2011年11月アーカイブ

 10月8日午後11時30分、無事レンタカーを借り、板東氏の車と総勢13名、計2台で出発。連休初日だから、途中名神・京都付近や中国道と山陽道の分岐地点辺りの渋滞を予想していたが、かなりスムーズに通過。

 この間、気仙沼で一緒にボランティアをした広島市のIさんに連絡。「今、みんなで広島目指して走っている」とメールすると、驚きのメールが帰ってくる。「ぜひ会おう」と打ち合わせ、10時30分に原爆資料館の前でと約束した。前もって連絡しておくべきだったと反省。でも、すぐに駆けつけてくれるとのこと、誠にありがたいことである。

 午前10時頃には広島市内に入る。またこの日、寮の母体である「一般財団法人金光財団」の事務局長の神田道明先生が広島南教会在籍ということで、わざわざ平和公園入り口のところで出迎えてくれた。

 おっつけI氏とその娘さんも合流。早速にみんなで記念撮影。その後、被爆経験者の案内ボランティアの方、お二人頼んでおいてくれており、二班に分かれて「広島平和記念資料館」を見学。休みの日とあって、中はごった返すほどの人。多くの若者も関心を示してくれている。

PA091650.jpg また、神田先生には予め広島南教会のご信徒の語りべの方にお話をご依頼していただいていた。しかし、ご都合が悪く何と道明先生のお父上の神田照家先生が「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」にお出ましになっており、午後からお話をして頂けるとのこと。

 私はこの時点で大緊張。わざわざお出まし頂いてお話まで承ることができるとは、恐縮の至り。実はもう30年も前になるか、私が布教部時代一人で原爆資料館の中にある「広島平和文化センター」に出張した時、所長室の応接間に神田照家先生がいて、「辻井君、こっち、こっち」と所長室に入るよう言われ、確か当時の所長であった前広島市長秋葉忠利氏に会わせて頂いたことを今でもはっきりと覚えている。

 その折にも「辻井君、資料館をよく見て、しっかり勉強して布教部にちゃんと報告してください。平和のことはしっかり頼む」と仰られ、大変緊張した。その時のお言葉が今でもずっしりと響いてくる。2011年の今になってもなかなかこのことができていない私ではあるが、この時から今を運命づけられていたのかもしれないと原爆資料館に久し振りに立って思ったようなことである。

 その後、原爆ドームを見学。写真は息子と私。お昼は、広島平和集会でよく使っているというレストランは30分待ち。当然、お好み焼き屋さんも満員。ちょうど讃岐うどんの大きなお店があり、ここで昼食を頂いた。(つづく) 

PA091651.jpg

 このたびの寮研修旅行・ご本部生神金光大神大祭参拝は、是非広島原爆 ドームへも足を伸ばしたいとの寮生の強い願いもあり、当初私の車とレンタカーを借りていく計画が検討中であった。

 しかし、私の車の損害保険は運転手の年齢制限があり、30歳以下は息子しか運転できないように契約している。となると、私の車を運転するのは私と息子二人となり、最悪仕方ないかと、考えていた。

 ちょうどその頃、私や寮生たちが気仙沼ボランティアを終え、帰る車で一緒になったACT(関東教区青年布教委員会)の委員長板東氏が、何と一緒にご本部参拝をしてくれるとのこと。それも車つきで。これは願ったりかなったりで、一台はレンタカー、そして板東氏の車の二台で行くこととなった。

 そこで10月8日の夜21時頃東京を出発、一気に広島まで行き、9日の夜ご霊地光風館泊、10日のご祭典に参拝後帰京する計画を立てた。早速、小金井市にある格安レンタカー屋さんに行くと連休中はすでに予約で埋まっているとのこと。

 連休ということを深く認識していなかった。すぐにパソコンであちこちのレンタカーを調べる。10数名参加予定でどうしても8人乗りを借りたいが、そのような希望を出すとますます借りられる可能性が低くなってしまう。

 最悪、自分の車とあきらめかけた時、日産レンタカーのホームページに「△」マークがあった。「△」とはどういうことだろうと早速に電話すると、21時では無理だが23時なら一台戻ってくるので回せますと。2時間遅れがどうでるかと一瞬は悩んだが、一台だけ残っていたということはこれはおかげだと即決して予約をとった。

 レンタカーというと相当に高く、ましてトヨタや日産という名の通ったところは非常に高いというイメージを持っていたが、このたびお願いした日産レンタカーは比較的安く、大勢なら本当にお得感がある。もちろん小金井市にあるレンタカーはもっと安い。ただし「予約は早めに」がこのたびの教訓であった。        (つづく)

勝浦教会大祭で帰省しております。

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 昨日は、金光教本所教会ご大祭で、教話の御用をさせて頂きました。本日は、寮監、主事関係で立川労働基準局に書類を提出するため、財団本部から神田事務局長と金光東京学生寮担当職員が上京します。

 私はその後、今夜の夜行バスで勝浦教会大祭のために帰省します。その間、また当ブログしばらくお休みします。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

PA300858 (640x453).jpg PA300857 (640x480).jpg 今回は残念ながら私は参加できなかったが、寮生の代表6人で前々から懸案となっていた気仙沼市五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅での花壇作りのボランティア活動を行った。最初の写真は完成した花壇。実際つくって頂いた仮設住民の方の顔写真をここでは出せないので残念であるが、多くの方が参加してくれたとのこと。

 この企画は、寮生のKくんがホテル一景閣の玄関を掃除した時に、玄関がきれいになると全然違う。やはり入り口が大事だと思ったので、五右衛門ヶ原仮設住宅でも殺風景な入り口付近に花壇を作ったらどうか、と思いついたのが始まりである。

 早速に現地代表の田中氏に相談。それはいいことだから、寮生が中心となって進め、支援機構にサポートしてもらう形でスタートした。まずはお金集めで、私の妻が参加している東光合唱団の団員の皆さまに寄付を募る等、資金を集めた。

 ところが、様々な困難な状況が生じてきた。大きなボランティア組織が一気にプランターを配付する「花のボランティア」を展開したこと。花壇作りは住民の人たちに主体的に作ってもらわないと後の世話ができず、まずは住民の賛同がいること。ボランティアだからといって、どこまで踏み込んでさせて頂いたらいいか、かえって迷惑にならないか。また、一月以上入っていたK君も夏休みが終わり、帰らなければならず、だれが中心となって動くか等々である。

 寮生間の思いの違いや連絡の不備もあり、紆余曲折もあったが、寮生たちの実現したいとの真剣な願いやそして何よりも住民の皆さまから「どうなっているの。早くしてほしい」との声をいただいたそうで、まさに現地スタッフのサポートを得て、だんだんに具体化してきた。

 22日に開催された寮祭では、実際に寮に花壇をつくって予行演習をし、本番に備え、そしていよいよ30日に実施見事に成功した。さらにありがたかったのは、帰ってきた寮生6人、だれもが浮かれてないことであった。

PA231704 (640x457).jpg PA231720 (640x472).jpg 普通、大成功の場合『やりました』と言って自慢の一つもしたくなるものだが、全く冷静そのもので、ただ単なる支援ではなくて、「心の支援」を展開する金光教におけるボランティア精神を体得し、このたびの経験でますます成長しているなとありがたく思わせていただいた。

 私にとっては5度目のなる気仙沼入り。今回は9月に予定されていた松島での東日本大震災慰霊復興祈願祭

http://web-konkokyo.info/data/m1317195727等)に参拝するのが目的。ちょうどACT(関東教区青年布教委員会)のメンバーが気仙沼ボランティアに二台の車で参加とのことで、その車に便乗させていただき、2日間ボランティア活動後、25日に松島入りした。

 

IMG_0350.JPG 松島は6月に東北教区の教区集会が開かれた折、それに参加する気仙沼教会長の運転手役で当時の現地スタッフのS先生と共に一度訪れたことがある。わが地元の那智勝浦の海には「紀の松島」という島があるが、さすが本家の松島は桁が違う。

 その時の会場となったホテルと同じ通りにある「宮城県松島中央公民館」でご奉仕された。会場入り口に八波の旗が翩翻と翻っている。昼食に手間取りギリギリに会場入り。控え室にはご本部や数カ所の各教務センター所長等が見えられていた。

 大阪センター所長に台風12号による紀南教会連合会にお見舞いと物資の支援を賜ったことを御礼申し上げると、ちょうどその場に実際に各教会を車で回られた大阪の先生や東京のH先生もみえられていたので素早い行動に御礼申し上げた。

 お祭りは、約300名の大勢の参拝者のもとに厳かに仕えられ、被災地の石巻、気仙沼、福島の各教会長のお話、教務総長のお話があった。私たち一行は終電までには帰京せねばならず、誠にご無礼ながら途中で退席し、無事帰らせていただいた。
 

 写真は、唐桑半島の先の方にある唐桑体育館。これまでご紹介してきたように、ここでは流された思いでの写真を洗浄、乾燥させ、きれいになった写真を新しいアルバムに入れ直していく作業をしている。そしてこの時期になると、再アルバム化した写真をもう一度取り出し、スキャナにかけてデーター化する作業だ。

P8291466 (640x480).jpg オレンジのTシャツに前掛けの女性の後ろ姿は、当ブログでご登場頂いている広島市のI氏。大事な写真なので真剣そのもの。現地スタッフの方のご指導を頂きながら、丁寧に作業を進める。

P8291461 (640x480).jpg P8291463 (640x480).jpg 次の写真は、再アルバム化された写真を地区ごとに並べて、被災者の皆さまに探しやすいように整理・分類されている。この頃になると毎日三々五々、大勢の方が探しに来訪する。自分や友人の写真を見つけ、大歓声をあげて喜び合う姿を見させて頂くと、こちらも本当に嬉しい気持ちになる。

P8291468 (640x480).jpg さて、この時のボランティア期間中も、まだ被災地を見ていない方をご案内した。写真は南三陸町。防災庁舎は3階建。ここでは佐藤仁町長ら10人は屋上のアンテナによじ登るなどして助かったが、防災無線で避難を呼び掛けた遠藤未希さんら職員の多くが死亡・行方不明になった場所。

P8281447 (640x480).jpg 確かに遠藤さんのアナウンスで多くの人が助かった。しかし、遠藤さんやそのご家族のことを思うと胸が痛い。この屋上から役場の職員の方が撮った写真(http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/gyousei/index.php?content_id=262)が南三陸町役場のホームページに掲載されているが、まさか防災庁舎まで、それもそれをのみ込むまでの津波が襲ってくるとは全く考えていなかったであろう。

 私もその地に立ち、海からの距離を実感してみて、また、後掲の写真を撮った高台にある中学校から町を一望してみて、万に一つ、津波に襲われるとは思わなかったであろうと思う。

P8281450 (640x480).jpg 被災地に実際に立つ。そのことの重要さは、このたびの地震、大津波で亡くなられた方にもし言葉があれば、私たちに何を語ってくれるだろうか。何を聞いてほしいだろうかと、その声なき声を聞かせてもらうことではないかと思う。

 そして、これまでの生き方がこれでよかったのか。改めて問い直すきっかけとして、少しでもよりよい生き方、よりよい社会を目指して共に考えていくことが大切だと思う。

 それから、9月3日に予定されていた金光教東北教務センター主催の東日本大震災復興慰霊祈願祭が台風の影響で延期されたため、同日3日は、ホテル一景閣の屋上につながる部屋に天地書附を掲げ、金光教気仙沼教会長ご奉仕のもと、一景閣オーナー、気仙沼教会の主だった信徒、ボランティアのメンバーで、復興慰霊祈願の御祈念をさせて頂いた。
 (気仙沼ボランティア報告④おわり)

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 さて、写真は気仙沼市五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅。前回の報告でもふれたが、私たち支援機構ボランティアの重要な役割の一つに仮設住宅支援がある。物資の支援はもちろんだが、孤独死防止のコミュニケーション作りが大切となる。

P9011521 (640x480).jpg 阪神大震災や新潟中越地震でもボランティアを経験したが、仮設への直接支援は金光教としても未経験の世界。現地代表の田中真人氏が3か月以上の気仙沼市災害ボランティアセンターの経験を踏まえ、その指導の下に進めてきた。

 そしてこの五右衛門ヶ原テニスコートは、まずは物資の支援、と同時にお茶会を実施し、自治会作りを促し、見事に自治会が結成された。写真は初めて住民の方に集まってもらい、集会室で物資をお取り頂いているところ。右側の緑の女性は気仙沼出身の寮生Rちゃん。

P9011543 (640x480).jpg その物資の配付前に、現地代表が災害ボランティアセンターで知り合った社会福祉協議会の方も参加し、現状や要望を聞きながら組織作りに向けての話し合いを持った。その時の会議の様子の写真をここで紹介することができないのが残念であるが、現地代表の見事な司会進行で、皆さん笑顔で、和やかなうちに会合が進み、その後数回の話し合いをもって自治会が結成された。

 市役所からも大変評価をして頂いているようで、着実なボランティア活動が展開されつつある。気仙沼市には100箇所弱の仮設住宅があるそうだ。私たち支援機構ももちろん勝手に活動をしているのではなく、様々な支援団体と連携をとりながら進めている。ある日、金光教気仙沼教会を会場に、NPOやNGOなどのボランティア支援団体の代表が集まり、会議が開かれたとのこと。誠にありがたいことである。(つづく) 

 所用のため、8月21日に一旦帰京。8月27日から、私としては4回目の気仙沼ボランティアとなる。この27日からの1週間は、主にホテル一景閣での清掃作業、唐桑体育館での「思いでの写真」のスキャナ取り込み、気仙沼市災害ボランティアセンターからの大島でのボランティア活動であった。

 以前も少し触れたが、一度大島のボランティアに挑戦した時、先着14人までであり、私は15番目で惜しくも行くことができず、このたび再挑戦した。前回よりも相当早めに出て、ほぼ一番乗りで気仙沼市災害ボランティアセンターに入った。

 写真は、社会福祉協議会のゼッケンを全員がつけ、大島行きのフェリー乗り場で船を待っている皆さん。雲一つない晴天。海は目映いばかりにきれいだ。船に乗ると、早速に病院帰りのおばあちゃんが話しかけてきてくれた。

P8301473 (640x480).jpg P8301472 (640x480).jpg 「ボランティアの皆さんだね。本当にありがとうね。東京から、それは、それは遠いところありがとうね」と何度も何度もお礼の言葉を頂く。50分ほどの時間の間、ほとんどお話しされ、おばあちゃんのお家のすぐ下の家が流されて、親しい方が行方不明になってしまった話や特に水の大切さを何度も口にされた。

 大島は地震直後、流された大型のタンカーが、気仙沼市内から敷かれている水道管を壊してしまい、完全に断水。それも数ヶ月に及んだという。そこで、このおばあちゃんは何よりも水の大切さを痛感したそうだ。

 おばあちゃんのご主人とお子様夫婦と孫2人の6人家族だそうで、一日たらい一杯の水をまずは顔から6人が洗い、そして体、頭、足とわずかな水でそれぞれ6人が順番に洗っていったこと。                    

 救援やボランティアの順番がどうしても気仙沼市内の方からになり、大島は後回しにされ、地元の青年たちがボランティア組織を立ち上げて助け合った様子、米軍や自衛隊が来てくれて助かったなど、本当に苦しい生活を余儀なくされたにもかかわらず、終止笑顔で話してくれた。

 大島では10人と4人のグループに分かれ、私たちは10人のグループで、田んぼの清掃作業、他の4人は民家の床下の清掃作業にあたった。車で5分程度の海から500メートルくらい中に入った田園。写真の右奥のお家は一階部分がなくて、約200メートルほど流された屋根とのこと。

P8301479 (640x480).jpg 田んぼにはそうしたお家から出された様々なものが散乱している。それを草をぬきながら丁寧に回収していく。水の多いところでは足が取られ、歩くにも難渋する。それも雲一つないお天気で、どこにも日陰がない。途中、スタッフの方が簡易のテントを立ててくれ、だいぶ助かった。  

P8301489 (640x480).jpg P8301492 (640x480).jpg この田んぼは海水でやられており、復活するにはまだまだ相当の時間がかかるそう。こうした個人の田んぼの中に流された廃材の撤去は自衛隊の人では間に合わず、私たちボランティアの力が大切だが、この時点ではまだまだ人数が必要と感じた。(つづく)

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 私にとっては何ともいい一日となった。ただ、息子が高校時代野球部の一級上の先輩で、ソフトバンクホークスの福田秀平君を神宮で見たいため、ヤクルトの応援にまわってしまった。日本シリーズ、福田秀平君には打ってもらいたいし、大事な時に打たれたら困るし、複雑だ。

 王者駒大が復活した。ここのところ早稲田と東洋大にしてやられていたが、これでお正月の箱根駅伝が本当に楽しみになった。頑張れ、中日、頑張れ、駒大。

 

 

ここのところ更新できず、失礼。

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 なかなか更新できないことで、「病んでいるのでは」と心配のご連絡をうけ、誠に恐縮しております。先月末から「寮祭」、『金光新聞』の会議でご本部出張、「みのり」収穫祭参拝、今月に入って上北沢教会ご大祭「典礼・教話」の御用、昨日は駒澤大学卒業30周年ということで、「ホームカミングデー」という行事に招待され参加。

 本日は寮「月例祭・食事会」、これから食事会の買い出しです。その月例祭では国際センター楠木先生が東京センターの教話実習で教話。広島被爆二世のH氏のテープ拝聴、気仙沼ボランティア(五右衛門ヶ原テニスコート仮設住宅花壇作り)報告と盛りだくさん。

 明日は、「金光財団」本部から職員が出張してきて、一緒に立川労働基準局出向。9日は「平和活動プロジェクト」会議とここ当分立て込んでおり、書きたいことは山ほど溜まってますが、今しばらくお待ち下さい。

 ところで、昨日の駒澤大学。学生時代所属していた「とらべらぁずくらぶ」の同級生たちと久しぶりに再会。楽しかったです。そして何と、その「とらべらぁずくらぶ」が30年も続いていました。(写真)

 運動部や文化活動のしっかりした部活動や同好会ではなくて、ただのサークルが30年以上も続くとは、奇跡的だと感動しました。

 

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がんばっぺ東北.jpg

 

 

 「第4回歌舞伎町農山村ふれあい市場」が、11月6日新宿区立大久保公園にて午前10時から午後4時まで開催されます。

 

気仙沼の「奥原しんこ」さんが参加予定のようです。

 

 おなじみの気仙沼チャリティTシャツや気仙沼市南町復興商店街が作った沈まない浮きガラスをイメージしたストラップなど販売されるそうです。

 

 収益は子供の集会所「みなみまち cadocco」の運営資金になさるようです。

 

 東京学生寮は、月例祭当日なので私は参加できませんが、都合のつかれる方は、是非ご参加ください。

 

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