写真は、唐桑半島の先の方にある唐桑体育館。これまでご紹介してきたように、ここでは流された思いでの写真を洗浄、乾燥させ、きれいになった写真を新しいアルバムに入れ直していく作業をしている。そしてこの時期になると、再アルバム化した写真をもう一度取り出し、スキャナにかけてデーター化する作業だ。
オレンジのTシャツに前掛けの女性の後ろ姿は、当ブログでご登場頂いている広島市のI氏。大事な写真なので真剣そのもの。現地スタッフの方のご指導を頂きながら、丁寧に作業を進める。
次の写真は、再アルバム化された写真を地区ごとに並べて、被災者の皆さまに探しやすいように整理・分類されている。この頃になると毎日三々五々、大勢の方が探しに来訪する。自分や友人の写真を見つけ、大歓声をあげて喜び合う姿を見させて頂くと、こちらも本当に嬉しい気持ちになる。
さて、この時のボランティア期間中も、まだ被災地を見ていない方をご案内した。写真は南三陸町。防災庁舎は3階建。ここでは佐藤仁町長ら10人は屋上のアンテナによじ登るなどして助かったが、防災無線で避難を呼び掛けた遠藤未希さんら職員の多くが死亡・行方不明になった場所。
確かに遠藤さんのアナウンスで多くの人が助かった。しかし、遠藤さんやそのご家族のことを思うと胸が痛い。この屋上から役場の職員の方が撮った写真(http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/gyousei/index.php?content_id=262)が南三陸町役場のホームページに掲載されているが、まさか防災庁舎まで、それもそれをのみ込むまでの津波が襲ってくるとは全く考えていなかったであろう。
私もその地に立ち、海からの距離を実感してみて、また、後掲の写真を撮った高台にある中学校から町を一望してみて、万に一つ、津波に襲われるとは思わなかったであろうと思う。
被災地に実際に立つ。そのことの重要さは、このたびの地震、大津波で亡くなられた方にもし言葉があれば、私たちに何を語ってくれるだろうか。何を聞いてほしいだろうかと、その声なき声を聞かせてもらうことではないかと思う。
そして、これまでの生き方がこれでよかったのか。改めて問い直すきっかけとして、少しでもよりよい生き方、よりよい社会を目指して共に考えていくことが大切だと思う。
それから、9月3日に予定されていた金光教東北教務センター主催の東日本大震災復興慰霊祈願祭が台風の影響で延期されたため、同日3日は、ホテル一景閣の屋上につながる部屋に天地書附を掲げ、金光教気仙沼教会長ご奉仕のもと、一景閣オーナー、気仙沼教会の主だった信徒、ボランティアのメンバーで、復興慰霊祈願の御祈念をさせて頂いた。
(気仙沼ボランティア報告④おわり)
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