタカーを借り、板東氏の車と総勢13名、計2台で出発。連休初日だから、途中名神・京都付近や中国道と山陽道の分岐地点辺りの渋滞を予想していたが、かなりスムーズに通過。
この間、気仙沼で一緒にボランティアをした広島市のIさんに連絡。「今、みんなで広島目指して走っている」とメールすると、驚きのメールが帰ってくる。「ぜひ会おう」と打ち合わせ、10時30分に原爆資料館の前でと約束した。前もって連絡しておくべきだったと反省。でも、すぐに駆けつけてくれるとのこと、誠にありがたいことである。
午前10時頃には広島市内に入る。またこの日、寮の母体である「一般財団法人金光財団」の事務局長の神田道明先生が広島南教会在籍ということで、わざわざ平和公園入り口のところで出迎えてくれた。
おっつけI氏とその娘さんも合流。早速にみんなで記念撮影。その後、被爆経験者の案内ボランティアの方、お二人頼んでおいてくれており、二班に分かれて「広島平和記念資料館」を見学。休みの日とあって、中はごった返すほどの人。多くの若者も関心を示してくれている。
また、神田先生には予め広島南教会のご信徒の語りべの方にお話をご依頼していただいていた。しかし、ご都合が悪く何と道明先生のお父上の神田照家先生が「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」にお出ましになっており、午後からお話をして頂けるとのこと。
私はこの時点で大緊張。わざわざお出まし頂いてお話まで承ることができるとは、恐縮の至り。実はもう30年も前になるか、私が布教部時代一人で原爆資料館の中にある「広島平和文化センター」に出張した時、所長室の応接間に神田照家先生がいて、「辻井君、こっち、こっち」と所長室に入るよう言われ、確か当時の所長であった前広島市長秋葉忠利氏に会わせて頂いたことを今でもはっきりと覚えている。
その折にも「辻井君、資料館をよく見て、しっかり勉強して布教部にちゃんと報告してください。平和のことはしっかり頼む」と仰られ、大変緊張した。その時のお言葉が今でもずっしりと響いてくる。2011年の今になってもなかなかこのことができていない私ではあるが、この時から今を運命づけられていたのかもしれないと原爆資料館に久し振りに立って思ったようなことである。
その後、原爆ドームを見学。写真は息子と私。お昼は、広島平和集会でよく使っているというレストランは30分待ち。当然、お好み焼き屋さんも満員。ちょうど讃岐うどんの大きなお店があり、ここで昼食を頂いた。(つづく)
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